なんでも作ってみるのがすきである

なんでも、というと言い過ぎな感はあるが、私は料理においてはどんなものでも作ってみるのが好きである。

お店でしか出ないような盛り付けを自分のためだけにしてみたり、他に使い道の思いつかない調味料をちょっと買ってみて聞いたこともないような名前の料理を作ることもある。

とにかく、自分の手でつくって成功すれば自分を褒め。失敗すればどこを変えると良いのかをうんうん一人で考えている。

私生活も、仕事も実は自分の思い通りにことが運ぶというのは稀で、人の営みの中で比較的コントローラブルなのは料理ぐらいなんじゃないかなと思っている。思い通りにいかないあれやこれやへの思いを「美味しくなりますように」という願いを込めてそれなりにコントロール可能な料理という行為で消化をしているのだろう。と、今のところは自分の行動を分析している。


思えば女手一つで姉・兄・私を育ててくれた母も、聞いたこともないような料理をよく作っていた。例えばまだ、タピオカと言えば白い細かい粒をスプーンで食べるものを指していた頃。どこで買ったかは知らないが、今流行っているような黒い大きいタピオカを買ってきたことがあった。一晩水につけて、炊飯器でたいたりしてタピオカを作ってくれた。思ったよりも面倒だったらしく、ぶつぶつとその手間への不平不満を漏らしながらもちょっと楽しそうに作っていた姿が印象的だったのを覚えている。

きっと母も今よりももっと女性が働くことが困難な時代の中で、子供3人を抱えて生きることの大変さみたいなものを料理で発散していたのではないかと思った。だが、思い返してみれば母は常に、そして今でも「私の圧倒的なセンスによりどんなものでも美味しくできて、自分の作ったものでも美味しく感じるから、作りたくなるのよねぇ」とこぼしていたので、多分本当にただおいしいからなんでも作っていたのだろうとも思ったりしているが、実際のところはわからない。

「いちごのオムレツ」これは我々兄弟の間で語り継がれるメニューである。ある時、母はどこでみたのかわからないが、それを作り食卓に並べた。デザートなのかおかずなのか、そのどちらでもないのかすらわからない食材の組み合わせに、幼いながらも戸惑いを覚えた記憶がある。自信満々の母を前に我々子供達はそれを口に運んだ。

「卵とは、鳥になるものである」

口に入れた瞬間に広がる卵とバターの温かいかおり。そして、後から広がるイチゴのジューシーさとあざやかな酸味。

この二つが合わさると、卵はその未来の姿である鶏のきわめて鳥類らしい香りをかもし出し、イチゴはその生温さもあいまって、もともと植物になっていたのである(というより今もなお植物である)ということを声高に口の中に響かせてきた。

目を白黒させながらその味と格闘する我々をみた母は半分怒りながら、もう半分は不安の色を浮かべながら、そのオムレツを口に運んだ。

イチゴのオムレツは二度と食卓に並ぶことはなかった。

私はそんな母のフロンティア精神を受け継ぎ、なんでも作ってみたくなる人間になったのだろう。

私が今日作った「簡単!3分でできるレアチーズケーキ(生クリームなし)」は、今後また作る予定は、いまのところない。


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