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私の中身;わたし #2

以前自己紹介をかねて私の中に棲んでいる「わたし」の話をしました。

今回は別な一面の「わたし」について書こうかと思います。
主に音について、です。

きっと聴覚過敏というほどではないのだろうと思うのですが、私はあまりたくさんの音が飛び交っているところは苦手です。同じ音なら大丈夫なんですけども。中学高校と吹奏楽部でしたが、同じ「楽器の音」に包まれている間は特に問題ありません。演奏を聴くのも好きですが、演奏者にしか分からないあの「音の中に入っている感じ」とかは、好きです。

たくさんの音が飛び交っているところというのは、例えば話し声とゲームの音とBGMと料理の音が同時に鳴っている場所とか。ただただ大きい音量の音楽が鳴っている場所とかは、むしろ他の種類の音を消してくれているから大丈夫だったりします。色んな音が混ざっている場所にずっといると、だんだん頭が重くなって目の前のことに全く集中が続かなくなります。そんなら飲食店でバイトなんてしてたらしんどいんじゃないのって言われるけど、そりゃしんどいです。でも一人暮らしの身にとってまかないは非常にありがたいもんでして…せめて高級懐石料理屋さんとかならもう少し静かな気もするんだけど…

飲み屋は好きですけど、相手の話を集中して聞きたいなら静かなところがいいです(これは一般論な気もします)。長居できるからという理由でファミレスやファストフード店で話し込んだりすることもあるのですが、正直精神的磨耗がすごい。「バイバイ」って別れた後、こみ上げてくるのは話の充実感やひとりになった寂しさではなく、安堵と疲労感とここから家までの道のりはどんな音楽で蓋をしようかという感情だったりします。

実家は私一人が使える部屋がなかったことに加えて、外の音がよく聞こえる家だったのでなかなか落ち着きませんでした。テスト勉強をしている間は、外から聞こえるトラックの走行音や子どもの遊ぶ声が気になって、なかなか集中できませんでした。
だから、家事の音もしない早朝、まだ誰も起きていない時間が好きでした。でもその時間でさえも、時計の秒針の音が気になって集中し始めるまでに時間がかかっていたように思います。わずかでも音があるところでは、集中し始めるのに時間がかかってしまうみたいです。

ただ、一度集中してしまうと(ゾーンに入る、という言い方をしますね)今度は全然周りの音なんて聞こえなくなります。感覚としては、水に深く潜った時の、あの圧迫感のある心地良さの中に身を横たえている感じです。気泡の音さえしない水の中で一人何かに没頭する感覚は、あまり出会えないからこそ気持ち良くて好きです。時間が経つのも忘れてしまうので、最近だと気付いたら大学で朝を迎えている、なんてことやご飯を食べるのも忘れて本を読んでいることなんかがありました。

基本的にはいつも、無理に集中しようとはせずに身を任せている感じでした。ゾーン入れたらラッキーみたいな。しかし大学受験期はそうはいきません。隙間時間を見つけて勉強するには、「いつでもどこでも」集中できる環境づくりが必要だと感じたからです。
受験生になると休み時間に喋りかけてくれる人を避けるために図書室で勉強していたのですが、図書室の真上の廊下で吹奏楽部が練習していたこともあり、静穏な環境ではありませんでした。楽器の音が気になって仕方なかったので、そこで集中なんてできなくて。でも音楽を聞きながら勉強することは非常に苦手で(音楽を聴いてしまうので)。そこで水の流す音を再生することにしました。音姫的な。
そうすると、そのうちその水の音を聞くと(いつも同じアプリのを再生しています)ものの5分でゾーンに入ることができるようになり、そのうち喫茶店なんかでもその音を聞くことによって勉強のような集中が必要なことができるようになりました。古典的条件付けですね。


だらだらと書きましたが、私の性格特性として

①複数の音がせめぎあっている空間が苦手。疲れる。
②音がある空間では集中しにくい。
③ただしいつも聞く水の音を聞くとすぐ集中できる。
④一度集中し始めると今度はなかなか出てこない。

なんかがあるみたいです。面倒な性格だけど単純だなあって感じています。



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