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Z級備忘録2023年8月下旬:ひぐらしのなく頃は今もお盆のまま

お盆前だっただろうか。朝の通勤途中に会社の最寄り駅でひぐらしの鳴き声が聞こえた。7月はあちこちでアブラゼミが鳴き喚くあまり頭にまで響いて頭痛がしたほどだった。さながらバイノーラルアブラゼミだ。
それがお盆前には収束して「カナカナカナ……」と控えめなひぐらしに変わっていた。そっか、もうすぐお盆か、夏も終わるなあ、早いなあ…と思ったのも束の間、「いやいやまだまだ酷暑じゃないか??」と思わず突っ込んでしまった。

ここ10年くらいの体感だが「暑さは彼岸まで」の慣用句はどこへやら、普通に10月上旬まで汗だくになっている気がする。9~10月は涼しいだろうと余裕をこいて薄めの長袖でディズニーリゾートのハロウィーンイベントに臨んで、8月並みの猛暑日になり後悔したことは何度もある。異常気象のせいか全然秋が来ない。
そんな気候でもひぐらしは律儀にお盆前には鳴きはじめ、それに続いてツクツクボウシも現れる。こんなに秋がやってくるのが遅いのならもう少し羽化の時季が遅くても良さそうだが、どうやらセミにはフレックスタイム制の概念はないらしい。


最近読んだ伊藤雄馬氏の『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』(集英社インターナショナル、2023年2月)という書籍がある。ムラブリというタイにいる無文字社会の人々の生活の研究の一部が言語学の観点から紹介されているのだが、ムラブリ社会にはカレンダーも暦もないらしい。実際彼らが生活していく中で「雨が続き始めたから雨季だ」というような感覚とのこと。最初は筆者も暦=カレンダーのない生活に戸惑ったようだが、彼らとの生活が長くなるにつれて次第に「暦に縛られて生きる日本人はなんだか不思議だ、気候が先で暦があと」と感じるようになったという。
読んでいるときは「暦だけで9月なのにまだ暑いとかどうこう言うのは暦が発明されたから起こる会話なのか、確かに面白いな」と思っていたが、どうやらヒグラシには体内時計ならぬ体内暦があるようで、同じく暦を持たないはずのムラブリとは対照に現実の気候に左右されず暦通りの一生を過ごすようだ。生物の授業は気持ち悪くて好きではなかったが、柄にもなくというか珍しくというか、なんだか虫の生態の方が面白く感じる。
もし私が幼気な小学生なら、NHKの「夏休み子ども科学電話相談」に質問できていたのに…。昆虫館に足を運ぶしかないのかもしれない。気乗りしないな…うっかり貴重な虫を条件反射で潰すかもしれんのに…そもそもあんまり虫の類は好きじゃないからあんまり行きたくないな…。でも何としても知りたい。行くか…。


追記:2023年8月30日
最近なぜか「日付」の感覚がどんどん薄れている気がする。業務カレンダーや納期管理などで当たり前に「○日まで」「○週間後」とカレンダーをつかっているのに、なぜか「今日は○日(追記してる日なら30日)」という感覚が欠落していく。なんだか少しずつ無暦人間になっていきそうだ。

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