不登校の子なんて存在しない
ネットを見ていたら、こんな記事を見つけた。
だから「学校に行かない子」が増え続ける…SNSで広がる「無理して行かなくてもいい」論に抱く"強烈な違和感" 見守り、寄り添うだけでは問題が長引くだけ #プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/85856
私がこの記事を読んで感じたこと。
そもそもとして、不登校の子という言葉がよくないと思う。
ゲームをすることが好きで、友だちとスマブラをやって楽しんでいるAくん。
漢字の書き取りが好きで、もくもくと静かにやることが楽しいBちゃん。
朝は苦手だけど、夕方頃からだんだん元気になってくるCくん。
その子たちが、学校に行けてない、ただそれだけの話。
だから、まずは「不登校の子」というレッテルを貼ることをやめるところから始める必要があると思う。
その上で、「不登校である問題」ってなんだろう。
この記事を見ていると、「学校に行けていないこと自体が問題」って印象を受ける。
でも、それは違うと思う。
その子が何に困っているのか、悩んでいるのか、もしかしたら特に問題を感じていないのかもしれない。
Aくんは、学校の授業についていくのが大変で、学校に行けていないのかもしれない。
Bちゃんは、ざわざわしている場所が苦手なのかもしれない。
Cくんは、朝起きるのが苦手で、始業時間に間に合わないのかもしれない。
そして、こう書いたように物事はそんなに単純じゃない。
他の原因や背景が重なって、様々な困り感や難しさを抱えている。
だから、〇〇メソッドみたいな、こうすれば必ず解決できる、なんてアプローチは存在しないのだ。
そのことを大人は理解する必要がある。
その上で大人はどうすればいいのか。
まずは、安心を作ることが必要だろう。
居場所づくり、と言いかえてもいい。
もし保護者なら、その子にとって家庭が「いてもいいよ」って安心できる場所であること。
そして、「あなたの理解者だよ」って安心できる存在であること。
これが最重要事項である。これがすべての土台である。
だから、学校に行かせなきゃ、解決しなきゃと思うのではなく、まずはそこからだと思うのだ。
そうすると、子どもたちはメッセージを出すと思う。
それは言葉であったり、態度であったり、行動であったり。
ときには、反抗的なものであるかもしれない。
でも、それも一つのメッセージ。
そこから、対話をしていく。
言葉のやりとりでなくてもいい。
ラインでもいいし、手紙でもいいし。
子どもたちはよく考えている。
だから、どうすればいいのか、子どもたちが一番わかっている。
向かうべき方向を理解しているはず。
子どもたちのコンパスを信じて、じっと待ち、対話を重ねていく。
すると、子どもたちはやがて、方向を示す。
大人はその方向に対して、サポートをする。
選んだ方向に対して、一緒にオールを漕いであげる。
それが、大人ができることだと思うのだ。