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【三重】一度は行ってみたい強力パワースポット!

パワースポットには、繭気属性というものがあり、「火・水・空・風・地」の属性があります。

自分の繭気属性は生年月日と血液型から調べることができます。

繭気属性の調べ方や相性については「パワースポットにおける属性と相性」をご覧ください。

伊勢神宮(いせじんぐう)

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伊勢神宮(いせじんぐう)は、古くから信仰の厚い由緒正しい神社です。江戸時代に大流行した「お伊勢参り」は現在も引き継がれ、多くの日本人が訪れています。伊勢神宮は「内宮」と「外宮」に分かれており、「皇大神宮(内宮)」のご祭神は天照大御神、「豊受大神宮(外宮)」は豊受大御神が祀られています。

家内安全・夫婦円満・産業発展・仕事運アップなど様々なご利益がるとされています。

伊勢神宮は水属性のパワースポットとされています。水属性のパワースポット一覧

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椿大神社

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椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、三重県鈴鹿市にある神社。猿田彦大神を主祭神とし、相殿に瓊瓊杵尊・栲幡千千姫命(瓊瓊杵尊の母神)・行満大明神を祀る。別名を猿田彦大本宮といい、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている。また別宮の椿岸神社では、猿田彦大神の妻神である天之鈿女命を祀る。

社伝によれば、垂仁天皇27年、倭姫命に下った神託により、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神の社」として社殿が造営されたのを創始とする。

昭和62年(1987年)、アメリカ合衆国カリフォルニア州にアメリカ椿神社を創建し、神道の普及活動を行っている。現在はワシントン州に遷座しアメリカ椿大神社と称している。縁結びや芸事の神社として知られ、芸能人の参拝も多いという。

神社の本殿の右手にある、禊の滝行を行なう滝からの流れを写真に撮ると金運や恋愛運が上がる、と噂になり「かなえ滝」と呼ばれている。みちびきの神さま」と「芸能の神さま」が祀られており、仕事や習い事、将来の夢や目標等に向かって努力して頑張る人を応援してくれるといわれています。

椿大神社は風属性のパワースポットとされています。風属性のパワースポット一覧

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なばなの里

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なばなの里(なばなのさと)は、三重県桑名市長島町駒江にある公園・リゾート施設。縁結び・夫婦円満・交通安全などのご利益があるとされています。

花をテーマにした施設としては東海地区最大級のお花畑(13000坪)を有し、春はチューリップ、秋はコスモスや超大輪のダリアなどが咲き誇る。

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猿田彦神社

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猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮の近くにある神社である。猿田彦大神と、その子孫の大田命を祭神とする。
日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。

猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。

境内には、天降りの際に猿田彦神と応対した天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。佐瑠女神社は小さな社だが、近年芸能のパワースポットとして注目されている。

また、宝船の上にヘビがとぐろを巻いているような「たから石」もパワースポットとして人気。また、森三中の大島美幸氏はこの神社で結婚式を挙げています。建築・方位除け・災難除け・開運・事業発展・五穀豊穣・大漁満足などのご利益があるとされています。伊勢神宮も近いので一緒に参拝するとよいとされています。

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いちべ神社

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いちべ神社は三重県鳥羽市にある神社。

地元の漁師が海で遭難した時、龍が海上より立ち上がり、漁師の生命を助け、この石に舞い降りたという伝説により、文政11年(1828年)に建立された。地元の人たちに、永く、万人を救う神秘的な、パワースポットとして崇拝されている。

近年、パワースポットとしてプロ野球監督やスポーツ選手、選挙、芸能人、韓流スターなど多く有名人がここ一番の「勝負どころ」に訪れている。

御神体の聖石に抱きつき全身でご利益を得る参拝者も多いことから、「抱きつき聖石」とも呼ばれている。ホテルマリテーム海幸園内に位置する。 仕事、恋愛、スポーツなどの必勝祈願にご利益があるとされています。

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伊賀上野城

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上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にあった平山城である。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。

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宇治橋

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宇治橋(うじばし)は、三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)の参道口にある橋。別名御裳濯橋(みもすそばし)。日本百名橋の一つ。

