平等にみんな狂ってることをみんな隠してる
あるラッパーはこうリリックに残した。
お前が頑張れエセ評論家
なにか頑張ってる時に、他人から批評されると
外野がうるせーな。
と思うことは往々としてある。
この、他人の畑をガシガシと領海侵犯して不快にさせる深層心理には何があるのだろうか?
結論、自分の存在意義を証明したい派と自分はマトモな人間で社会を代表する社会人(広義の)であることを証明したい人の2つあるかと思う。
いずれにしても、何かに縋ってないと精神的に平静を保てない人だと思う。
他人を比較対象にして自分の素晴らしさを立証するのだ。
さて、こんなことは散々議論されてきた話だ。
さっき話したみんな自分が正しくてマトモだと思いたいというのは逆に結局みんな根本では狂ってるということだと思う。
小学校のころを思い出してほしい。
個性だらけで各個人の色が際立って放たれている教室。一方で大人になると、社会人のマナーだとか〇〇らしくとか謳って、一律に行動するようになる。なぜか皆同じに見えてくる。
でも一方でマナーとかなんとか言ってる裏では、不倫・談合・その他汚いことを日々ネズミのように駆け回りながら行っている。
世の中の人の狂った部分は死んでいるわけではない。
社会人になって気づいた。
ただ表面上は見えないだけで、、、
でも表面上は押し殺されているからこそ、汚いところで狂いが出現する。
イカれていると噂の彼も、尖っていた彼女もみんな社会人として、上司に従順に労働している。
そしてどこかで悪いことをしている。
誰しも人生のどこかのタイミングで、社会人として頭を丸めて部品のように生きるか、自立して自分をハンドリングして自分の道を生きるか(もちろん途中で故障してもだれも治してくれない)。
どちらかを選ばないといけない。
この選択、ミスるとただのどす黒い人間になる。
無理して仕事が楽しいと言うような大人にだけはなりたくない。
どう生きたいか、何を大切にしたいか、しっかり考えないとな。
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