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適当なフレーズでエゴサしたツイートを羅列する記事Vol.2「社会(2018年)」


このシリーズの趣旨はVol.1を参照してください。
https://note.com/potedolce/n/nd843510b5cb6

Vol.2 「社会(2018年)」

1/01
ガキ使浜田マーフィーについては「エディ・マーフィーがおる」ってのが笑いであって黒人が存在していること自体を笑っているのではない、という認識でいましたし、黒人の存在を笑っているんだと喝破する人自身の心にこそむしろ差別感情が宿っているのではないか、とも思います。
しかし、それは「あれをスルーしろ」と言うことと同義ではない 「あれは差別だった」と主張する人がいれば、「それほどではない」と反論する人がいるのが自由な社会であって、「差別だった」で言論が一色になることはむしろ社会として不健全なのです。
しかるにリベラル界隈の人たちは、往々にして「あれが差別に見えないなんてトチ狂ってんじゃねえのかお前!」と憤り始めるんですよ。これは思想の押し付けであり、全体主義の裏返しでしかないのです。
そういう主張の展開をするような人たちに自由だの多様性だのを標榜されるのは御免被りたいんですよ。そういうのはもう、2017年に散々やったから十分です。

1/01
表現は口に出してみるまでは社会的にアウトか否かは分からないものと想定していけ。それを常識とか倫理だとかの不文律で縛っていくと、結局はOKゾーンが見る見る狭まっていくだけだ。とりあえず言わせておいて、アウトなら叩く。批判こそすれ、自粛を要請したりまして規制したりなどは禁物である。

1/04
「厨二病は、親から『唯一無二の存在』として育てられた子どもが、自分は普通の人だと気付いた時に起きる自我と社会の間の摩擦」だって何度も言ってるんだけど、高校生くらいの時期になると、今度はそのできたての自我が自分だけの輝きを放っているように感じるんだよね。

1/08
意識の高い人はここで「いかにして学び続けるか」という発想に至るのだが、ほとんどの人はオトナになったら学びません。その上でさらにどのような社会設計が必要なのか、という話にならないといかんのですよ、本当はね。

1/16
ICANと首相が面会できないことについて「ICANと逃げるために外遊している」とのたまったアホは、今回の欧州外遊について「小国ばかりで成果アピールのためだけに国数を稼いでいる」とも言っているのよね。国際社会への礼を欠いているのはどっちだと言いたい。

1/18
「たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。」(ポル・ポト)
テレビばかり見てバカになっているあなたの肉親を自らの手で殺めることから、改革は始まるのです。

1/19
かほく市ママ課(こういう名前のNGO)が提唱した「独身税」は何がまずいかというと、一般税の原則からそれが必ずしも子持ち世帯への給付に使われる保証がない上に、独身税を払ってでも独身を続ける剛の者には効果がなく、かつ「結婚して子供を育てる」という社会通念の再強化にしかならないからです。

1/19
「社会人とは単なる会社員の言い換えに過ぎない」と言われることもあるが、「目の前の窓口の人間にも生活がある」とか「24時間文明が絶え間なく続いているのは、夜間や土日に出勤している人のおかげ」とか、そういう発想がない人が社会が云々言っているのを見ると、「その通り会社員のコロニーが社会だよ」と乱暴な言葉を口に出したくもなるというものだ。

1/19
「私たちが理想郷、社会様式の模範として崇めていた欧米も実態は大したことない」という見地が容易に広まるようになったことは、SNSの大きな功績の一つ。

1/20
国際社会では、優しいだけではナメられるのです。というより、通常の人間関係でもそうでしょう。

1/23
反フェミ界隈でさえ「社会実験として意義がありそう。というかそこまでは関知しないよ」と容認した女性だけの街が、「いわゆる3Kは男性にやらせる」という発言の登場によって連中の魂胆が暴かれてしまったという話。
「難民はどんどん受け入れるべきだ。ただそれによって生じる社会の混乱には、我々は関知しない」とパラレルな欺瞞に過ぎなかったのですよね、「女性だけの街」というツイッタラーによる共同の思考実験は。


1/25
幸せになったらいい歌詞は書けない、か… 社会学系のゼミに見学に行ったものの「お前らのような現行の社会体制に満足した人間が、社会の研究なんてできるのかよ!」と幻滅しながら帰ったのを思い出す。

1/26
元々日本の新聞は、自由民権運動の中で各々の活動家が意見陳述の手段として発刊した経緯があるので、事実よりも意見の方がウェイトが重いんじゃないのかしら。もっとも、購読料受け取って書いてるんだから、妄想を垂れ流すなよとは思うわけだけど。
もっとも、そんな代物に社会の木鐸としての役割を期待してしまった我々の方こそ、新聞社に対して過度な期待を勝手にしてしまって済まないと謝った方がいいのかもしれないね。

1/26
残念だが学校は学力を身につける場ではなく、社会訓練の場なのよね。

1/31
巨人の肩に乗ろうとしたら一般人からズルだなんだと引き摺り下ろされることが多いのも、現代社会の特徴ですね。

2/02
メリトクラシー社会が弛緩しているというより、むしろメリトクラシーの恩恵を受けて社会階層を駆け上がった世代から交代したことによる階級の固定化が起き始めているのでしょう。弛緩というよりは爛熟に近い。
無気力感は「努力しても社会階層を上がることができない」という閉塞感や絶望感の表れなのであって、これを単純に「最近の日本の若者は留学生よりも無気力でいかん」と居酒屋のオヤジみたいな繰り言しか出せない学者先生って何やねん?
そもそも国外留学する人間とそうでない人間の気力を比べたら、そりゃ差が生じるでしょう。留学生を見てその人の出身国の国民性を簡単に推し量ることはできませんよ。標本が小さすぎる。
格差が覆い隠されているから無気力感に苛まれる、という機序もよく分からん。先述のように若者が閉塞感や絶望感を覚えるのは、むしろ格差が見えるからではないのか?SNSは、他の「島宇宙」にいる人間を可視化して、我々にこれでもかと見せつけ続けているではないか。
んで結論が「覇気を出す教育」と教育の現場に丸投げですからね。政治が悪い、社会が悪い、日本人という民族性が国際社会に対応できていないというタイプの問題提起は、教育がそれを解決するという結論にたどり着きがちだ。それじゃ教育を終えた大人は変わらねえんだよ。

