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「過重労働」の果てに学んだこと -その1-

私は、国内大学→某大手企業→コンサルティングファームというキャリアを歩んできました。この中で気付けたことが、誰かの糧になればと思い、自由気ままに記事にしていこうと思います。

大学時代
大学は、都内のそれなりの大学に入学し、成績も良く部活動にも所属していて、所謂キャンパスライスも満喫していました。
大学3年の時には、大学から配布された手帳型のカレンダーに、「OB訪問」「XX社 インターンシップ」「ES〆切」「練習/試合」「ゼミ」といった沢山の予定を詰め込目込み、1日1日が真っ黒に埋め尽くされた手帳をモチベーションにしながら過ごしていました。

当時の自分には、部活動と就職と学業の両立は厳しかったようで、当時のツイートを遡っていると、引退試合の前は立ちくらみと難聴と喘息を患っていました。
しかし、体育会に所属しているだけで、当時はどのインターンにも書類選考にも落ちることがなく、ガクチカも「チームマネジメント」「勝ちへのこだわり」なんかを軸に具体的なエピソードを肉付けしたら、それはもうそれなりになっていました。よって、辛さくても、結果として、それが勲章でもありました。

大学時代を通じて、「自分は優れている」と思うことに成功し、自己肯定感レベルで言うと、星10の獲得に成功しました。

1社目への就職
大手企業に就職後は、まずは営業職からのスタートで、そこそこの実績を出せました。
営業が非常に有名な会社で、同期も明るく前向きな人が多かったこともあり、業務の厳しさはあるもの、営業数字を達成した時の高揚感は嫌いではなかったですし、1日の終わりにお酒が美味しいと思える程は、必死にやっていたと思います。

”そこそこの実績”というのは、全国から優秀な人が集まる同期と比較し、「自分には出来ないレベル」の頑張りがあることを実感したからでした。
自分よりも優秀な大学を出た人が、自分にはできない量の数のテレアポや営業をこなす姿を見て、本当に自分はここでやっていけるのか?という不安を本能的に感じていました。中の上くらは成果を出すほど張っていたのに、何か漠然と、「今のままではダメ」と思っていました。

そこで、「何かダメな自分」とおさらばするために、営業職が向いていないと自分を決めつけました。自分に向いていない職業を決めつけるのは早すぎるタイミングでした。実際は、リーダーはいつも褒めてくれて、お客さんもついてたのに、「自分はここでは優れていない」という感情に駆られてしまいました。


初めての転職
単年の業績で見て一番数字が良さそうな年に退職を決意しました。今辞めたら、美しい思い出で終われるかもしれない(周りに、そう思ってもらえるかもしれない)という気持ちが大きかったです。

営業職は向いてないと判断した私は、(比較的に分析作業が誉められていたことや足よりも頭が動くタイプという上司の言葉を信じて)コンサルティングの会社に入社しました。けれど、コンサルティングがやりたいというよりは、この組織ではトップになれないという自責の念によって、自分の頑張る場所を変えたかったのかなと思います。

「激務で高給」に定評のある会社でした。人間は、この世界を見るときに今まで生きてきた過去や経験を通じて物を見ます。その時の私は、”何かダメな自分”という感情を抱きつつ、大学時代から貯蓄してきた自己肯定感が残っており、「自分はそれなりに優秀だ」「辛い経験の先に人は報われる」という実感を抱いていました。なので、激務の果てにも、きっと自分のキャリアにとっていいことがあるだろうと思っていました。

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