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【翻訳】古典ゲームの完全なる再構築『FINAL FANTASY VII REMAKE』:RogerEbert.com

米映画レビューサイトRogerEbert.comの編集者ブライアン・タレリコ(Brian Tallerico)氏の『ファイナルファンタジー7リメイク』評がよかったので訳文を載せてみます(極端なネタバレはありません。もちろん当方クリア済です)。問題があれば消します。

元記事:RogerEbert.com:Final Fantasy VII Remake Completely Reimagines Classic Game

URL:https://www.rogerebert.com/video-games/final-fantasy-vii-remake-completely-reimagines-classic-game

古典ゲームの完全なる再構築『FINAL FANTASY VII REMAKE』

文:ブライアン・タレリコ 2020年05月01日

 ビデオゲームの芸術は、古典的なゲームがリメイクされ、新しい世代と、まだオリジナルを懐かしむ人々の両方にアピールするために再構築されるようになっている今では十分に歴史を持つものである。何年も前から、コンソールからコンソールへとリマスターが行われてきた。例えば、PS3のヒット作がPS4でプレイできるようにビジュアルが一新され、洗練された操作性が与えられている。それらは本質的には同じゲームだ。しかし、カプコンの『バイオハザード2』や『バイオハザード3』、4月に行われる『ファイナルファンタジーVII』の見事なオーバーホールのように隅々まで完全にリメイクされたゲームが、ゲーム界でますます興味深いジャンルになってきている。これは単なる視覚的な輝きではない。古典的なゲームをまったく新しい開発ツールでリメイクしたものであり、その結果、いくつかのリマスターやリメイクほどオリジナルとは関係のない、信じられないような2020年の体験がもたらされたのだ。もちろん、「FF」ファンであれば、ここにはもっと好きになれるものがあるだろうが、新規のプレイヤーのためにこのゲームがこの世界への入り口になることも容易に想像できる。それほどまでに親しみやすく、気軽に楽しめるゲームなのだ。

『FINAL FANTASY VII REMAKE』(以下『FF7R』)は、1997年に発売された初代プレイステーション向けのヒット作をリメイクしたシリーズの第1弾だ。その世界観やストーリーは、複数のタイトルが必要になるほどの広がりを見せている。『FF7R』の話で面白いところは、制作が噂されてからどれだけの期間が経ったかを考えると、この体験版が実際にプレイできるようになったことが業界では冗談のようなものだったということだ。2000年代初頭には、リメイクが発表されたものの、開発者が『ファイナルファンタジーXIII』とその続編に取り組むため、実質的には棚上げとなっていた。2005年には、E3でPS3のデモが上映された。その後、野村哲也氏や北瀬良典氏など、オリジナルチームの主要メンバーが中心となって本格的な開発が行われるようになったのは、さらに10年後のことだった。2020年4月、ついにゲームは家に閉じこもり何かを探している世界にリリースされ、何百万人ものプレイヤーがほぼ四半世紀前に始まった物語に再び飛び込んだ。

 我々が演じるのは、かつて悪の会社「神羅カンパニー」の兵士であり、今では反対派である「アバランチ」と呼ばれるグループに参加している青年:クラウド・ストライフだ。『FF7R』は、神羅の原子炉に爆弾を仕掛けようとしている反乱軍の新メンバーとなったクラウドが登場するところから始まる。プレイヤーは素晴らしいオープニングシーンのアクションを通して、戦闘システムの基本を学ぶ。戦闘でバーを埋め、それを使って特殊能力を発動させるシステムだが、自分のプレイスタイルに合わせたカスタマイズ性が高い。武器を探して購入したり、ポーションを使ったり、呪文を唱えたりと、基本的なRPG要素を持ったゲームだが、『デビル メイ クライ』や『ゴッド・オブ・ウォー』のようなアクションゲームの要素も取り入れている。戦闘は中毒性があり、“覚えるのは簡単だがマスターするのは難しい”という絶妙なバランスだ。

 我々はクラウドがティファという旧友によってここに連れてこられたことを知る。ティファをはじめとする味方との戦闘シーンでは、プレイヤーの操作は登場人物間を行き来することができ、最終的にはそれぞれのキャラクターの強みをしっかりと覚えていかなければ厳しい戦いをクリアすることができない。開幕まもなく、クラウドは『FF』の伝説的な場所であるミッドガルへと向かうことになる。クラウドは自分の過去に取り憑かれており、物語は出自の秘密とエコテロリストグループとの共闘、2つの方向に引っ張られていくことになる。ゲーム序盤では、ミッドガルで迷子の猫を探すようなくだらないものから、工場に跳梁跋扈するモンスター討伐のような戦闘重視のものまで、サイドミッションが次々と登場するが、ゲームは物語的には大きく一方向を向いている。

 ビジュアル的には、『FF7R』はほぼ完全に2020年のゲーム然としている。背景の一部はやや平坦で、メカニックの一部はまだ少し時代遅れの感があるが(1990年代後半というよりは2010年代前半だが)、グラフィックやゲームプレイの面ではPS4世代のタイトルと肩を並べるゲームとなっている。今までプレイしてきた『FF』のゲームの中でも、「ダンジョン」と呼ばれる戦闘が繰り返される部屋の中には、ちょっとした謎解きを伴うものもあり、かなり反復性が高く、1~2拍長いものもあったが、それも大抵の場合ボス戦では読み応えがあり、楽しいものである。例えば、ある章は大規模な戦闘で終わるが、本作はクラウド、ティファ、バレットを交互に使用して、それぞれの長所のバランスを取りながら、戦闘を完了させる必要がある。3人のキャラクターの戦術構築が必要とされ、特にマテリアと呼ばれるものによってそれぞれが唱えられる呪文が決まる。私はクラウドをファイアやサンダーのような呪文でアタッカーにし、ティファをケアルやレイズのような呪文で回復要員とした。

 確かに、それは楽しいものだが、映画の技術やストーリーテリングと何が共通しているのだろうか?RogerEbert.comでは、常にこの2つの間の共通言語を定義しようとそこに焦点を当てている。『FF7R』(そして多くの『FF』シリーズ、特に現代のゲーム)には長い映画的なカットがあり、それはSF映画やアニメ――特に日本のものから多大な影響をうけている。しかし、『FF』のフランチャイズは、その逆にも同様に、テレビや映画のストーリーテリングにも多大な影響を与えている(例えば、Netflixの『オルタード・カーボン』は『FF7』からの影響が確かに見られた)。ビデオゲームの歴史が後世に語られるとき、『ファイナルファンタジー』シリーズはそれ自身の長い章を持つことになる。30年以上の歴史を持ち、他のジャンルや物語のスタイルへと発展し、独自の劇場公開(2001年の映画『ファイナルファンタジー』)やDVDリリース(2005年の『ファイナルファンタジーVII:アドベントチルドレン』。当然ながら、オリジナルのゲームのストーリーを継承し、本作のデザインにも影響を与えている)が行われている。

『FF』のゲームは1億5千万本以上が販売されており、シリーズ最高のゲームはその芸術性を再定義している。そして、ビデオゲームのパイオニアであるチームが、ノスタルジーを感じさせず、このシリーズがどれだけ重要な存在であり、今もなお重要であるかを示すような方法で、彼らの最高傑作の一つに立ち返るということは、何か痛烈で特別なことなのである。