2/04
おじさんおばさんになってしまった人の意識というのはもはや変わらない。三つ子の魂百まで、と言いますからね。だから彼らが滅びるのを待つしかない。「荒れ野の四十年」である。
しかし悲しいことに、彼らが滅びるのを待った後には、我々がやはり老害として後進の前に君臨してしまうのである。先達亡き後に訪れるのはあくまで「我々が生きやすい社会」であって、それは決して「正しい社会」ではないのだ。自分が生きやすい社会が正しい社会だというなら別だが。

2/22
古来より舶来した様々な文物を日本流にアレンジしてもはやオリジナルのようにしてきた人々も、民主政や新自由主義といった社会科学的概念は少しも自分たちの使い勝手のいいようにアレンジしようとはしないのである。

2/23
君が変化を求めているのは、単純に君が現状に満足していないからだ。もし満足すれば、君は即座に変化を拒むことだろう。
それをあたかも変化することが社会善であるかのような物言いをするのは、主語をむやみやたらに大きくする言説であるから、直ちに改めたまえ。

2/23
変化を怖がっている人の心理構造を理解していないねえ。彼らは社会がどうこうにかこつけて、結局は自分の安住の地が奪われることに懸念を抱いているのだよ。そして、その自分の安住の地は他人が簡単に剥奪できるものではない、ということだ。

2/24
何しろ社会なるものは実存がないですからね。人の集まりの中に社会が観測できる、というその程度の見え方しかしないんです。だから社会を批判するということは、その構成員を批判することだし、お気軽に「社会が悪い」と言ってばかりいると、その「悪い社会」によって生存している人から怨みを買う。

3/07
島本さんあたりが何度も指摘しているけど、セクハラと正当な異性間交遊の線引きは非常に曖昧かつ個別的なものだから、「セクハラをしないのがまともな社会人」と言うだけでは足りない。

3/21
推古〜元明のいわゆる飛鳥時代は、膨張する隋唐の脅威に対抗して文化や政治体制の「近代化」を急速に推進した時代でもあったんだよね。この点は、ペリー来航〜大日本帝国憲法発布までの急速な西欧化とパラレルに観測することができると考えている。
つまりずっと昔から、日本にとって「近代化」とは先進的な他国の文明を摂取することでしかなく、自ら先進性を国際社会に向けて打ち出すということは基本的にはしてこなかった。
昔は時代の変化が今ほど速くなかったので、輸入・導入のタイムラグはさほど問題にはならなかったが、今は何を導入するにしても周回遅ればかりになってしまう、という批判が多く挙げられていますね。

3/22
経済体制用語と政治体制用語、社会体制用語を混同している人が多いよね。社会・経済・政治を混同するのは、物理・化学・数学がごっちゃになってるレベルのひどさですよ。

3/29
自分が老化して社会の発展についていけなくなったからって、人類社会に発展を止めさせようとするなんて、どれだけ傲慢な態度かわかっているのか?

3/29
人文・社会科学系の研究者がとりわけヤバいかというとそうではないんだろうけど、自然科学ほど自己と対象が決然と分かれていない(なぜなら自分もたぶん人間だし恐らく社会の中に生きているから)分だけ、対象に絡め取られやすいというのがありますね。
というか自然科学系の人も政治・経済・社会ネタになるとトンデモ発言することがあるので、専門外の分野に関しては謙虚さを貫くことが大事だということですね。しかるに、ワイドショーはコメンテーターに全ジャンルを語らせるけど、あれがコメンテーターを傲慢にするから良くない。

3/31
独身者が増えると社会の切り取り線(=分裂の火種)は増えるよね。

4/04
確かに「社会人」は大抵「会社員」で、「この人社会感覚がないなあ」と怪訝に思った人の職業は会社員ではないことが多い。そういう人が社会システムを語ると、理論上は確かに整合性が取れているものの、実現までに必要な時間的金銭的人的リソースと実際に用意できる時間・金銭・人員のギャップが無視されていたり(つまり実現可能性が限りなく低い)、そのシステムに適合できない人へのケアが無視されていたりする。
床屋政談・居酒屋政談というのは往々にして上記のような特徴を持っていて、これらに
・それで本当に今より多くの人が幸せになれるのか?あるいは、幸福度が高まるのか?
・それを実現するために伴う痛み(払うべき時間的金銭的人的リソース)はどれほどか?
・その方法でも幸せになれない人、あるいは新たに不幸になった人を放置しないために何ができるか?
これらのツッコミどころを減らすだけで結構ブラッシュアップできます。
でも、これらのツッコミを全否定と捉えて過剰に反撃してきたり、「そんなものは別の人がまた考えればいいのだ」と開き直ったりして、耳を傾けない人がTwitterの政治・社会界隈には本当に多いんだよね。

4/07
弱者の弱者性を売り物にした社会運動は、その弱者の弱者性を運動家自身が食い物にする構図を取っている。

4/12
毎年1兆円ずつ増大する社会保障費に対して、8億削って何になるのよ 0.08%ですよ?

