イシイジロウ最強説

別にイシイジロウさんが最強というわけではないのだが、関連動画をYouTubeやらニコ動やらで漁って見ている。僕はサウンドノベルが三度の飯より好きなのである。PSP版の「街」から入ったのだから、年季の入った、というわけではないのだが、「428」も大好きなのだから、それはファンと言わざるを得ないのである。

ゲームにしかできないことがある。小説でも、映画でもできないこと。それが、ゲームではできる。ただ単に、映画を動かせる、ということではない。一本道の映画のようなストーリーに、バッドエンドをくっつけるという単純なものでもない。弟切草のような複数エピソードだったり、かまいたちの夜みたいな最初の方にGoodエンディングがあって、進むにつれてBadエンディングしかなくなるようなもの、街のように複数人が、互いのストーリーに影響を及ぼすものといろいろある。過去をセーブするのではなく、未来をセーブする、とイシイ氏は言っていたが、何を言っているのかあまりわからなかった。

映画というのはフィルムでできているから、フィルムとフィルムのあいだは真っ黒な映像が流れる。それは4ぶんの1の時間にも及ぶ。つまり、4分の1の時間は、真っ黒の画面を見ていることになる。それがあるから、映画は現実とは違う感覚になる。ゲームのその真っ黒な部分、それを空白といってもいいだろう。行間といってもいいだろう。それって、ゲームでしか体験できないものなのだ。

自分で考えるストーリー。それは、シミュレーションゲームでも感動するのである。ストーリーがなくても感動するのである。ダビスタで、自分が飼っている馬が死んだら泣くでしょう。そのシステムを作るのが、ゲームなのです。

高校野球というのは、非常に優れたゲームシステムである。負けたら終わりのトーナメント制。負けた数だけ感動物語がある。そして、そのチームのメンバーでは1度きりしか挑めないのである。それが、その瞬間だけの美しさを生む。潰えていくものは美しい。花火でも、花でも、ロウソクでも、長く見れば、命でもそうなのだ。

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