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保育園に運動会は必要なのか

運動会という言葉をきくと、どのようなイメージを持つだろうか。

リレー、玉入れ、パン食い競争、組体操。

一生懸命に競技をする子どもたちと、それを応援する保護者。

そして保育士もまた、子どもの成長を見ることができる。

まさに保育園にとってはなくてはならない行事である。

と、保育士になるまでは思っていた。

実際、競技をしている子どもたちが一生懸命に行っているのは間違いない。
子どもたちの成長を見ることができる、その成果を保護者が見ることができるという点で、運動会という行事にメリットがあることはわかる。

しかし、保育士として運動会を行う中で、これっておかしいのではないかと思うようになってきた。

それをつらつらと書こうと思う。

練習のため、遊べなくなってしまう

私は、子どもにとって、遊びこそが最も重要な活動であると感じている。

ひたすらにブロック遊びを行ったり、友達と時間を忘れて鬼ごっこをしたり、綺麗な泥団子を作ってみたり。

自分の興味の向くまま、ひたすらに遊びこむことこそが子どもの最も大事なことであり、必要なことであると感じている。

ところが、運動会があると、運動会に向けて練習をしなくてはならない。

ダンスの動きの練習、バトンの渡し方の練習、移動の仕方などなど。

そして、その練習をすることで好きな遊びをする時間がなくなってしまう。

練習も遊びの一つだ、という意見もあるかもしれない。

鬼ごっこが好きなら、かけっこの練習をすることは楽しいし、まさに遊びじゃないかと。

確かに、好きな人とってはそうかもしれない。

だが、苦手な人にとっては? 足が遅い人にとってみれば、かけっこの練習はただきついだけの時間になってしまわないか。

そしてもう一つ、走るのが好きな人であっても、いつもかけっこをしたいとは限らない。

かけっこが終わった後にあやとりをしたり。今日はもうかけっこの気分じゃないという時があるだろう。

以前、私が読んでいた遊びについての本の中で、印象に残ったフレーズがある。

『遊びは、強制されてするものではありません。いつでもやめる自由があります』
「遊びが学びに欠かせないわけ」(著ピーター・グレイ)

まさに遊びは、いつでもやめられるからこそ、遊びの側面があるのだ。

運動会の練習は遊びではない。

誰のための運動会か

そんなの子どものための運動会に決まっているじゃないか、と思うかもしれない。

本当にそうだろうか。

例えば、組体操。

私たちがみている分には、楽しい。普段やんちゃな子どもたちが、ピシッっとしていたり、歯を食いしばって重さに耐えている様を見ていると、感動すら覚えるかもしれない。

だがそれは、あまりに大人都合の活動ではないだろうか。

より直接的な表現で言えば、組体操は大人に見せるために行っている。

考えてみてほしい、普段の子どもたちが遊んでいる中で、「俺はどうしても組体操をしたい!」 「この組体操を大人にみせたいんだ!」 という子どもがいただろうか。

私たちが子どものころ、大人に言われなくても、自分から組体操をしたいと感じ、心から喜びを得ていただろうか。

行事は、子どもたちのためのものであるべきである。

運動会をこうしてみたらどうか

ここまで書いてきたが、私は運動会をいますぐ廃止しようというつもりはない。

保護者が子どもたちの姿を見る、成長を感じる場として、運動会の役割はあると思うのだ。

それでは、どうすればいいか。

私は、「子どもたちが今楽しんでいることをする」ということが一つの答えなのではないかと思う。

例えば走ることが一番という子は、園庭を端から端まで思いっきり走ってみたり。

木登りが好きな子は、一番高い木を登ってみたり。

運動をするよりもブロック遊びが好きなら、ブロックを高く積み上げてもいいかもしれない。

そうやって、今一番楽しんでいることを行う行事にする。

それこそが、遊びであり、子どものための運動会になるのではないかと思う。


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