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高校時代、バイト代で大学受験した話
こんにちは。バリキャリでもゆるキャリでもない、フルキャリ会社員です。
私は高校時代に、自分のアルバイトの貯金で大学受験に臨み、その後も奨学金を借りながら自力でどうにかしてきました。
この記事が誰かの役に立てば嬉しいです。
実家にはお金がなかった
私の両親は、私が小学3年生の頃に離婚しました。私と妹は、学校を変えたくなかったため、二人とも父方で、同居の祖父母に育てられました。
離婚の原因は父の浮気で、母へ慰謝料として私の学資預金を解約した300万を渡したそうです。(この時点でとんでもない親…)
私が中学生になると父は再婚し、義理の母との間に女の子が生まれました。
義理の母によると、結婚するときに「君は働かなくていいから」と言われたそうです。当時の父は販売業で成績が良く羽振りの良かったのです。
しかし、以降は父の給料はどんどん下がり、最終的に義理の母は夜中にパートに出ていました。
ピーク時の給料は永遠ではなかった。
にもかかわらず、計画性のない父は、貯金や資産運用をせず、お金を遣ってしまっていた。
子ども3人と身体障害者手帳1級の祖母を抱える我が家の家計は、苦しくなったのです。
公立の進学高に進学
実両親は高卒でした。勉強しろ、宿題しろ、など一度も言われたことがありませんが、私の学業成績は良かったです。
小学生のときに中学受験したいと申し出ましたが、父から却下され、中学は地元の公立中学校へ進学。
高校は、当時高校の学費無償化などの制度はなかったため公立一択で、公立の進学高へ進学。
そこでは、難関国立大受験を前提に、レベルの高い授業が行われていました。
一方で校風は、生徒の自主性を尊重するもので、校則も制服もなし。また文武両道で、大体の生徒は部活動をしていました。
私も部活動を見学に行きましたが、アルバイトをしたいと思っていたので、条件に合うものがなく、諦めて帰宅部となりました。
なぜアルバイトしたかったのか
単純に、お金がなかったから!!
高校生の私に、親は月1万円の小遣いをくれました。お弁当などを持たされているわけでもなく、週6の学校の昼食代込みでした。
また、定期代(1か月9000円)は貰えたり貰えなかったりしたので、交通費の確保も必要でした。
人並みにご飯を食べて高校に通うためには、私にアルバイトをしないという選択肢はなかったのです。
学費も心配
また、父は「大学行けなんて誰も頼んでねえからな」と言ってくるような人でした。
そのため、私にとって大学の学費の支払いは「親から当然してもらえること」ではなかったのです。
奨学金などの制度があることはぼんやり知っていましたが、借金してまで…とは思えませんでした。
そのため、アルバイトで大学受験費用を貯金することにしたのです。
かなり自立した高校生だったと思います。おかげで何から何まで全て自分で調べて、決めて、相談もなく実行していました。
どんなアルバイトをしていたか
メインではチェーンのファストフード店で働いていました。
平日は授業が終わってからの17:00〜21:00。
土曜は昼まで授業があったので、昼過ぎから。
週3〜4日程度働いていました。
テスト期間中はシフトを減らしたり。休日や長期休暇では、朝6:00から働いたりしていました。
時給900円で、1か月のアルバイト代は平均4〜5万円ほど。夏休みは最高で9万円。
そのうち数万は食費や交際費に遣っていたので、通常貯金できるのは月2〜3万円程度だったと思います。
せつなかったこと
周りとの比較
周りの友人はほとんど部活動をしており、アルバイトをしていませんでした。そのため、彼らの親は私の親と違い、子どもの次の費用を負担していました。
部活の遠征やユニフォーム代
食費(昼食/飲み物/買い食い)
友達と遊びに行くお小遣い
予備校費用
大学受験関連費用
「みんなの家は裕福だなあ、いいなあ」と、なんだか自分が可哀想で、経済的な悩みは誰にも話せませんでした。
勉学に支障をきたす