橋の両側に神明鳥居があり、外側(外)の鳥居は、外宮正殿の棟持柱の古材から、内側(内)は内宮正殿の棟持柱の古材から作られる。明治以降、これらの鳥居が建て替えられると外の鳥居は三重県桑名市桑名宿の七里の渡しで、内の鳥居は鈴鹿峠の麓にある三重県亀山市関町関宿の関の東の追分で、それぞれ神宮遙拝用の鳥居に20年間使用されている。

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豊受大神宮

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豊受大神宮(とようけたいじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社で、伊勢の神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。

皇大神宮(内宮)とともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる。豊受大御神を主祭神とし、相殿神として御伴神三座を祀る。

伊勢の中心にありながら、境内は平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木「清盛楠」や、初夏には三重県花ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」などの自然が豊富に残される。

境内には多賀宮(たかのみや)、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)の3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)を始め、斎館、神楽殿、神々の食事を調製する忌火屋殿(いみびやでん)、神酒を納めた御酒殿(みさかどの)などの建物があり、外宮の境界を守る四至神(みやのめぐりのかみ)が正宮の前に祀られている。

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金剛證寺

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金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院である。山号は勝峰山、院号は兜率院と称する。

草創は、欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を極めた。

本尊は虚空蔵菩薩である。御本尊は秘仏で、伊勢神宮のご遷宮の翌年に、二十年に一度のご開帳を厳修する。朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。

昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥の院ともいわれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われた。陽の気が活発化しすぎて感情が不安定になっている時などに訪れると沈静化できるパワースポット。

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昇龍の松

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昇龍の松は、三重県鳥羽市相差町の相差海女文化資料館の前庭にある黒松。「相差の石神さん」で知られる神明神社のすぐ近くに位置する。

幹囲約3メートルの巨木で、その樹の形が天に昇る龍の姿に似ていることから、昇龍の松(開運の松)と言われ、その幹に手を当てて願いをすると叶うと言われている。厄よけのほか、とくに男女の縁結びにご利益があるとされています。

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おうむ岩

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おうむ岩(鸚鵡岩)は三重県志摩市にある奇岩である。伊勢志摩国立公園に属する。

幅127m、高さ31mの一枚岩で、「語り場」で声を発したり、備え付けの拍子木を打つと、約50m離れた「聞き場」にいる人にはあたかも岩から音が発されているように聞こえる。

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伊射波神社

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伊射波神社(いざわじんじゃ)は三重県鳥羽市安楽島町の加布良古崎にある神社。志摩国の一の宮と伝わる。

志摩大明神、加布良古大明神、地元の人から 加布良古(かぶらこ)さんと呼ばれています。鎮座は不明。創建から1500年以上といわれている。海に向かって鳥居が建っており、昭和初期までは海岸まで船で来て参拝したという。

御崎の先には別に領有神(うしはくがみ)が祭られている。玉柱屋姫命と伊射波登美命、雅日女尊、狭依姫命の四柱を祭り、縁結びの神として知られる。良縁にご利益があるとされています。

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二見興玉神社

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。猿田彦大神と宇迦御魂大神を御祭神とする。

猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神のお使いはカエルとされており、神社参拝の後に御神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納する。このため、境内には無数のカエルの石像が並んでいる。この神社の御守(授与品)もまた「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」と呼ばれるカエルをモチーフにした物である。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。

夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と御神体である興玉神石(おきたましんせき)を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。夏至の前後約4ヶ月間は、夫婦岩の間から御来光が拝めることで有名。特に夏至の前後2週間ほどは、方位角約61度距離およそ200kmの彼方にある富士山山頂付近からの御来光となる。また、冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもできる。

5月末に御神体・興玉神石に生える藻(あまも)を刈る「藻刈神事(もかりしんじ)」が行われる。興玉神石より刈り取られた藻は、猿田彦大神ゆかりの霊草とされ、天日に干して「お祓いの具」となる。毎年6月21日に、夏至祭が執り行われる。

境内社として綿津見大神を祀る龍宮社があり、旧暦5月15日に龍宮社例祭に併せて郷中施(ごじゅうせ)神事が行われる。また、氏子地江の外れに大若子命をお祀りする栄野神社があり、毎年1月14日の例祭日には湯立神事が行われる。御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。

住所 三重県伊勢市二見町大字江575

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射山神社

射山神社は三重県津市の神社。榊原温泉の中心部にある。毎年2月11日に『湯立神事(御湯)』が行わる。

もとは貝石山の八合目に祀られていたが、今の地にうつされた。祭神は温泉大明神とよばれる大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。縁結びにご利益があるとされています。

