ワーカーホリック 心酔する愚者②

 エレベーターの扉が開き、Sが先に降りていった後に私も続く。真っ先に目に入ったのは巨大なモニターだ。障子一枚分のモニターがエレベーター前に3つ並んでいたのだ。まるで駅の広告画面のような大きさだなと。思わず声が出た。おおそらくここに従業員の映像が流れるのであろう。いまは営業時間外だからか、映像は流れていない。そんな画面の前で私が立ち止まっていると。Sからこっちだぞと呼ばれた。Sの方を向くと、入り口の目の前で黒いスーツを着た男性が私とSに対して深くお辞儀をした。
「おはようございます。急なお願いにも関わらず、お集まりいただきありがとうございます。私は梨本の部下の岩田と申します。本日は梨本ともう一人の部下の島崎を含め、このクラブの社長様と店長様、そして従業員の皆さまは既に中でお待ち頂いております。早速ですが打ち合わせ場所までご案内いたします。」
 岩田は慣れた様子で私とSをホストクラブの中へ誘導した。岩田の服装は黒のスーツであるが、ホストクラブのような如何にもハイブランドをメインとしたデザインではなく、きちんと仕立上げられたものに感じる。おそらくオーダーメイドスーツだろう。彼の肩幅や腕、太ももの周りを見る限り、既製品でも彼のサイズは十分あるだろうが、やはり普通のスーツとは違う上品な生地を使っていることがぱっと見た限り伝わってきた。しかし、胴回りが少し浮いているように感じる。と思ったところで、岩田が部屋の前でノックをする。そしてお二人が到着されましたと伝える声が聞こえて私とSにどうぞお入りください。と扉をあけた。
 岩田がこちらの席におかけください。と私とSをソファー席に促す。私とSが座る席は部屋の入口に対して右側の席を案内された。右側にはソファーと机があるが、右側の入口付近この部屋で今は必要のない机が重なって置かれていた。
「申し訳ございません。机が邪魔でしたら、すぐに別の場所に移動させます」と岩田が声をかけてきた。
「いえ、私はとくに気になりませんので、Sはどうする?」
「僕も気にならないから、このままでいいよ。片付けも大変だろうし」
お気遣いありがとうございます。と岩田が答えた。
この部屋のソファーはフロアの壁に沿うような席になっている。下座はきっと入口に近い席だろうなと思っていたところ、部屋のすぐ左側のソファにはホストクラブの従業員と思われる若い男の子たちが既に座っていた。そして上座にあたるであろう正面の席には梨本さんと部下が一人、ホストクラブの社長と店長と呼ばれるであろう2人と机に資料を広げて既に話をしていた。
席につくと同時に梨本が立ち上がって私たちに声をかけた。
「2人ともおはよう。今日は急に来てもらってすまない。事は急を要する案件だ。特にNには東北から帰ってきたばかりなのに、わざわざ朝一で帰ってきてくれて本当に感謝している。」
Sはそりゃどうも。とそっけなく返事をした。わたしは思わずSのお腹を肘でつついた。
「梨本さん。おはようございます。今回もご依頼ありがとうございます。昨夜のメールで今回は全員集合時に詳細をお話してくれるとのことでしたよね。でも、いつもなら電話かメールで済ましてくださるのに、今回はとても珍しいですね」
「あぁ、その通りだ。私は作業効率を優先しているから、大人数での無駄な会議は省くことに専念している。そしてデジタル化も積極的に取り入れている。特に資料はデジタル化を推奨している。ハンコも勿論電子だ」
この梨本の発言を聞いて、岩田は少し困ったような顔をしていた。
「しかし、今回に関しては電子機器そのものが信用ならない。いや、通信が信用できないといったほうが正しいかな。何とも前時代的な状況に陥っている。不便で仕方がない。だからといって資料にしなければ、一字一句記憶することは不可能だ。そこで社内外のネットワークとは隔絶したパソコンを一から用意して最低限のネット環境で資料をつくったというわけさ。」
梨本はもってたA4の資料のトントンと指で叩いた。
それは大変でしたね。と私は梨本に愛想笑いでこたえる。
その様子を見て、梨本の横にいたもう一人の部下がわたしとSに声をかけた。
「はじめまして、梨本の部下の島崎と申します。本日の資料でございます。」と島崎が私たちに資料を渡した。ざっとA4で20枚近くある。おそらくこの島崎という人物が短期間で資料をつくりあげたのだろう。思わずすごい量ですね、とつぶやいてしまった。
「ほとんどがサイトや掲示板の文章をそのままコピーしているだけですので、すべて自分で作ったわけではありませんよ。それでもいくつか資料はまとめましたが」と島崎が謙虚そうに答えた。
「いえ、突然失礼しました。資料ありがとうございます。頂戴いたしますと」と私は伝えた。
Sは島崎から受け取るとすぐに右側のソファーに戻ってしまった。
やれやれと思いながら、私もソファーに戻ろうとしたところ、梨本の席の前で話していた男性2人に話しかけられた。
「おはようございます。本日はお越しいただきありがとうございます。」
「おはようございます。店長の村山と申します。本日はどうぞよろしくお願い致します。」
私もおはようございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします。と返事をした。
恐らく、最初に声をかけてきたのが、このホストクラブの社長だろう、そして自己紹介通り、短髪の男性が店長が村山だ。
2人の挨拶を受けた直後、岩田が部屋の全員に聞こえるように声をかけた。
「では本日の打ち合わせのメンバーが全員揃いましたので、早速ではございますが、始めさせていただきます。各自、指定のお席にお座りください。」
岩田の声掛けから、全員席へと向かう。私も席へ向かう途中、入り口の左側に座っていた若い従業員のうち、青いシャツをきた男の子と目があった。私は気にせず彼からすぐ視線を逸らして、自分の席にもどった。
そして岩田がまずは今回の出席者を紹介いたします。と話をはじめた。私は岩田の見ながら、資料に目をおとしているSの腕をたたいた。

その時はまだ気づいていなかった。青いシャツをきた彼がこの部屋に入ってくる前よりもずっと前から私の正体に気づいていたことに。


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