カギの人 キキさんの話 その2

キキさんは、このころ、仕事で行き詰っていました。でも、もう少し頑張ってみたかったのです。キキさんの家は、小さなお店でした。 父のモウさんが弱ってきたので、母親のミミさんが切り回していました。 両親は、最初キキさんが結婚して、この店を継いでほしい、と思っていましたが、キキさんは、その願いをかなえることはしませんでした。それは、キキさんにとって、両親への一つの負い目でした。仕事をやめてこの店をやる、というのが本当だけど、踏み切ることのできないキキさんでした。
それでも、その後の2年間、何度も、弱ったモウさんと、ミミさんと、キキさんの3人で、ゆっくりとお出かけをしました。モウさんが、杖をつきながら、少し歩いては、疲れる、といって立ち止まり、クスノキの実を拾って、指でつぶして、その香りを吸い込んでいるすがたを、キキさんは今も思い出します。
ある時、モウさんがストーブの前でうたたねをして、低温やけどになり、立ち上がることもできなくなりました。 動けなくなったモウさんを前にして、キキさんもミミさんの途方にくれたのです。 モウさんは布団に寝ていました。 ベッドではなく、布団の上で、オムツを替えたり、食事を食べさせたりするのは至難の業でした。
このとき、往診にきてくれたお医者さんが、手配をしてくれて、すぐに入院がきまりました。 もし、入院が1週間先だったら、キキさんもミミさんも倒れていたでしょう。
さて、入院のその日、モウさんを介護タクシーにのせて、遠く離れた病院まで行く道筋で、隣に乗ったキキさんは胸がつぶれそうなほど、悲しかったのです。 モウさんが行く病院は療養型病院であり、モウさんはもう家には帰ってこられないかもしれない、それは大変に悲しいことでした。 モウさんを病室において、帰った次の日の朝、キキさんは自分の首をさわってびっくりしました。ぐりぐりがいっぱいあったのです。 ストレスでリンパ節が腫れたのです。
キキさんは38歳になっていました。 たぶん、モウさんが亡くなったときよりも、病院に送っていく、家から生きて出ていくその時が、キキさんにとってはつらく悲しい思い出です。

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