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映画「スラムダンク」感想 ~複層的としか表現できない作品~  ※ネタバレあり



はじめに


初めまして。この記事を開いて下さってありがとうございます。

映画『THE FIRST SLUM DUNK』。漫画スラムダンクに人生を変えてもらったと感じている私にとって、語り尽くせないほどの作品でした。あくまで備忘録として、複層的に生まれた感想と考察をここに残します。映画を楽しまれた方に、こういう風に感じた・捉えた人もいたのかと、知ってもらえたら嬉しいです。

なぜ”複層的”なのか

まず、大前提として私は、わざわざ慣れないブログを書こうとするくらい、この映画に強い感銘を受けました。素晴らしい作品だと感じました。

しかし一方で、人によって評価が大きく分かれるとも感じました。私自身も「もうこのシーンだけで観る価値がある」と震え、泣いた瞬間もあれば、「なるほど、こうなるのか・・・」という、落胆とはまた違う、なにか納得と冷静さを同時に食らうような瞬間とが、ミルフィーユのように折り重なった体験をしました。一言では到底まとめられないし、「じゃあ取っ散らかってひどい出来ってこと?」と問われると、それも違う。「一層一層がそれぞれ最高に輝いていた」としか言えない。こんな新しい作品は初めてです。

プロの物書きでもない私には手に余る作品なため、無理やり整理をするために、印象に残った要素やシーンを1~5の段階であえて評価します。しかし、1であっても、批判・否定では決してなく、個人的に考えてしまう部分があった、という意味です。宜しくお願い致します。

「主人公」宮城リョータ(評価:5) 

原作にはなかった「宮城リョータの物語」が大幅に加筆され、ストーリーの主軸を担いました。今作は宮城が主人公と言って差し支えないでしょう。
非常に精密かつ感情移入させられるストーリーで、中盤の山場では鼻からもスーっと流れてくるほどの、無言の大号泣でした。
宮城というキャラクターを数十年越しで理解すると同時に、「諦めたらそこで試合終了ですよ」や、キャッチコピーの「ただ負けたくなかった」をはじめとする、「スラムダンクが伝えたかったこと」が凝縮されていました。

同時に、後述しますが、「山王戦をただ映像化する」ことが、いかに作品として意義・意味を見出しづらく、面白みに欠けてしまうのかが実物を見て分かった今となっては英断だったとも思います。いっそのこと山王戦の名シーンたちも宮城目線に振り切ったほうがなお好きだったかもしれない(理由は後述)

以下個別に印象に残った点

  • 母との複雑な関係が描かれ、原作宮城の、自信家に見えて自己評価が低い理由(強敵を前にビビる)の謎が解けた。秘密基地での慟哭とその後の練習シーンには号泣した。「生きてるのが俺の方でごめんなさい」は息を呑んだ。宮城、きみは頑張った・・・めちゃくちゃカッコいいよ・・・

  • 宮城と三井のまさかの中学時代の邂逅。この2人、原作でも出会いが最悪な割に仲良いなと思っていたら、三井は宮城のお兄さんに重なるんですね。バスケうまくて(中学MVP)、リーダーシップがあって(中学ではキャプテン、不良時代も番格)。宮城と1on1していたら友人2人がふらっと来て連れていってしまう、というデジャブも、お兄さんと三井が重なることの表現でしたね。

  • アメリカ行きのラスト。NBAに挑戦する日本人が最早珍しくなくなった現在の感覚を基準とした時、山王をも超える挑戦として「低身長の宮城がアメリカ」というのは個人的に納得でした。なぜ山王側で沢北だけが深堀られてたの?という謎も一緒に解けた、最後のサプライズ、最高。

原画風OPの山王の迫力(評価:5) 

いやこれだけでお金払う価値がありました。湘北もカッコよすぎるが、それ以上に山王の王者オーラがやばかった。山王戦は漫画で数百回読んだけど、こんなにも山王が「強そう・・・え、こいつらと戦るの・・?怖すぎ」となったことはなかった。やっぱ井上先生の絵でしか伝わらないものがある

正しさが枷になったCG山王戦(評価:3) 

これは落胆ではなく納得に近い感情でした。「なるほど・・アニメでやるとこうなるのか・・」という。結末どころか過程まで記憶しているコアファンにとって、漫画山王戦の感動は絶対超えようがないという、今となっては「そりゃそうか」な話なんですが、これは実際にモノが出来上がらないと分からなかったと思う。納得。
SNSではCGである点が公開前から批判されてましたが、これたぶん手書きアニメでやっても50歩100歩な気がします。ベターにはなるけど、漫画を超える感動という期待値は絶対に満たせない。あのストーリー、テンポ、セリフたちは、漫画のために生まれたものだから、そのままアニメにすると最高ではなくなる。映画用に削った様々な要素はそのどれも間違ってなかったと思うからこそ、これ以上は無理筋。ただ、だから映画の主題を宮城のドラマにしたのだとも思ったし、結果として映画全体の魅力は十分すぎるほどだったと思いました。