4/20
ハラスメントも暴力だが、一方でハラスメント告発も暴力性を帯びているのであり、ハラスメントを撲滅したいと思うあまりに告発を濫用するな、ということです。
そもそも、ハラスメントがない社会とは「自分の内心に不安や恐怖を与える存在のない社会」であり、そんなものは実現不可能だ。
そして、例えば性的な言動が目に見えて行われなくなったとしても、見た目が不快とか臭いが不快とか、そういう理由で新たやハラスメントが作り出されるものだよ。こうして人間の不安の閾値は青天井に上がり、際限なくハラスメント加害者が生まれる。
このような「何でもハラスメント化することへの危惧」に対して「相手の人格を認めないことがハラスメントの中核」と反論する人がいるが、そもそも「心の平穏を脅かされない権利」のうちどの部分までが内心の自由に含まれるか、という定義の問題に首を突っ込むことになる。
あと、「言動によって不快感を与えた」と告発することによって、その与えた人の人格を否定することはないのか、という疑問が未だに消えない。「私に不快感を与えた人間にはどんな報復をしたっていいんだ」と被害者感情を高ぶらせて酷い言動を取る人、よくいるからね。

4/24
生理的にアリか無理か、それが全ての判断基準になりつつある社会に嫌気がさしているので、この通り「存在がハラスメントな人」を自称しているわけです。

5/04
「子供を社会全体で育むという意識の希薄化」については、これは核家族化が進んだ時から続いてきた潮流だ。すなわち、母親が共同体のしがらみから逃れて子供を自身の判断のもとで育てたいという欲求とリンクしている。自分で蒔いた種なんですよね。
「子どもは自分の手で育てる!」と言って共同体から離れて育った子どもたちが、大人になると「子供を社会全体で育むという意識が欠如している!」と言い出すのは何とも面白い現象ですね。
あと、社会全体で育てるのなら、自分の親や近所の人たち、町会といったより近いコミュニティの中で互助する方法もあるのに、自治体や国の無策ばかりを責めるのは理由がよく分からない。この辺から「子育ては助けて欲しいけどあいつらには頼みたくない」という本心が透けて見える。
(5/28追記)
「赤ちゃんはママがいいに決まっている」を批判する人たちが、「子どもは社会全体で育てるもの」にどこまで賛同できるか、という話。
行政の公助はみんな受けたがるんだけど、近所の人々のおせっかいすなわち共助は、実はみんなあまり受けたがらないんだよね。「自分一人では子供を育てられない」と言っておきながら、周囲にいる子育て経験者(典型例:姑)には助けを求めず、行政に色々と押し付けられていくのです。

5/07
「他人の内心の平穏をかき乱すことが罪」という価値観が共有された社会は、本当に自分の内心の平穏が担保された社会なんだろうか?
(5/09追記)
「ハラスメントは犯罪ではないが、犯罪と同等の悪行と社会的に見なされている」ということじゃないですか。その「犯罪ではないがそれと同等の悪行と見なされている行為」を犯した人物を、我々は何の根拠を持って裁こうとしているのか?ということに目を向けてみていただけませんか?

5/09
雰囲気で人を焼こうとする人は、いずれ理不尽に人に焼かれることになる。

5/23
「『留学してきた』ってお前らドヤるけど、似たような社会階層の人と馬が合う話をしてきただけだろ。多種多様な人間は国内にもいるのに、お前らは彼らと対話しようとしないのはなぜだ?」って高校生の時から帰国子女組に対してずっと言ってきた。

5/30
そもそも民主政自体が完璧な政体ではないのに、民主政の度合いを測ることに何の意味があるのかが分からない。そして重要なのは、それぞれの国にはそれぞれ最適な政体があり、それは必ずしも民主政の形を取るとは限らないということ。
「留学して多様な人間と交流したと言っても、社会階層は同じなんだから意見が似てるのは当たり前。それで『話せば分かり合える』とか片腹痛いわ」とかも言ったなあ。前回の米大統領選の「私の周りにトランプ支持者なんていないのにどうして!」っていう阿鼻叫喚にも通じるものがある。

5/31
「みんなが自己責任だと思っている他人の惨状のうち、本当に自己責任と言えるものはどれだけの割合だろう?」という話はそれこそTwitterを始めた高校の頃からずっと言っている。
高校の同級生にグローバルリベラリスト気質の強い帰国子女が少なからずいて、彼らへの対抗意識から「ネトウヨは個人の精神疾患ではない」「欧米主導型のグローバル化には早晩反動が来る」っていつも言ってたんだよね。半分くらいは当たったんじゃないのかなって自画自賛してます。
「留学して多様な人間と交流したと言っても、社会階層は同じなんだから意見が似てるのは当たり前。それで『話せば分かり合える』とか片腹痛いわ」とかも言ったなあ。前回(2016年)の米大統領選の「私の周りにトランプ支持者なんていないのにどうして!」っていう阿鼻叫喚にも通じるものがある。