住所 三重県津市榊原町5073

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田丸神社

田丸神社は、三重県度会郡の神社。元は天神社がこの地にあり、明治14年(1882)の神社合併令で十一社十九祭神を合祀した神社。境内の石灯篭や鳥居などは、様々な場所から持ち寄られたもの。毎年受験シーズンを迎えると学問の神様・菅原道真公を祀る、田丸神社は、受験生や家族が訪れ、合格を祈願をし、絵馬を飾る姿で賑わう。学業成就・病気平癒のご利益があるとされています。

住所 三重県度会郡玉城町下田辺1042

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横山石神神社

横山石神神社は、三重県志摩市の神社。天永龍王を祀る。「一生の内に一事は必ずかなえて下さる石神さん」と言われ、御木本幸吉翁も真珠養殖成功への願かけをしたとされる。金運アップにご利益があるとされています。

住所 三重県志摩市阿児町鵜方874-4

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赤目四十八滝

赤目四十八滝(あかめしじゅうはちたき)は、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある、一連の滝の総称である。また、谷は赤目四十八滝渓谷(あかめしじゅうはちたき けいこく)と称される。

古より山岳信仰の聖地であり、地元には「滝参り」という呼び方が今も残る。奈良時代には修験道の開祖である役行者(役小角)の修行場ともなった。

地名「赤目」の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったとの言い伝えにあるとされる。また、役行者および修験道と関連するが、忍者の修行場であったとも伝えられている。

赤目四十八滝のうち比較的大きな不動滝(ふどうだき、ふどうたき)、千手滝(せんじゅだき、せんじゅたき)、布曳滝(ぬのびきだき、ぬのびきたき、ぬのびきのたき)、荷担滝(にないだき、にないたき、にないのたき)、琵琶滝(びわだき、びわたき)の5つの滝を、赤目五瀑(あかめ ごばく)と言う。このうち不動滝への参拝を「滝参り」という。学業成就のご利益があるとされています。

住所 三重県名張市青蓮寺

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大馬神社

大馬神社(おおまじんじゃ)は、三重県熊野市の神社。熊野国総鎮守。

恒武天皇(737~806)の頃、坂上田村麻呂(758~811)がこの地方を荒らす賊を討ち、賊の頭の首を地中に埋め、その上に社殿を建てたのが始まりといわれる。この賊は多娥丸(たがまる)と良い、鬼ケ城に隠れ住み、熊野の海を荒らしまわり、鬼と恐れられていた。

その後、智興和尚がこの話を伝え聞い参詣しようとしたところ、田村麻呂の霊が現れ案内した。霊は大きな馬に乗っていたことから大馬神社と呼ばれるようになったという。社殿脇に一枚岩から流れ落ちる大馬清滝がある。

大馬神社には狛犬がなく、井戸川下流の海岸にある獅子岩が阿の狛犬、獅子岩の南に位置する神仙洞の人面岩が吽の狛犬に見立てられている。

住所 三重県熊野市井戸町3444

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頭之宮四方神社

頭之宮四方神社(こうべのみやよもうじんじゃ)は三重県度会郡大紀町の神社。頭に関する諸祈願に霊験あらたかな頭之守護神・知恵の大神。学問の神様と言われ、別名「あたまの宮さん」と言われる。学業や頭の病気などにご利益があるとされています。

住所 三重県度会郡大紀町大内山3314-2

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水屋神社

水屋神社は、三重県松阪市の神社。また、フランス・ブルゴーニュに分祀社を有する。学問や縁結び、商売 繁盛、国土安全、国家安泰などにご利益があるとされています。

春日大社の安在所として天児屋根命を奉斎したことに始まる。その後、大化4(648)年、奈良の三笠山から素盞鳴命、龍神姫命を勧請し、和銅3(710)年、興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600)関ヶ原合戦以降伊勢領となる。

水屋神社の大楠は、地元では「大クスさん」と呼ばれる巨木で、樹高約35m、幹周り約12m。倭姫命が伊勢巡幸の際、作滝村の滝野神社に泊まられ、自分の姿をお写しになり化粧をされたという「姿見の池」がある。地元では「お馬さんの池」として親しまれている。

