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書いてどーなる


きみはふらり
ぼくふわり

空を
幾通りにも
ぬりかえて

次はどの船についていこう

ぼくはふらり
きみふわり

手紙を
幾通りにも
書きかえて

待ってるかどうかもわからない

きみが見る空の色を
今日も思う

こないだのつぶやき

古い写真に思い浮かんだ詩をあてて、
マガジンにも追加してもらい喜んでる。

そしてこのつぶやきに寄せていただいたコメントに
返信してそこでやっと気づく。

ふわり飛べていいな。
ふらり自由でいいな。
にぎわっている船を見つけて追いかけるのも楽しいな。

これ、自分が書きたいnoteのことじゃん。

その場で足踏みするように自分の日常を綴っている私は
鳥のようにふわりふらりとnoteを綴っていきたいと
どこかで望んでいる。
比較するとか数とか書いてるものが地味過ぎとか、
ナニカに囚われることなくnoteを続けていきたいと望んでいる。

私にはココロ搔きむしるような
挫折や失敗、苦労の経験がない。
刃を光らせながら書くほどの信念もない。
子供の頃から今まで、秀でてはないが、
困らない程度になんとなくこなしてきた。
その傍ら、嫌なことや人からはするりと逃げてきた。
見たくないものには蓋をした。
大きな病気も怪我もない。
だからだな、
他人の苦労や疲弊に寄り添えない冷たいところがある。
「あ、自分じゃなくてよかった」って。
リアルでも重いテーマをふってこられると
「私に抱えきれないもの背負わせないで」って
こちらから距離をとる。
出来ない人をどこか見下し、
「poteさんすごいですね」と褒められれば
「もっとすごい人いっぱいいますしぃ~?」などと
「出過ぎぬ杭」を装う。
そのくせ上を見るのは負けを認めることだと
「ちっ」と知らんふり。

今noteはライランや創作大賞などで話題がもちきりだが
「自分書きたいを最優先」を言い訳にほぼ読んでいない。
勝ち負けなんてnoteにあるわけないけれど。
でもここにいれば否が応でも自分の世界が広がらない理由を
思い知らされる。
私には体験や他人への想像力が圧倒的に足りない。

ピーマン採れたトマト喰われた。
冷やし中華始めました。
そんな日々が楽でいいし楽がいい。

それでも気づきはあるはず、とひねり出してみる。
自分の心の棚卸だ、書きなぐるんだと自己肯定して、
内に沸いた思いを文字にして世に出して。
それ、何になる?
私のやってることはただの排泄じゃねーか。
noteの街の肥しにもならない。

私が書いたからどーなる。
どーもならん。
でも、吐き出したい。
だって、生きてるんだもの。
さもない日常でも感情は湧き上がる。
わー、きゃー、うへぇー、ぐすん。
それは必ず言葉になるはずだし、
言葉にしなきゃ勿体ない。

上の詩を
ここまで膨らませて記事にできれば良かった。
そんな境地に全く至らなかった。
今回は後付けになってしまったけれど、
ベースになる日常に肉付けするように、
思い浮かんだ言葉やイメージを「模索、構築」することで
次の日への思いを巡らしてみる。
自分が暮らしていく上での指針にするっていうのかな。
書くことでそれができるようになりたい。
こんな風に考えをまとめられたのは、
思い付きの詩に寄せられたコメントのおかげ。
気付きを書くことで更に気付きをいただけたのだ。
嬉しいご縁にも感謝をしながら「書くこと」を続けよう。

私の手元には「笑って書ける日常」というカードがある。


#みんなで書く部
#私は書いてこうなりたい

参加している「書く部」のお題に添って書きました。
本当にすごくバッチリなタイミングで出たお題で驚きでした。
あ、ワタクシ「書く部」にはまだ入ったばかりの新米です(*´∀`*)


🍀24日目
毎日一緒に走ってくださって
ありがとう!!


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