6/08
秋葉原連続殺傷事件は「無敵の人の特攻」であり、被害者遺族が命の大切さを伝えるために全国行脚して講演会を開いたりとか、オタクを叩いたりとか、ホコ天の通行規制を厳しくしたりとかいうのは、所詮小手先の対策でしかないと思っています。
「無敵の人」を減らす、すなわち万人に雇用があり、収入があり、そして何より承認が与えられる社会というのが、10年前のあの事件を根絶するための理想像ではないでしょうか。
そしてもう一つ、あの事件を語る上で欠かせないキーワードが「毒親」。
これもまた、「子供を共同体全体で育てる」意識の普及によって軽減することができる。子供が母親の独占的所有物になってしまうから、毒親に支配されてしまうのだ。毒親については「親が健全と信じるものだけを与えられて育った子は、不健全な大人になる」ということも今ここで言っておきましょう。これは毒親のみならず、「青少年健全育成」のお題目の元に嬉々として表現規制をしようとする自称良識派に対しても言いたい。

6/14
「私がエビデンス」とハラスメント社会には連関するところがあると思っている。つまり、「私がそうだと思ったら、それは真実なのだ」という考え方の広まりである。

6/14
「教育が悪い」「政治が悪い」「社会が悪い」は、三大「何かを提言したつもりになれるけど実際は何も言ったことにならない」ワード。

6/14
「多様な動物たちが多様な生活様式を維持しつつ、調和のとれた社会を形成していて素晴らしい!人間もこうであればなあ」なんて、そんな甘っちょろいテーマの作品じゃないから、ズートピアは。
【予備知識】
・動物界の人口比は圧倒的に草食動物>>肉食動物だが、食物連鎖により権力関係は肉食動物>草食動物だった
・何らかの方法で動物はそれを克服し、文明を築いた
・その動物文明社会の象徴が、随一の大都市ズートピアである
「強者だった肉食動物が平等な社会で差別される」ニックの少年時代のトラウマ、とてもいいですよね。
「キツネ初の警察官もいるが、どうでもいい」
これ割と好きなセリフ。「○○初の▲▲」と騒がれなくなることが本当に多様で自由で平等な社会だと思うから。
「自由で多様な社会には、多様性を拒否する自由はない」という凄惨な現実、それが副市長を通して描かれているもの。cdbさんのズートピア批評は観た直後に読んで、目からウロコが100枚くらい落ちましたね。#ズートピア

6/20
一般会計予算に占める社会保障費と軍事費の増分を、金額で比べてみてほしいんだよね。比べようがないってことが分かるから。社会保障費は特別会計も持ってるし 。これを指摘したら有象無象に絡まれたことがあるけどさ、焼け石に水って言葉を知らないのかな?

6/24
「カタルシスポルノ」のことを何一つわかっていない。現実にカタルシスがないから、創作でそれを得る。その安易さを「ポルノ」と揶揄しているという構図だ。君は現実にカタルシスがあるから、彼らの心情が読み取れないのだ。
これはネトウヨ罵倒にも同じことが言える。彼らを惨めだと嘲笑うのは簡単だけど、人間はたとえそんな惨めな方法を使ってでも自我を保ち続けないと生きていくことができない、ということにも目を向けるべき。
君たちはたまたま恵まれているからそんな惨めな方法で自我を保たずに済むというだけのこと。学力があったからいい大学に行けたけど、結局それは親の財力と環境のおかげであって、自分の努力は原因の果たして何割を占めているかってのと同じ話です。
ネトウヨ罵倒の何がダメかって、社会の分断を追認したり煽ったりしているだけで、それ自体に議論としての生産性は何一つないということです。つまり、自分もそうやってネトウヨを罵ることで心の平穏を保とうとしているに過ぎない。

6/25
「無敵の人」枠だった人が一念発起して創作活動を始めたところ、案外人気になり始めたはいいが、SNSでの過去の過激な発言が取り沙汰されて引退を余儀なくされ、いよいよ「無敵の人」として社会に牙をむく回 #いろいろな回

6/28
「多様性を拒否する人間が、『寛容』のスローガンのもとに排除される」という多様性社会の矛盾について、今日もまた一人想いを馳せる。

7/07
死刑制度関連のツイートを眺めてみたけど、死刑存続派は「市民感情と被害者感情への配慮のため」が理由として大きいみたいだね。
「国家権力は人を殺す権限を持つことができるのか?」という視点に立てば、確かに自由主義的には死刑制度に反対するロジックになる。
しかし、死刑制度存続派の根拠に市民感情や被害者感情を和らげ、社会の安寧を図ることが(可能性ではなく事実として)あるならば、その「死刑の効用」は決して無視できないのではないか。
要するにその国の国民がどの程度「近代ヨーロッパの自由主義」に立脚して国家とか社会とか人権とかを考えているか、という見解の相違がより大きな論点てして存在して、その相違の表れの一つとして死刑制度の是非がたびたび俎上にあげられるんじゃないかと思うんだよね。

7/13
受験で一発勝負できない人が、社会に出てチャレンジできる人材になれるだろうか?

7/25
学歴社会じゃなくて大学ブランド社会だって、何度も言われてきたことじゃないのよ。

7/27
「運動家が帯びるべき当事者性」は、社会運動をやるときには非常に重たい問題となって運動家自身にのしかかってくる。これを私は「マルクスだって労働者じゃなかった」と言って端的に表現したい。

7/29
イニシエーションのある文明では、社会の構成員として認められていない人もいるという話ですね。七五三から元服から成人式から就活から全てイニシエーションと捉えられるので、「子供も大人も等しく社会の構成員だ」という価値観を普及するには、これらを廃すことから始めるべきだと思います。

7/30
これは「戦う民主主義」にも通用する考え方なんだけど、結局「受け入れられる思想と迫害される思想を分けるのは誰か?その決定者が民衆である以上は、どのような思想であれ、一度は表現させた上で『思想の自由市場』による淘汰を目指すべきではないか?」という批判がさらにあるのです。
「不寛容に対して不寛容であれ」は半分適切で、半分不適切。市民同士の間で不寛容な思想を批判し続けていくことは、寛容な社会を維持するために必要だが、不寛容な思想を表明する機会そのものを公権力によって剥奪することは、厳に慎むべきである。

