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詩『日記』

とりもちが絡まり身動きのできないゴキブリが僕に向かってこう言った。狂気を作りなさい、と。僕はその意味を理解できなかった。近いうちに生きたまま燃えるゴミに出されるから僕を懐柔しようとしているのだろうと答えたら、ゴキブリは悲しそうな顔をした。

僕はこのやり取りを忘れないように日記に記録した。

空を見上げると花王のロゴみたいな月が僕に向かってこう言った。日頃から憎しみや妬み、殺意をノートに書き連ねなさい、と。僕は三日坊主を見透かされたようで少し恥ずかしかった。そうしますと答えたら、月は優しく微笑んだ。

僕はこのやり取りを忘れないように日記に記録した。

駅の待合室で座っていると隣にいた女の子が僕に向かってこう言った。自分が正しいと思うことをやりなさい、と。実際、僕は人の顔色ばかり伺って自分が思ったことをやってこなかった。そうしますと答えたら、女の子は頷いて待合室を出ていった。

僕はこのやり取りを忘れないように日記に記録した。

酔ってソファに横になっている父が僕に向かってこう言った。価値とは交換であり価値そのものは存在しない、と。僕はどう受け止めるべきか分からなかった。何も答えずにいたら、父はいびきをかいて寝てしまった。

僕はこのやり取りを忘れないように日記に記録した。

寝る前に日記を読み返す。何度か反芻する。日記の中の言葉がアメーバのようにぐにゃぐにゃと繋がってやがて人の形になる。そいつはちりちりと耳障りな音をさせながらこう言った。狂気を作れば全てが上手くいく、何も考えずにやれ、と。僕はノートを閉じ鏡に映る自分に向けて大きな笑顔を作った。鏡の中の僕は言った。それでいい全ては許されているから、と。

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