友人らが部活動を18時頃に終えるのに対し、私がアルバイトを終えるのは21時。
勉強する時間が足りず、当然勉学に支障が出ました。予習は最低限となり、復習はままなりません。
おまけに、通学時間も長くなり早起きが必要なのに、就寝時間が遅くなったので睡眠時間が足りず、昼間は睡魔が襲います。
中学時代とは違い、周りの友人らの学力が高く、それに合わせて授業のレベルも高く、スピードも速い。
次第についていけないものが沢山出てきて、教科を「捨てる」ようになりました。
おかげで大学受験では国立大は諦め、私立に絞りました。本末転倒ですね。
高3の春、貯金の使い方を計画する
高校1〜2年生はアルバイトしましたが、高校3年生の1年間は勉強に集中したかったので、アルバイトをお休みしました。
高校3年生の春に私の手元にあったのは70万円。
これを次のように分けていきました。
毎月の食費
交通費
夏期/冬期講習代
家が勉強に集中できる環境ではなかったため、予備校の自習室を使う作戦。
5万円×2講座受験費用
センター試験+私立受験費用3万円×7学部受験後に友人と遊ぶためのお小遣い
10万円その他予備費
参考書なども自分で買っていたため、無駄にはできず、しっかり下調べして購入していました。
秋頃に2万円の高価な教材を買うか悩み、その時点で余力があるか計画を見直したのも思い出されます。
桜咲く
高3の秋に、義理の母が幼い妹を連れて突然家を出て離婚する、という大事件がありました。
我が家の収入は余計減り、家事負担が増えるのはもちろん。義理の母を失い、受験勉強に手がつかず、でも浪人するお金はないから絶対に落ちることはできない…精神的にかなりつらい時期でした。
予備校で勉強しながら涙が止まらないことも、一度や二度ではありませんでした。正直、そこから受験までの記憶があまりありません。
気づけば私は、名の知れた私立大学に合格していました。
合格してから知ったのは、「入学金の納付期限が早い」ということでした。入学後の奨学金でどうにかする、という猶予はなく、これは大きな計算ミスでした。
しかし、私の場合は実母を頼り、入学に必要なお金を借りることができました。
そして大学の学費は、家庭状況と学業成績によって半額免除となり、国立大学相当の学費で通えたので、奨学金+実母に借りたお金で乗り切りました。
余談
父は私がその大学に受かったことを、周囲に自慢しまくったそうです。
また、実母から出してもらったお金も「元はといえば俺が払ったもの(慰謝料として払ったの学資預金)」と事あるごとに言います。
腹が立つのは私だけでしょうか。
30代になった今振り返る
後から思えば、奨学金を高校生の時点で借りておけばよかった。
アルバイトしないで済んだ分の時間を、部活動なり勉強なり、そのときにしかできないことに割けばよかった。
アルバイトで得た収入は、高校生の貴重な時間と、それによる勉学諸々への代償に、見合わなかった。
今ならそう思います。
でも当時の私にはその選択肢しか見えていなかった。
後から言っても仕方ありません。
同じように経済的な問題で進学を悩まれたり、心配されているかたには、いろんな人を頼って相談することをおすすめしたいです。
学校の先生なり、自治体の相談口なり。きっと自分では思いつかなかった、知らなかったことを教えてくれますよ。相談するのはタダですからね。
高校生の私へ
私は今の自分に大変満足しており、幸せです。
もし、高校生から奨学金を借りていたら。勉強時間を確保できた私は、私立大学ではなく、国立大学に行ったかもしれない。
でもその場合、大学時代の友人らとも、今の夫とも、子どもとも出会えなかったかもしれない。
なので、後悔はあれど、やはり当時の自分の頑張りには感謝しかありません。
一生分のアンラッキーを使い果たしたから、今後は幸せしかやってこないんじゃないかと、当時思っていました。
あのときの以上に経済的にも精神的にも苦しいことなんて、まだありませんよ。
高校生の私へ、ありがとう。
ではまた。
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