8/01
結局「本当にやるべきことは分かっているけど、それをやろうとすると都合が悪くなる人たちがいるから言わない」というのが、だいたいの社会問題に対して言えること 労働規制も社会保障も少子化も全部そう見えるけどね、私には。不都合な真実。

8/02
愚痴は気分転換にならないよ…結局人に聞いてもらうのだから、社会性フィルターをかけた言葉しか使えないわけだし。

8/04
平等な競争社会という観念が人々に共有されていることは、敗戦でグレートリセットになったことによって生まれた一種の特殊条件だと私は思うんですよね。そのボーナスタイムで地位や財産を獲得した人間の世代交代時に、社会階層が徐々に固定されていった。
これは「自分は何もないところからここまでやってきたが、自分の子供には最初からいい環境を与えてやりたい」という親心からくるものでしょう。全ての子供を国家の管理下において親元から引き離して一律の環境で養育しないことには根本的な解決はないんじゃないでしょうか。
「医者の子は医者」「東大生の親は高収入」のような事実が出回っている中で、無邪気に平等原則を原則のまま信奉してなどはいられない。
だから、憤り方として適切なのは「平等だと思っていたのに幻滅!」ではなく「平等じゃねえのに平等ヅラすんなクソが!」だと思うんです。じゃないと私みたいな冷笑派に陰口叩かれちゃいますよ。

8/06
社会科学の何たるかを知りたい理系の皆さんには、マックス・ウェーバー『職業としての政治』を薦めます。大丈夫、我々より賢い君たちならすぐに理解できる、ドイツ語でもね。その次は古代ギリシア語で『ソクラテスの弁明』を読め。

8/11
自分個人の問題なのか、自分の所属クラスタ全体の問題なのかは峻別が必要ですね。これを意図的に混同させて、前者を後者の問題として社会的に解決してもらおうとするのは卑怯です。

8/17
経済学における付加価値は本当に社会に価値を付加しているのか、という問題も合わせて考えたいところ。中抜きやピンハネをやる連中、大抵は自分が付加価値高い労働してると思ってるからね。

8/20
人はラーメンじゃなく情報を食べにラーメン屋に行くし、風景を見るためにではなくそれを写真に収めて承認を得るために旅行へ行く。私たちは対象そのものを知覚してなどおらず、その上に乗っかった情報を知覚して日々を暮らしている。これは高度消費社会に生きる者の宿命だと思う。

8/24
「社会を知らない」とのたまう人も、自分の職場や業界以外の世界なんて知らないものだよ。

8/26
楽器持ち歩いてる時にベビーカーを見ると「私と違ってこの人たちは社会の生産性に寄与しているんだよなあ…」とか考えちゃうからいけない。だから「同じ大荷物」と考えてはいけないのだし、席が空いたら譲らなければならないのである。

8/26
おっさんというのは何も話してはいけないし、何なら社会に存在してはいけないと思う人さえいるのです。

8/28
やはり『マクロス 愛・おぼえていますか』のゼントラーディ軍とメルトランディ軍のように、男女で別々の社会を形成するべきなのかもしれない。まあ、この発想も「女性だけの街」で今年の2月ごろに話題になり、空想の域を出ないと結論づけられましたけどね。

8/31
概算要求の季節になると毎回言っているのですが、最も増分が大きいのは社会保障費であり、防衛費をいくら削れと言ったところで膨大な社会保障費の前には焼け石に水です。

9/06
社会運動の当事者性とも関連してくる話だけど、「本人は○○だと思っている」という外野の声が的外れであることは往々にしてあるよね。

9/11
米同時多発テロの当時私は8歳だったので、あんまり事情は分からずビンラディンのことを一昔前の麻原彰晃のように茶化していたのよね。
「あの事件はやはり歴史的大事件だったのだ」と改めて分かったのは、高校の世界史の教科書が章ごとの扉絵に崩壊したWTCの写真を採用していたことですね。高校3年の春、東日本大震災の直後に見た10年前のカタストロフ。
21世紀最初の年にまさに「文明の衝突」の象徴とも言える大事件を経験しておきながら、なぜ彼らはあんなにも「世界中の人とは分かり合える」と無邪気に笑っていられるのだろう?と、リベラルグローバリズム全盛の論壇を見て思いましたね。
twitterもその頃始めたばかりで、そういう疑義を学内の知識人階級だった帰国子女に投げまくっていたら普通に嫌な顔をされて、2chのニュー速を安住の地としながら妄言を吐くアカウントでした 要するに今も同じことしてるんです。
そうやってろくに勉強しないでいたら見事に第一志望の大学に落ちて、弁だけは少し立つようになっていたので小論文のある大学に拾われて何とか大学生になれたわけです。
2学部受けたので、「社会に生かされるな。所詮は人間の被造物にすぎんのだから」という話と「今権勢を振るっている欧米主導型のグローバリズムは早晩アジアの逆襲に遭う」という話をしたのは未だに覚えています。
まあ、予備校講師などの専門家でもないのに、大学を卒業した後になっても受験の話をする人にはろくな人はいませんからね。私もろくでなしってことですわ。とはいえ後者の方については予言が当たったようなものなので、気づいた時は高校の友人に一人ずつ「ねえどんな気持ち?笑」って言って回りたい気分になりましたね。

9/12
私に院進する能力があったかはともかく、社会科学畑で院進するとこういうtwitterでボロを出しまくっている人たちにうっかり師事してしまう可能性が高確率であったわけだから、その点に関してだけはしないで良かったと思っている。

9/15
普段中国のIT社会を肯定的に紹介しているくせに、人権侵害についてはいっちょまえに反発するのな、お前らは。
中国の先進的IT化社会に舌を巻きながら、ドワンゴ川上発言に憤りを示す皆さん、雨の中いかがお過ごしですか?

