とんがった教育とバランスの取れた教育

私は、幼稚園からはじまり、大学の学部までどっぷり日本で教育を受けてきました。自分が受けてきた日本での教育がベースにあり、何かを測るものさしになっています。なので、わが子がアメリカの幼稚園、小学校、中学校、そして高校へ通う中で見聞きすることは、つねに違和感と疑問がつきまといます。

そんな中、アメリカと日本の教育を比べると、アメリカが「とんがった教育」なら、日本は「バランスの取れた教育」と言えるのではないでしょうか。アメリカの場合、何かに抜きん出ることを奨励し、抜きん出た者に対して惜しみない教育投資と機会が施されます。日本のように、バランスの取れた人間になることは必ずしも求められていません。

そう思う理由として、一例を挙げましょう。私の娘が通うアメリカの公立学校の場合、芸術科目は音楽か美術の二者択一です。彼女は、小学生の時にトランペットを選択した流れで、中学でも音楽を選択し、高校までいたっています。なので、これまで一度も美術の授業を受けたことがありません。つまり、絵の基本的な描き方すら学校で習ったことがありません。

音楽の授業の場合、日本だと楽譜の読み方や指揮法、洋楽・和楽の違い、音楽史など、バランスよく体系的に教わると思います。でも、アメリカの場合、いきなり楽器を選ぶことから始まります。そして、吹奏楽と弦楽、コーラス、に分かれて授業が行われるのです。毎日の時間割が同じなので、必然的に毎日、授業で楽器を吹くことになります。来る日も来る日も同じ楽器を授業で奏でることになります。そして年に数回、コンサートが開かれ、父兄の前で成果を発表します。

優秀な生徒はコンサート中、独奏パートが設けられ、前に出てきて吹くことになります。日本のように、放課後、部活でみんなと一生懸命練習するのとは何か違います。選ばれる生徒は、音楽一家だったり、有名な先生の個人レッスンを受けていたり、学校外の楽団にも属していたり、あくまで個人でシビアに戦っています。個が大切なのです。

極論を言えば、トランペットでとんがることができたら、それを突き進めばよく、他のことはできなくても構わない。だから、音楽をやるのなら、美術までやる必要はない。バランスよく何もかもできなくて構わないのです。そういうロジックが成立するのがアメリカです。

とんがった教育か、バランスの取れた教育か。とんがることをよしとする教育環境にあっても、抜きんでた才能を持ち、それを発揮する人などそう多くはいないわけで、日本のように基礎学力を大切にする、バランスの取れた教育も大切だとアメリカの教育を見ていて感じたりもします。

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