住所 三重県松阪市飯高町赤桶2507

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御在所岳

御在所岳(ございしょだけ)は、三重県三重郡菰野町と滋賀県東近江市の境にある標高1,212mの山で、御在所山とも呼ばれる。鈴鹿国定公園の中に位置し、日本二百名山、関西百名山及び鈴鹿セブンマウンテンに選定されている。

鈴鹿山脈は断層山脈である。このため三重県側から見た山脈の構造と滋賀県側から見た山の構造が著しく異なる。三重県側は切り立っており、そのため山稜の形もよく、各山からの眺望に優れている。

御在所岳は花崗岩質が多く、太古に堆積した花崗岩が侵食により山肌に現れ、いろいろな形の巨岩・奇岩が見られるのが特徴である。中道登山道には「負ばれ岩」と「地蔵岩」、山頂付近には「大黒岩」、国見尾根には「天狗岩」と「ゆるぎ岩」がある。とりわけ二つの岩の上にもう一つ岩の乗っている地蔵岩は、パワースポットとされている。

山上公園の西端には、御在所岳の最高地点の花崗岩の巨石が積み重なった「望湖台」と呼ばれる展望地があり、琵琶湖や鈴鹿山脈の山々を望むことができる。望湖台の南には、小さな神社の祠とサンショウウオが生息する小さな長者池がある。この長者池もパワースポットだという。学業成就・合格祈願にご利益があるとされています。

住所 三重県三重郡菰野町菰野

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天の岩戸

天の岩戸(恵利原の水穴)は、三重県志摩市磯部町の逢坂山中腹にある洞窟。天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男尊(すさのうのみこと)の悪事を戒める為、岩戸の中に隠れたという伝説にちなんだ洞穴。

天の岩戸から流れ出る清水が滝となった禊滝(みそぎたき)、手力男命(たぢからおのみこと)の手形石もある。湧水は志摩用水の源泉にもなっている。水神様が祀られており雨乞いのご利益もあるとされています。

住所 三重県志摩市磯部町恵利原2

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神内神社

神内神社は、三重県南牟婁郡紀宝町の神社。社殿はなく、岩壁をご神体とする。かつての熊野の自然崇拝の有り様を現在に伝えている神社のひとつである。縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。

「ごとひき岩」と呼ばれる巨岩が厳かな雰囲気を漂わせ、別名「子安神社」と呼ばれ、安産の神様としても有名。

江戸時代前期の義人として知られる佐倉宗吾を祀る佐倉宗吾宮がある。佐倉宗吾は、佐倉藩領公津村の名主で、藩主堀田氏による苛政に苦しむ百姓のために1653年(承応2年)上野寛永寺に参詣する将軍徳川家綱に直訴した。その結果、藩主の苛政は収められたが、佐倉宗吾夫妻は磔となり、男子も死罪となったという。

住所 三重県南牟婁郡紀宝町神内

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北畠神社

北畠神社(きたばたけじんじゃ)は、三重県津市美杉町上多気にある神社。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持つ。国家鎮護にご利益があるとされています。

由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20年(1643年)3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀という。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間に下るとの説もある。やがて八幡三神に倣い、北畠親房・顕家を合祀する。1881年(明治14年)11月村社北畠神社に改称。1907年(同40年)12月多芸村内の16社を合祀し、1916年(大正5年)宝庫・社務所などを整備。1928年(昭和3年)10月社殿を新造して主神を遷座し、11月10日別格官幣社に昇格した。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にあったが、天保11年(1840年)春に火災に遭い、再興しないまま1898年(明治31年)廃絶した。

住所 三重県津市美杉村上多気1148番

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花窟神社

花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は三重県熊野市有馬町に所在する神社。伊弉冊尊と軻遇突智尊を祀る。縁結びのご利益があるとされています。

今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した巨岩が御神体であり、和歌山県新宮市の神倉神社とともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。

2004年、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。

住所 三重県熊野市磯部町上之郷374

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多度大社

多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は国幣大社。

天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とする。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われた。境内には天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称される。

「北伊勢大神宮」とも呼ばれる。武者姿の少年が騎乗した馬が一気に駆け上る「上げ馬神事」でも知られる。女性特有の病にご利益があり、穴の開いた石をお供えするとよいという。婦人科の病に対してや心身共に美しくなれると言うご利益があるとされています。