9/16
「異性から承認を得られない人間に生きる価値はない」という価値観が、この社会から払拭されますように。
承認を得るどころか、生存を許可して欲しいってさえ思っている人もいますからね。この辺の「承認を得られない人々(言わば「承認資本」を持たざる者)」に対する眼差しを、もう少し承認資本を持てる者も意識してほしいものです。

9/17
そうだよな、このRTの「分析」が正しければ、ネトウヨこそ社会的弱者であり、保護の対象となるべきクラスタと言えてしまう それを唾棄して見捨てる君たちのスタンスは一体何であるのか?という話ですよね。

9/17
「何が思いやりだ。何がおもてなしだ。他人が自分の厚意を素直に受け止めてくれるという確信を得られない社会に、そんなものが普及するはずがない。そしてその確信を今まさに毀損しているのはお前ら自身じゃないか」って話、このアカウントでしたかな?

9/18
人を不快にしても犯罪にはならない。人の権利を侵害すると不法行為になる。それだけ。ハラスメント社会に毒され過ぎ。

9/18
男女平等化運動を行っている途中には、当然「女性よりも地位の低い男性」が観測されるはずなのだが、にもかかわらず「最も社会的地位の高い女性でさえ、最も社会的地位の低い男性よりも地位が低い」と考える人が未だに後を絶たないのはなぜだろう?

9/25
お前が大学行こうが行くまいが、他人だからどうでもいい。だが、行くか行かないかを個人の選択の自由だと言うのなら、その後に身に降りかかってきた運命もきちんと自分の選択の結果として責任を負え。
個人の選択の自由と「社会が悪い政治が悪い教育が悪い」を都合よく使い分け、困った時だけ誰かに助けてもらおうとするな。

10/01
「選挙結果は民意の反映なのか?」という問いが華やかですが、ここでむしろ「多様性社会で民意を一意に絞ることはどこまで可能なのか?」「そもそも民衆は本当に民意を反映した政治を望んでいるのか?」という問いも合わせてぶつけてみましょう。

10/05
人間の意識なんてほっとくとすぐにガタがきて老害になっちゃうのはその通りなんだけど、ここでまだ老害ではない皆さんに考えて欲しいのは、老害になった人間もすぐには社会から退出しないし、老害にも老害なりの人生があるということです。老害といえども人間なので、軽々に○ねとか消えろとか言われる筋合いはないわけです。あなたは、自分が老害になった時に潔く人生からログアウトできますか?それとも一生老害にならないという、根拠のない強い自信をお持ちですか?

10/11
「好きなことをしていたら結婚できた」というのは、「自分の好きなことを認めてくれる人がたまたまいた、あるいは社会的に認められやすいタイプの行為だった」というだけにすぎない。あなた、快楽殺人犯や小児性愛者の前で「好きなことをしていたら結婚できるよ」って言ってみてごらんなさいよ。
社会的に容認されやすい行為というのは場所や時代によって変わるので、「社会的に容認されやすい行為をすれば結婚できるよ、どうしてこんな簡単なことができないの?」という煽りは「いやそれ簡単じゃないから」と退けることができます。
「社会的に容認されやすい行為を進んで行う自分になる」というモテの方法もあるわけですが、これもこれで「その先にある自分と今の自分は本当に同一人物と呼べるのか?」というアイデンティティ・クライシスにも踏み込むことになるので、そこまでするくらいならとモテから降りる人もいるのです。

10/16
「社会性を身に着けるためには実社会におけるトレーニングが必要であり、その人が社会性を身につけるためのスパーリング・パートナーをいったいだれが引き受けるのかという問題が立ちのぼる。」
恋愛に関しては経験値という形で言った記憶があるな…

10/22
「収入が低くても安心して子供を育てられる社会にしたいものだね」という意見に賛同する人は多いと思うけど、短期的には福祉国家論を用いることになるし、長期的には経済成長を喚起することになる。いずれもネオリベラリズムとは相性が悪い。だから、マインドを変化させることも必要になってくる。
最近は福祉・育児・雇用・働き方改革・労働生産性・人材の新陳代謝不足、そういうのは全部複雑に絡まっていて、どうにもほどけない状態になっていることが分かってきたから、もうテポドン東京しかないという論にも頷くところだ。もうそれが見えたあたりで仕事への情熱は一気にゼロになりましたけどね。

10/26
「理論社会学は計量社会学に移行しなかった人たちの集まりなので、統計嫌いが多そう」という指摘がありまして…

10/29
「抑圧されて生きるのは辛いけど、抑圧を取り払った結果、少しずつ社会は再生産力を失い、縮小していっている」という話は、夏の頃から反フェミ界隈で言われていることですね。結局最適解はゼロではなく、バランスでしかない。
「多少の制約は共同体の維持のために欠かせないものであることは認めるとして、その制約は私の身には降りかかって来ないでほしい」というのが、正しい現代人の精神性です。今日もどこかでNIMBY施設の設立が断念されている。

10/30
社会は変化したが、人間の本能的な部分はたぶんまだそれに追いついていないんじゃないかな。私たちの体の一部は、まだ旧石器時代の感覚で動いていると思うよ。
人間の本質なんて大して変わらないんだよな。二足歩行を始めてからの年数に比べれば、近代文明が勃興してからの年数なんて一瞬なわけで、その一瞬で果たして変わるものがあるのかってことですよ。

