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ポカリスキーの自己紹介

どうも皆さんおはこんばんにちは。

ポカリスキーです。

今回はこのnoteの管理者である私の挨拶も兼ねまして、
自己紹介をさせていただければと思います。

生い立ち

ポカリスキー

1993年12月18日生まれ。血液型はA型。

動物占いはコアラ。

名前のモデルは

ポカリスウェット✖️ウィスキーより。

日本で最も言葉が汚いと噂される「播州」で育つ

荒れた言葉「播州弁」が飛び交う街に生まれたにも関わらず、
全く擦れずに育つ。

挨拶は「おい」人を呼ぶときは「お前」
挨拶代わりに肩をどつかれるは日常茶飯事。

そんな中でも小学校には熱が出ても
皆勤賞のために親に嘘をついてでも登校、
私立の中学に行かないかと担任から言われるも家庭に財力はなく断念。

中学でも偏差値60前後の成績を維持しながら
いじめられることもなく幼少、青年時代を過ごした。

親の離婚と兄弟の退学

小学校5年生の時に親が離婚。

母親側に引き取られた私と弟は養育費も貰わず女手一つで育てられました。途中で放棄することもなくここまで育ててくれた母には感謝。

母には感謝していますが、
今の人格や考え方が自分の中に芽生えたのも
離婚による経済困難と母子家庭の劣等感であることは
言うまでもない。

電気が止まり、ガスが止まる生活を繰り返す中で
当たり前にできることがありがたいことを経験した中で
お金の大切さと社会というものを学んだ。

私は長男で母子家庭ということもあり、
しっかりしなければという思いから真面目な優等生を貫いていましたが、
それとは真逆の方向へ弟は突き進みました。今となっては羨ましい。

弟は高校を残り1ヶ月のところで退学。

警察に追いかけ回され
地元の警察で知らない人はいないとんだバカ息子ぶり。

今となってはいい思い出ですが、弟は彼なりに私を尊敬していたようで、
部活も同じで地元の友達にもそれが浸透していました。
弟の友達と町で遭遇するたびに謎の会釈をされるということが増える。

ヤンキーネットワーク恐るべし。。。

優等生を演じきった中学、高校時代。

中学、高校時代は部活でソフトテニス に打ち込み、
神戸学院大学経済学部経済学科に入学。

高校は進学校だったが、浪人が経済的に不可能だったため
ランクをかなり落とした大学に進学し、
落ちこぼれの烙印を押されたかのような気持ちだった。
まぁ自分のせいだけど。

この劣等感から、『人とは違うことをしたい』
という思いが強くなっていったのを今でも覚えている。

母子家庭だったため、奨学金とバイト三昧だったため、
身近なところにお金がないと生活が、、、みたいな状況が多々あり、
この頃からシビアに

「生きるのには金がいる」

と思うようになる。

お金がないなりの幸せは求めていなかった。

就職後、6ヶ月で退職

「人とは違うことをやらなければ
このまま人生終わってしまう」

そう思っていた私は、大学生になると意識高い系で
見た感じできるやつみたいになってた。
学生団体の代表になり、協議会の副代表とかもやった。
内状は激務で死にそうだったけど。

その経験もあってか、
やりたいと思った営業職で飲料系の商社を志望して受かった。

アルバイトでも某大手中古本買取販売店や
驚安の殿堂を選び自分の経験になる職場だけを求めて
選んでいたのが功を奏した。

大学3回生からやっていたTwitterがフォロワー18000人を超えていたのもあってゆくゆくは広報の道もどうかと話があがっていたのをうっすら覚えているがサラサラ興味は無かった。

早く就職が決まったのもあって「これで同期よりは一歩進んだな」と勘違いが始まり調子に乗っていたのを覚えている。

ところが、就職後、新卒の初任給のあまりの低さに衝撃を受けた。
月の手取りは17万9000円で新卒だった私は家に帰るのが22時を回ることもあった。金もないし時間もない。ただ時間だけがすぎていくことを無駄だと感じるのにそう時間はかからなかった。

最後の決断を後押ししたのは先輩の給与を聞いた時。
5年先輩の手取りが30万円ないのを聞いて後腐れもなくすんなり辞めた。

ちなみに同期で一番最初に辞めた。

副業と仲介業で揉まれる

会社を辞めた僕はネットワークビジネスを起点に、
様々な仲介業にも手を出し揉まれながら知識と経験を積んでいった。

入り口は母親が持ってきたネットワークビジネスだった。
セミナーに通いまくる日々。

途中から何も変わってないことに気づき出していたのですがずるずる続けてしまったのは完全なる落ち度。そんな中でも交流会に毎日のように参加して、毎日3〜5人の人にアポを切り仕事をもらい携帯売り出したり、不動産売り出したり、コンサルを売り、情報商材も売るなどありとあらゆるものを売って金に変えていけてたのが唯一の救いだった。

生活は見事に荒んでいきましたが、、、

仲介業はオススメできますが、ネットワークビジネスはオススメできませんね。

一種の催眠状態の中でビジネスをしてる感覚とでも言うのでしょうか?周囲に反対されてメンタルを消耗しながら新しい人を開拓しなければならないというプレッシャーはネットワークビジネスだけをやっている人の精神を蝕んでいきますからね。労力がバカにならねぇ。

その後フェードアウトするかのようにネットワークビジネスの組織から抜けて仲介業に専念するようになります。

ネットワークビジネスはいいビジネスの学校くらいに今は思っており、メンタルの強化と営業力だけはここで身につけました。やったことを後悔しないための言い訳かもしれませんが、無駄では無かったとは思っています。

もうやりませんけど、絶対に。

働かないことのために働くことを決意

図太いメンタルと営業力を身につけた僕は仲介業の魅力に取り憑かれ、いかに自分が働かずに収益が伸びるかどうかということに注力し続けました。

この世の中は人かモノか金が回って資本主義社会ができている。

だから私は自分以外の人かお金に動いてもらえるような仕組み作りをやってみたら結果がついてきたんですよね。やりたいことだったからってのもあると思います。

人との関わり方は本当に人それぞれ。

利益で成り立っている人もいれば信用で成り立っている人もいる。

お金と人がどんどん集まってきたのが
今ではありがたいことだと実感しています。

この人たちがいなかったら自分の生活はないと心の底から思えています。

マルチをやっていた時は真逆でしたけどね笑

最後に

自分が好きなことがあったりやりたいことを見つけてそれでお金が稼げるのがベストですがそんな偶然の産物に出会える人なんてこの世に何%いるんでしょうか?

私も今やってる仕事が生まれた時からやりたいと思っていた仕事では当然ないです。

生まれた時には知りもしないことばかりです。

偶然出会った人や環境から得られた外部情報が勝手に内部情報にすり替わっている人が多いです。

自分の性格や考え方をまず省みて正しい成功よりも自分に合った成功を目指せるお手伝いができればと思います。

まだまだ書きたいことありますが自己紹介はこの辺で。

最後まで見てくださりありがとうございます。

みんな人生楽しもうぜ!





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