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ぽっかりイエロームーン

二〇一六年十二月十五日木曜日

晴れ

うちゅうだ。
ぽっかりとうちゅうが浮いている。
午前六時に見上げた満月をみて、そう思った。

一年前の朝は、お腹がちくちくと生理痛の軽い痛みをかんじて、そうだそうだ痛いってこうだった、こうやってすこしずつ痛いを思い出しながら陣痛はやって来るのか、すごいもんだなんて思っていた。まさか次の朝にのんさんを出産しているなんて思いもしていなかった。産まれたのは十六日だけれど、本格的な陣痛は十五と十六のあいだ。十五日のことはようく覚えている。

お腹が痛いと布団によこになったのだけれど、トイレに行きたくなって起き上がりまたよこになりトイレに行きたくなるを繰り返して、このままじゃ一日こうなりそうだと思い、えいやっと布団をあげた。トイレットペーパーを買いに行きがてら散歩しようと外に出る。いつもより長い距離は歩けないかもなーとゆっくり歩いた。 (いまになって思うとどこかで産まれる予感をかんじていたのだな、しばらく来られないかもと野川公園にすこし入って歩いたことを思い出した。 )
ホームセンターにトイレットペーパーを買いに寄り帰宅。いつもより早めにお風呂に入り、早めに夕ごはんをたべた。帽さんも早く帰宅してくれて、夕ごはんの支度をいっしょにした。支度をするころ、お腹の痛みがやって来る間隔が縮まっているような気がして、時計をみると二十分間隔くらい。ぐうっと痛くなる瞬間があり、うっと身体をまるめて動きをとめていると、すーっと痛みがひいてゆく。陣痛と気がついている本能とまだだろうと鈍感に思うわたし。

いちよ、入院とお産荷物をリビングに置いて眠ろうと帽さんが移した。 (前屈陣痛と本格的な陣痛の違いは、返答がなくなるのだそうだよ)なんて夕ごはんを食べながら話す。まさかその1時間後くらいにそんな状態になっているとは。お腹が痛くて眠れなくてトイレへ行くとおしるし。そこからはケモノへと向かっていったようだった。にんげんの帽さんは間隔を測ったり助産師さんに電話をしたりタクシーを呼んでくれたりしてほんとうにほんとうにほんとうに頼りになりありがたかったな。タクシーから降りるときに空を見上げたら星がきれいだったことは覚えている。助産院に着くとほのあかるい灯りのついた薄暗くされたへや (そのまま入院というか過ごすことになる畳のへや)に通される。ほら穴のなか、巣のなか、うちゅうのなか、すっぽりはいったそのなかで助産師さんの声をたよりに導かれるままに身体をうごかしていたらそこには芯のつよそうなのんさんがいた。
あたまは意外と冷静だったり、早く終われと思っていたから痛かったのだと思うけれど予想より鼻からすいかではなかったり。

思い出していたら出産のところまで書いてしまった。そこまでがひとくくり。だからきょうからのんさんのたんじょう日ははじまっている。


国分寺のシロの店主さんご夫婦と談笑して、ぱりっぱりのすてきなシルエットのスカートを購入した。

夜ごはんは、湯豆腐、ごはん。

のんさんが生まれた日の帽さんの日記に書かれていたことを聞きながらの夜ごはん。タクシーを呼んだ時間、破水した時間などが記されていた。のんさんがすぽっとこの世におりてきた四時二十三分にあしたは起きようと帽さんは言って布団に入った。

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