11/01
義務教育が敗北している事例ばかり目にするのも、結局何でもいいから情報を付加しないと、消費意欲が喚起されないからだよね。高度消費社会では、人々は財ではなく情報を消費している だから情報に翻弄されるし、個人の情報処理能力による格付けが正当化される(メリトクラシー)。

11/13
中学受験がなかったら、公立校で消耗して今頃どうなっていたか分からないので、地方格差の助長とか社会階層の固定化とかの弊害はあるにしろ、廃止しろとは言えない。それくらい私にとってセンチメンタルな問題。

11/21
個人主義を求めて中間共同体を否定する人たちは同じ口でアベ的な権威主義を批判するわけですが、これは『自由からの逃走』に言われているような「権威主義的パーソナリティ」の産物でしかないと思います。つまり、君たちが近代を透徹しようとすればするほど、アベ的なものは社会に蔓延するようになる。

11/24
9条は国連による戦後協調外交を体現したもので、安保は冷戦から生まれたも。 それぞれが全く異なる「国際社会」を見据えており、これが同居しているからこそおかしなことになる。9条と自衛隊の論理矛盾もまた、38度線やベルリンの壁と同様に冷戦の傷跡なのである。

11/28
社会は必ずしも劣化しておらず、インターネットの普及やSNSの普及によって「今まで直接相対していた人とは異なる生態を持つ人たち」の生活が可視化されるようになったに過ぎない。

11/28
なぜ発達障害が多く観測されるようになったかといえば、「社会生活を円滑に営むために必要なスキル」が産業構造の変化(サービス業化)によって増えたからというのも一因でしょう。つまり、客が店員に求めるハードルが年々高くなっていることにも、発達障害の増加と関連があるのでは?

11/28
年下が結婚しても、自分は自分 焦る必要はない そういう焦りを「世間体的抑圧」といって排除してきたのが、自由で個人の尊重された社会じゃありませんか。

11/28
「幕末の日本人は権利や自由の意味は理解できなかった」という話からは、「『近代社会は権利や自由を持つ個人によって構成される』という考え方は実は普遍的なものではなく、欧米の地域的特徴に過ぎないのでは?」という視座もあり得る。

12/05
「弱者は我々の理論に導かれることによって救済され得る。お前たちは自分が社会的に抑圧されていることには気づかなければならないが、抑圧から解放される方法については、我々に従えばよいのであって、自分で考える必要はない」って真意が見え透いてるよね。ナロードニキ運動から一歩も前進していない。

12/06
「優秀な人が青天井に稼げる社会」はいつの間にか「優秀でなければ稼げない社会」になる。こと社会問題に関しては、命題の裏こそがいつの間にか真になってしまうものだ。

12/06
「クソの役にも立たない」と言う人もいるマイナンバーですが、導入時に玉川氏のような「国民背番号制」「監視社会」という疑義が投げかけられたことは皆さんお忘れではありませんね?紐づけられたシステムが増えればその分だけ、日常生活は便利になるかもしれないが、監視社会の強度は高まるのです。

12/12
「何もしていないのがキモい」というのは、悪事を働くよりもより悪いことだとみなされる場合がある、これが現代のお気持ち社会。

12/12
白饅頭的な言い方をすれば、怒りを別の感情に消化するのが下手な人、怒りをマイルドに表現するのが下手な人は、どんどん社会から遠ざけられ、不可視化されている。しかし不可視化されても彼らは現前として生きていて、社会的に承認された方法では消化できない怒りを日々蓄積している。
その怒りが一気に放出された時に、社会的に承認された方法で消化できるタイプの怒りを普段持つような気質の人々(いわゆる「普通の人たち」)は、怒りの放出者を凶悪犯としてしか扱わない。怒りの放出方法の多様性を狭め、それに従わない人々を不可視化してきたのは自分たちであるにも関わらずだ。

12/17
役に立つか立たないかの評価軸しか持っていない人間は、自分が役に立たない人間になった時にもきちんと社会から退場するのだろうか?

12/17
倫理とか道徳とかいうものは、法による強制力を持たない限り「ちょっと上等なお気持ち」に過ぎません。「駅名(=高輪ゲートウェイ)がダサい」というのは結局利用者のお気持ちに過ぎないのでは?普段お気持ち社会のことを批判している舌鋒の鋭さは、どこへ行ったのですか?

