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「何にもしないをしている」のも大変

薬のせいなのだろうか。ここ2週間くらい思考能力が低下している。以前なら散歩しながら自由律俳句を考えたり、なにか新しい発見をしたりということがあったのに、今は“ただ”散歩している。

そういえば桜玉吉のマンガでも「たいらな気持ち」と安定剤を飲んでいる玉吉が無表情で語る場面があったが、そんな状態なんだろうか。そして一日中とても眠たい。これを「いい状態」と言うのかどうか分からないが、落ち込みは少なくなった気はする。ただ、自律神経の方は依然としてぶっ壊れているようで、気圧の変化に過敏に反応してしまうようだ。

とにかく問題は何かにつけて気力がないこと。いま、つらつらと書いているこの駄文も、1週間ダラダラしてようやく書き始めた。

色々とホラー映画やサスペンス映画を観ているので、それらのことを書きたい気持ちもあるのだが、文章の構成や感想のまとめ、そこからの考察なんかが本当に出来なくて困っている。何を書いていいのか分からないという初歩的な壁に阻まれている。しかもその壁、とても薄っぺらく低いのだ。正面からぶち壊すことも、跨ぐことも、横から通ることも出来るレベルのものだ。なのに、壁をただボーっと見ている。

薬すごいなぁと変な感心をしてしまう。

noteを毎日更新していたのを110日で止めてしまい、そこから週一くらいの頻度にしたのだが、それも生活の張りがなくなって良くなかったのかもしれない。

Twitterフォローもしている編集者の竹村俊助さん『書くのがしんどい』でも読んでみようかなんて思う。いま、まさに「書くのがしんどい」感じになっているのだ。まあ、仕事でもないのに無理に書く必要もないかもしれないが、アウトプットする習慣を付けていないと本当に日々の生活が無為に過ぎていくばかりで焦る。

「何にもしないをしているんだよ」

という『くまのプーさん』の大好きな台詞がある。クリストファー・ロビンの名言だ。今は僕も「何にもしないをしている」ことを良しとすればいいのかもしれない。が、いざ自分がその状態になると、こんなに不安になるとは思わなかった。「何にもしないをする」のは普段「何かをしている」から出来ることなんだと思う。

何にもしないだけだと生きる意味も見失いそうだ。

まあ、こういう小難しく考えることも良くないのも分かっている。ただ、そういう感情すら出なくなっているのは、もっと良くない気がしたので駄文に残しておこうと思った。

いま「駄文だ」と書いていたら「だっふんだ」と急に脳裏に浮かんだ。志村けんイズムは僕の心にも根付いている。笑って、なるべく楽しみながら日々を過ごそう。

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