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Z級の日々:気まぐれ爆弾

「檸檬爆弾」と言えば、多くの人は梶井基次郎の『檸檬』を思い浮かべるだろう。陰鬱な主人公の内面と対照的なほど鮮やかな檸檬が鮮やかなあの短編である。私は高校生の時に現代文の授業で読んだが、現在でも頻出らしい。

主人公が思いがけず購入した、檸檬という黄色の果物を爆弾に見立て書店の棚に置き去りにするシーンが非常に印象的だ。読んでしばらくは誰もが「爆弾」を仕掛けたくなったことだろう。

かく言う私は現在進行形で設置し続けている。場所は図書館。曜日も時間帯もランダム。だって貸出上限の都合であぶれた本を仕掛けるから。大抵の図書館には、「返すところが分からない本」を置く棚が用意されているので、そこに「余り」を設置するのだ。

そもそも自分が手に取る本は、新旧関係なく貸出の痕跡がないものが多い。高校生くらいまでは「自分しか借りてない!これは運命か?!」と優越感やスノビズムに浸っていたが、次第に購入者アンケートのハガキが差し込まれっぱなしなんてことがザラになり、最近は「誰にも読まれていない痕跡」を見つけても特に意識が払われることも無くなった。
だからと言って、「もっとみんな読むべき!」みたいな正義感が揺さぶられる訳ではない。それは司書の仕事だ。ただ「溢れた」という事実を自分の中で痕跡にしたいだけなのだと思う。大体、自分の借りている本の数は常に把握しているから、余程のことがない限り上限を超える量を手にすることもほとんどない。全てが気まぐれなのだ。

漫画や映画では、よく「盆や正月にしか会わないし、訳のわからん意味深なことを子どもに言う、何をしているんだかよく分からない親戚の叔父さん/叔母さん」が登場する。高校生の頃の自分はそんな「不思議な大人」に憧れて、年の離れた妹に意味深そうな言葉を定期的に言っていた。そして大体そんな感じになった。妹には唐突に社会派の映画DVDを送りつけていた時期もある。これもある意味「爆弾」かもしれない。

あの頃の自分が今の姿を見たら、きっと漫画の主人公のように変な顔をするだろう。そして、今の自分はそんな怪訝そうな自分を見て不敵に笑ってカッコつけて「檸檬」を遠くに投げて立ち去る。そんな感じだ。

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