住所 三重県桑名市多度町多度1681

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専修寺

専修寺は、三重県津市一身田町の寺院。

1469~1487年に真慧(しんね)が伊勢国の中心寺院として建立した。当時この寺は「無量寿院」と呼ばれており、文明10年(1478年)には真慧は朝廷の尊崇を得て、「この寺を皇室の御祈願所にする」との後土御門天皇綸旨(専修寺文書第29号)を得ることに成功した。高田の本寺が戦国時代に兵火によって炎上したことや教団の内部事情から、歴代上人がここへ居住するようになり、しだいにここが「本山専修寺」として定着した。

数多い親鸞聖人の真筆類もここへ移され、親鸞の肖像をはじめ、直弟子などの書写聖教など貴重な収蔵品を多数保持している。阿弥陀如来立像を本尊とする。

本山専修寺の伽藍は二度の火災に遭ったが再建されている。浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大な境内を持ち、周囲は寺内町を形成している。その集落は現在もはっきり見分けることができる。地元では「高田本山」と呼ばれている。

住所 三重県津市一身田町2819

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美多羅志神社

美多羅志神社(みたらしじんじゃ)は、三重県鳥羽市答志町にある神社。

美多羅志神は五男三女の子をもつ神様で、子授けのご利益があるとされている。夫婦で参拝してつがいのアワビを奉納すると、美しい瞳の子供が授かるという。

創立年代は未詳。江戸時代の『三国地誌』に「八王子祠」と見え、『志楊畧志』に「八皇子社答志村に在り」とある。明治時代以前は、神仏習合で隣の潮音寺の境内に祀られていた。

境内には「龍の顔」に似た椎の木があり、高さ約15メートル、根元の幹回り約2メートル。平成二十年の六月の例大祭の日に椎の木の折れ曲がり具合が、「龍の顔」にそっくりなのを氏子さんが発見したという。

社名の「美多羅志」は、神功皇后の本名「オキナガタラシヒメ」の「タラシ」一族と関係があり、『日本書紀』に新羅伐採のとき答志の神の援助があったことが記載されている。

海の神である龍神を深く信仰していた神功皇后にゆかりがある神社の由縁により出現したと思われており「龍神さん」の幟が上がっている。美多羅志神は五男三女の子をもつ神様で、子授けのご利益があるとされています。

住所 三重県鳥羽市答志町984

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松尾観音寺

松尾観音寺は、三重県伊勢市の寺院。奈良時代の高僧行基による開基と伝わる古刹で、既成宗派に属さず檀家ももたない祈願寺。山号は龍池山。縁結びのご利益があるとされています。

応永十年(1403年)旧暦の5月4日に本堂が火災で燃えた時、本堂裏の二つ池から2体の竜が現れ、雄竜が炎の中に飛び込み十一面観世音菩薩を体で巻き付けて救い、雌竜が何度も池の水を吹きかけ消火した、という伝説をがある。

近年、張り替えた本堂床板に「竜」が現れ、パワースポットとして話題になっている。幅10センチのケヤキ板2枚にまたがり、木の節が目と鼻、うろこに見える。「なでると幸せになれる」と言われている。

本尊の十一面観音は日本最古の厄除観音として篤い信仰を集める。3月の初午大祭が有名。

住所 三重県伊勢市楠部町156-6

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尾鷲神社

尾鷲神社は、三重県尾鷲市の神社。素戔嗚尊を祀る。尾鷲神社の大楠で知られる。

二本の楠がおよそ5mの間隔をあけて立っており、互いの枝が重なり合い一つの樹冠を形成している。南側の大きな樹が樹高18m、目通り幹周10.2m、北側が樹高24m、幹周り9.5m。樹齢1000年と推定されている。また、本殿後方の小山には幹周り9.0mの第三の大楠が聳えているが、立ち入る事はできない。

尾鷲神社の本殿は、元はこの楠の西側にあったが、宝永の大地震(1707年)による大津波で流失し、その後現在地に再建された。社宝の獅子頭は、毎年2月1~5日に行われるヤーヤ祭りで公開される。

住所 三重県尾鷲市北浦町12-5

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三重県のパワースポット一覧

パワースポットには、繭気属性というものがあり、「火・水・空・風・地」の属性があります。

自分の繭気属性は生年月日と血液型から調べることができます。

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日本全国のパワースポット一覧

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