一方で、50歩100歩とはいったものの、手書きアニメのほうが良かったろうなという点も確実にありました。それは、CGでは「嘘が書けない」という点です。手書きアニメの方が、客観的な正しさだけでなく、主観的な正しさを書けます。

赤木にとって終盤までの河田は、自分以上に大きく見えたでしょう。
松本にとって終盤の三井は、不気味なオーラを帯びて見えたでしょう。
観客にとって終盤の桜木は、より高く跳んでいたように見えたでしょう。

しかしCGだと、河田はいついかなる時も赤木以下の194cmでしかなく、三井はオーラを発しないし、桜木のジャンプは常軌を逸している高さには見えません。

アニメや漫画は、人が実際に感情を通して認識している世界を、観客に伝わるように嘘を交える(大小を変える、空間を歪ませる、本来見えないものを足す等)ことで表現できますが、CGではそれが難しい。主観ではなく客観的に正しい描写が永続する。これが、山王戦自体のクオリティの、大きな足かせになっていたとは思います。

まさかの一番浮いてた桜木(評価:3) 

これは非常にもったいなかったと感じました。この映画で一番世界観にハマっていなかったのが、よりによって本来の主人公の桜木。

個人的には、この映画において私たち観客は、新しい過去の深堀り量の順番にキャラに感情移入し、息づいた存在として認識して没入していたように思います。ざっくりですが、主要メンバーの新深堀り量は下記の認識です。

宮城>赤木>三井>沢北>流川>(越えられない壁)> 桜木

流川は沢北よりもシーンが少なく1シーンのみ、桜木に至っては新たな深堀りが一切なしの0シーンでした。結果、桜木が最初から最後までずっと一人別世界の住人のようになっていました。これは声優さんの演技の問題などではなく、この構造によって生まれたものではと感じています。

あまりに差があるので、おそらく何らか明確な意図をもってそうなった(主人公の宮城を食わないよう影響力を抑える、本来の主人公という特別な立ち位置を表現、など?)のではないかと思いますが、結果的に桜木が何かするたびに没入感が冷めるため、非常にもったいなかったと感じています。

「母の代理」となった彩子さん(評価:4) 

宮城が山王戦後に初めて母に告白した「怖さ」(山王だけでなく、兄が亡くなったあとの全てに対する怖さ)を最初に聞く役割、そして、クライマックスで実は会場に来ていた母に代わって「行け!リョータ!」と叫ぶ役割を担った彩子さんは、物語の構造上では宮城の「母の代理」であり、非常に深い関係性が示唆されています。原作では宮城の片思いとしか感じられなかった二人の関係でしたが、こりゃ結婚あるのでは・・とまで感じさせるような、深みを感じましたね。

「大好きです、今度は嘘じゃないっす」まで削られた桜木花道とは対照的ですね。とことん桜木花道が不遇だ・・・(泣笑い)
※削ったことは作品のバランス的にこの上なく適切と思ってます。

神が勝敗を左右した?沢北の神頼み(評価:??) 

ここは地味ながら一番衝撃を受けたシーンだったかもしれません。
なぜなら、原作の補完ではなく、原作の意味が180度変わり得るものと感じたからです。

沢北「俺に必要な経験をください」→「湘北戦敗北」という流れは、
湘北の才能と意志とケミストリーでつかみ取った山王戦の奇跡が、
実は沢北を更に成長させるための「神のご意思」であったかも、
という側面が誕生した為です。物語の主人公・主軸を逆転させ得る強烈な要素です。

今回描かれた沢北は、劇中登場人物の範囲内で「最もバスケに身を捧げ、現状最も高みに到達した人間」という役割を課されていたと感じました(流川も同類だがやや下)。ある意味、バスケにおける「神頼み」を聞いてもらえるとして、一番説得力があるのは今回の登場人物だと沢北でしょう。

今回の映画はかなり”リアルさ”にこだわって作られていましたが(プレー中に喋るには無理のある長さのセリフがカット、ないし、独白に置き換えられるなど)、そのリアルさの中で湘北が山王に勝つためには、神に愛された沢北の「神頼み」も絡ませないと不自然と井上先生が考えたのか、はたまた、むしろそれが全てであったということなのか・・・ 

解釈によっては原作の意味が180度変わってしまう、劇物にも感じられたというのは大げさでしょうか。バガボンドやリアルを経て、今の井上先生に勝負の世界がどう見えているのか、私にはまだわかりません。しかし、何かを極めた人だけに分かる超越的感覚があると私は思っているので、井上先生も、そうした何かを感じてこのシーンをいれたのだと思っています。


まとめ 

ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
色々と書きましたが、こんなにも面白く、ゆさぶられた作品に出合ったのは本当に久しぶりで、中学時代にスラムダンクを始めて読んだ時の衝撃と熱さが蘇りました。

井上先生、そして、この作品に関わられた全ての人に感謝を捧げます。
素晴らしい作品を、ありがとうございました。



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