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平和、それが全世界に満ち溢れてくれたらこれほど良いことはない

 これまで生きてきた24年間で平和について考える機会は数えきれないほどあった。しかし、本当に恥ずかしい限りなのだが何か行動したことも無ければ時間が経つと忘れてしまっているような人間だ。
 そんなポンコツでも広島県出身の自分にとって第二次世界大戦に使用された原子爆弾が如何にして広島の街・人・生活を破壊し、今もなお苦しむ人々がいることは知っている。広島の原爆資料館は改修工事前に何度か見学し、小学校では戦争を体験された方のお話も聞いた。
 原爆が投下されたのは広島のほかに長崎があるが、長崎についてはあまり授業等で取り上げられることは少なく(これは土地柄上、広島の原爆について多く時間を割いていたからだと思うが)、いつか長崎にも行ってみたいと思っていた。

 2024年3月4日。長崎原爆資料館・平和公園を訪れた。月曜日の朝だからか原爆資料館も人はまばらで、十分に資料を見ることができた。戦前、長崎の人々がどのように生活していたか、その生活がどのように破壊されたのか。
 原爆資料館・平和公園は私に様々なことを思い出させ、教え、考える機会となってくれた。戦争の悲惨さはもちろんの事、原爆がどれほど非人道的な兵器なのか、原爆投下は小倉を第一目標としていたが、視界不良のため第二目標の長崎を狙ったこと、放射線の中でも中性子線とガンマ線がほとんどの原因だったこと、広島に落とされたのはウラン型でリトルボーイ、長崎はプルトニウム型のフットマンだったこと、平和祈念像が示す意味。本当に多くのことを私に提示してくれた。

 しかし私はこんなことを書きながら正直なところ、戦争について自分や周りの人に直接被害が出るまでは他人事だと思ってしまうだろう。本当に無責任でいけないのだけど。
 それでも、全世界が平和であってほしいという願いは私を含めほとんどの人間にとって共通だと信じているし、そうならない現状に満足していないと思う。
 平和について・戦争について考えたとき、原爆資料館や平和公園のような過去に起こってしまった事実を知る事ができる施設や場所は本当に本当に大切な場所で、ありふれた言葉になってしまうが無くしてはならないなと強く感じた。

 今回長崎に来て感じたことを胸に、おそらく5~6年ほど行っていない広島の原爆資料館にも今一度足を運ぼう。


余談だが、私は何処か旅をするときに災害の爪痕を残している場所だったり戦争の資料館があると時間に余裕があれば立ち寄るようにしている。危険性や悲惨さを誰かに伝えることはないのだが、やはりその土地で起こった過去について知りたいのだと思う。誰かのためにならなくてもこういったことはなんだか知っておいた方がいいような気がしている。そのような施設は〇〇ではこんな災害が発生しすごく危険だとか、そのようなことを1人でも多くの人に知ってもらい教訓にして欲しいと言う意味があると思うから、何も関心がない人より私の行動は100点満点中10点くらいの行動はできてる気がしている。だからなんだと言う話だがつまるところ、これからも私は私が納得する仕方で平和や人が平穏な生活ができることについて考えていこうと思う。

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