12/18
エスカレーター歩行問題については
・急いでいる人は階段を使え→階段が目指す改札へのアプローチに存在しないことがある
・エスカレーターの隣に階段を併設しよう→ラッシュ時にはその階段は降りる人で埋まって、登れなくなるよ
という結果が見えているので、八方塞がり感がある。
「そもそもなぜそんなに急ぐ必要が?」と言う人は、きっと人生に一度も遅刻というものをしたことがないのでしょうね。
そもそも、「1967年に『急ぐ人のために片側を空けましょう』という声かけが始まった時は高度成長期で、速いことが良しとされる時代だった」と言うけど、速い方が良しとされる風潮は今の方が強い気がするんだよね。
最初に挙げた通り有効な対策が見えない歩行問題だけど、利用者のお気持ちに働きかけるだけでなくハード面の改修も必要だろうに、前者しかやらないあたりにいつものフ○ッキンジャップみを感じる。
さらに言えば、人が最もエスカレーターで歩くのはラッシュ時の駅だから、満員電車を解消すれば大半の人はエスカレーターで歩くことはもうなくなると思うんだよね。
満員電車を解決するのも、言うのはどこぞの知事みたいに簡単だけど、産業は基本的に集積するものだし、どんなに通信技術が発達しても現実の物体を輸送する必要性が完全に失われることはないので、都市を破壊してコルホーズ送りにしない限りは無理だと思うんだよね。
さらに追記として、「なぜ世のお父さんたちは満員電車にすし詰めにされながらも、職場から遠い住宅街に住み続けるのか」という連ツイを過去に行ったことを言及しておきます。
「通勤時間が長くなる場所にわざわざ住むのはなぜか」だけど、家賃とのバランスもさることながら、故エタ風の「妻や子供の住環境の拡充のために夫の通勤環境が犠牲にされている」を理由として推します。
例えば田園都市線なんかは、家の周辺の環境は良いが、通勤は地獄ですよね。なぜそれでも夫が寿司詰めにされ続けるかといえば、それは住居を決める権限は圧倒的に妻にあり、妻や子供の住環境を重視するあまり夫の通勤利便性が蔑ろにされるからです。
そこから「夫と妻を逆転させてみろ。耐えられるか?主たる収入を得ながら夫のために毎日寿司詰めになる覚悟があなたがたにはあるのか?ないだろうなあ。だから男女平等は欺瞞なんだよ」とつながるのがエタ風の論法なんだけどね。
要するに「旧来の悪習を廃絶するにしても、その悪習から派生した別の悪習が何個も形成されているし、ハードウェアも悪習を前提に設計されていたりするので、お気持ちに訴えかけて元の悪習のみを廃絶しようとしても解決には足りない」ということなんです。
そしてそうこうしているうちに悪習が社会に占める面積はいよいよ増大し、内部からの改革はますます難しくなる。「外部から破壊されない限り変革できない日本」はこのようにして出来上がっている。
『シン・ゴジラ』でも最後に矢口が「スクラップアンドビルド。そうやってこの国は、何度も立ち上がってきた。」と言うけど、逆に言うと一度スクラップが起きないとビルドもできないということでもあるんですよ。
そしてそのスクラップは人為的にはなされない。誰も責任は取りたくないからね(これはトップ層の人間の悪弊ではなく、皆さん一人一人がこの心性を持っているのです)。何によってスクラップがもたらされるのか。自然災害です。頻発する自然災害に身を任せて、制度改革や建物改修のタイミングも任せてきたわけ。
エスカレーターだけでなく、社内全体に何となく広がっている八方塞がり感や雁字搦め感は何によってもたらされたのか、と考えれば、スクラップアンドビルドのスクラップの人為的要因である戦争が国内では起きなかったこと、第二に自然災害が起きても誰もビルドに金を回さなかったことが原因でしょうな。

12/21
TLには自分を含めて非モテを自認する人間がいっぱいいるけど、自分はMGTOWとして別の価値観を追求するのか、それともINCELとしてこの社会に一矢報いるのか、どちらの路線を取るのかは決めておいた方がいいと思いますよ。

12/24
「ハラスメント≒迷惑行為を受けない社会」というのは、迷惑行為者を糾弾して排除する社会でもあるのだから、「他人に迷惑をかけないことばかり考えていて窮屈だよね」と批判されても、「でもそれは、迷惑を被る側の人間にとっては心地よい社会なんですよ?」と返すしかない。

12/26
男女の経済格差の平準化と女性の上昇婚志向の軋轢が昨今の社会問題全体の遠因なのは否定しないのなら、キモくて金のないおっさんはその社会問題の一つのアイコンであることは容易に理解できると思うのだが?
そこから「キモくて金のないおっさんを救う、救わないにしてもまずは可視化することが、絆とか連帯とか政治的正しさよりも、社会問題へのアプローチとしてはよほど手っ取り早いのではないか?」と展開されるはずだよね。
「しかるに救われる人間の順番は『かわいそうランキング』によって決まっているよね」という現状批判なわけですし。
「キモくて金のないおっさん」や「かわいそうランキング」が社会問題解決の糸口以上の意味を持って、フェミニズムに対する反動を煽動する呪文になることを危惧してはいるけど、しかし反動の呪文となりうることをもって、これらの言葉を使うこと自体を妨げる理由にはならないでしょう。

12/29
起業や副業、転職の連続を尊ぶノマド的価値観はtwitterでは肯定されがちだけど、それはあくまで「その生き方を選好しない人」と社会の中で並存しているから成り立つ生活ですからね。
休日も働く人がいるから休日を快適に休むことができるのと同じように、「一企業内でじっとしていて消耗している人」がいるから自分たちにも商機が生まれている、そう考えるべきです。
その生き方は別に人類の普遍的な正義でも何でもなくて、単にあなたにとって心地がいいというだけのことです。それはあなた自身の正義でこそあれ、全人類にとっての正義ではないのです。

12/31
キモくて金のないおじさんも、有形無形の圧力を受けて社会から排除された存在だから、自発的に安楽死を選ぶよう強制されたと言っても過言ではない。そういう意味では、真に自発的に安楽死を選ぶ人など、存在し得ないのかもしれない。

12/31
行政による給付が申請主義を取らないとしたら、給付条件を満たす人を探し出すコストがまた別にかかるんだよね。その場合の社会保障費は、2倍に増えるならまだ安いほうだと思うよ。そして探し出したところで、「その人を強制的に救う」ことにはどうしても及び腰になる 本人の自己決定権を毀損しかねないからだ。

12/31
すごい人を呼んでは、縁もゆかりもない歌手とコラボさせてチョイ役出演させる紅白歌合戦は、技術職を軽んじる日本社会の縮図なのでは?

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