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今、ここから先、終わりを見ても

最近「終わる時」を意識することが多くなった。
「老い」が身近にあるなって。
今すぐ自分の身体がどうこうって状態ではないのよ。

とても精力的にお仕事されてた方が
「店じまい」を意識してらっしゃるとか。

熱心にダンスサークルに参加していた方が
コロナをきっかけに足が遠のき、
風のうわさでは痴呆症になってしまったとか。

一番大きいのは
病気で倒れ、家に1年のうち
数回帰ってこられるかどうか、になってしまった実父の姿だな・・。

「終わるときは必ず来る」と決められているのに
少し前まではそれが想像つかなかった。

おうちコープがくる曜日。
ヤクルトさんがくる曜日。
ダンスレッスンがある曜日。

「一週間が早いねぇ」なんて言いながら、
また次の週もその日は来る。
それを当たり前だと思っているからだ。

踊れなくなる、撮れなくなる、書けなくなる。
想像がつかないのではなく、思うだけでそれがとてもこわかったんだ。
自分、そうしたらどうなっちゃうんだろって。

久しぶりに知人とばったり会う、ということが
たてつづけにあった。
1人は私より一回り近く先輩。
「あんた変わんないねぇ。シワなんかないじゃぁ」って
言ってくださって。
「いえいえ、もうほうれい線とか、おでことか、白髪だってえらいこっちゃですよ。」と慌てる私に彼女は
「いんや、変わんない!わたし、まじまじと見たもん」
って(笑)
え??いやいやいや、まじまじはダメですよーーーー!!
2人でゲラゲラ笑った。そんでなんか嬉しかった。

もう1人は年下の方。
お子さんもうちの子と近い。
「わぁ、お変わりないですね。」って。
チャキチャキお祭りやってた頃と変わってないって
安心してくれた。
(お祭り女だった私。その話は機会があればいずれ)

「変わらない」のはある意味「良いこと」なのでは、と思えた。
それこそ乙女の頃(今だって気持ちは乙女)は
変化することで大人になれる気がしてた。

今、白髪を染めてようが、リフトアップのクリームこて塗りだろうが、
口角にコラーゲン塗りこもうが(必死だな)
「変わってない」ことはすごくイイことなんだよ。

それでも楽しいとき(ダンスなど趣味に限らず)というものは
永遠ではないのだと改めて思う。
身体はどうしたって衰える。
「変わってないですね」とお互い言いあえるのも
今の内だろう。
私が元気でも周りの環境の変化によって
自分の思いが断ち切られることもあるだろう。
次の「ダンスレッスン」が突然なくなるかもしれない。
そんな当たり前のことをあたかも今知ったかのように
反芻してみる。
夢みたいな話はないんだよ、と。

でも、「終わる時」を視野に入れることは
この先を「否定する」ことではないし、あきらめでもない。
それを
前向きにとらえられるようになった自分がいる。

旅はまだ途中だ

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