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雑記「#わきまえない女」と「日本語の難しさ」

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞意を表明した。去る2月3日のJOC臨時評議委員会の中で、女性蔑視とも取れる自身の発言に対し、国内外に広がった反発や批判を受けて、その責任を取る形となった。

今朝の新聞を読んで、私は末恐ろしいような気持ち悪さを感じた。

会長を辞任するという結果は同じだったかもしれないが、今回の場合、そこへ至った理由が本質からズレているように思う。

まずは、問題となった発言を改めて確認する。

「・・・女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。(中略)女性っていうのは、優れているところですが競争意識が高い。誰か一人が手をあげると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。(中略)女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制しておかないとなかなか終わらないので困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。」

「私どもの組織委員会にも、女性は7人くらいおられますが(一部編集)、みんなわきまえていらっしゃいます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんと的を得た、そういうのが集約されて非常に我々役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。」

マスメディアやSNSで多用されたのは、太字部分だ。

特にこの「わきまえる」発言を受けて、Twitter上では「#わきまえない女」がトレンド入りし、多くの方が発言を皮肉気味に批判している。また、森会長の辞任を求め、オリンピックのボランティアや聖火ランナーを辞退する方まで出た。

森会長の発言を擁護するわけではないが、しかし、私にはどうにも「わきまえる・わきまえない」という言葉の意味を履き違えたまま、世論が一人歩きをしているように思えてならない。

皆、言葉の本質が全く見えていないのではないだろうか。

森会長の発言を聞く限り、ここでの「わきまえる」とは「会議の趣旨に沿った的確な発言を行っていること」を指すはずだ。

その上で、今回森さんが女性に関して発言したことを要約すると、

「会議の趣旨に沿った発言をしない女性が多いと、理事会は時間がかかる」

ということ。また、この一連の発言から読み取れるのは、

「割合のために女性の理事を選ぶのではなく、会議の趣旨を理解した方から理事を選ぶべき」

ということではないだろうか。

実際、ある報道番組に、この「わきまえない女」とされたスポーツ協会の元女性理事が出ておられた。この方は当時の理事会で、「そのスポーツのことをよく知らなかったので初歩的な質問をした」というようなことを仰っていた。

私に言わせれば、理事でありながらそのスポーツのルールも知らないというのは、この女性側に問題があるのではないか。であれば、森さんの発言も最もだ。

ビートたけしが批判したように、今回あえて女性を引き合いに出したことは完全に森会長の失言だが、今回の発言は本質的には女性蔑視ではないように思う。

しかしSNS上ではどうだろうか。

あたかも「女性は黙っていればいい」とか「女性は活躍すべきではない」という意味で使われているように見える。

先の森さんの発言に対して、どうにも議論が成立していない。まさに、発言の趣旨に沿った的確な批判となっていないのだ。

にも関わらず、そのうねりは大きく広がり、女性蔑視発言の引責による辞任という結果となった。このうねりに乗ったどれほどの人が、批判する前に、言葉を理解しようとしたのだろうか。

もしかして、体よく誰かを攻撃したいだけではないのか。

現代では誰もが気軽に意見や情報の発信、そしてその受信が行えるようになった。最近では、ニュース自体をSNSから知るという人も多いだろう。

しかし、偏りを内在したまま抜粋されたり、要約された言葉は危険だ。受け手次第、捉え方次第で如何様にもその意味を変え、本来の言葉の持つ本質すら捻じ曲げてしまう

テレビやネットニュースなどのマスメディアは、短い放送枠の中で効果的に伝えるため、発言を要約したり一部を抜粋する。それはもちろん構わない。

しかし、日本語というのは実に多面的な意味や含みを持つ言語であり、同じ言葉でも使い方次第で180度意味を変える

である以上、マスメディア側は正確に伝わる報道をする努力を、また、情報の受け手である私たちは、日本人として誰よりも報道内容を正確に捉える努力をしなければならない。

今回のようなニュースの場合、マスメディアはよく海外の反応を取り上げる。周りを海で囲まれた島国で育った私たちは、海外の有識者の反応というエビデンスを出されたとき、日本人の発言に関する内容ですら、さも海外の反応が正しいという勘違いをしてしまう。

しかし、こと日本語において、そこに秘められている微妙なニュアンスを感じとり、その本質を理解することができるのは、日本語に慣れ親しんだ私たちしかいない。

文章をSNSや海外の反応というフィルターにかけ、言葉の本質を徹底的に削ぎ落とした後に再翻訳したような言葉を鵜呑みにせず、

情報をきちんと読み込み、自分自身で考えるということが情報化社会において真に必要なことではないだろうか。


ともかく、JOCの会長という立場でありながら、女性蔑視と取られる発言をしてしまった点に森さんの責任はある。

上に立つ方々がこの社会を理解し、その発言に責任を持てなくなったときには潔く後進に道を譲り、より良い世界や仕組みが作られていくことを願うばかりだ。

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