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ひとあし進んで、一息ついて。

ひとあし進んでは、ひと息。
ひとあし進んでは、ひと息。

風が涼しかった時期は短く、瞬く間にほうきを持つ手が冷たくなる季節がやってきました。
今日も青年は青い服を全身に纏い、落ち葉を集めて練り歩きます。
朝、職場に着くと、リーダーを務める中年の女性の毎日変わらない丁寧な指示を、青年は律儀に聞きます。
渡されたほうきを手に、一列にきちんと並んで今日の道路へ向かいます。

青年は自分の仕事を気に入っていました。
それから、仕事は丁寧にやりました。
自分たちが、道ゆく人から特段注目されず、ただ風景としてあまりに馴染みすぎていることも自覚していました。
それでも、自分たちの仕事はとても大事な仕事だと思っていました。
青年は、これを「誇り」と言うことは知りませんでした。

ひとあし進んでは、ひと息。
ひとあし進んでは、ひと息。

これは青年が母親から教えてもらった仕事のコツでした。
母親は、ある児童文学作品からこの言葉と考え方を受け取りました。

長い長い道を、焦って早くやろうとがむしゃらにやろうとすると、息が切れてしまう。
そういう時こそ、途中で顔をあげるとちっとも進んでいない。
それでまた、焦って頑張って、頑張れなくなってしまう。
ではどうすればいいのか。一度に全部を考えてはいけないのである。
ただ次の一歩のことだけ、次のひと息のことだけを考える。
そうするとだんだんと楽しくなってくる。
そしてふと気づいた時には、一歩一歩進んできた道路が全部終わっている。
どうやってやり遂げたかは、分からなくて良い。
分からなくていいから、ただ次のことだけを考えてやる。

母親は子育てに長いこと悩んでいました。
どうやら自分の子はよその子と違うらしい。
そんなふうに感じてから、ない答えを探し求めて必死でした。
青年がうんと小さい頃から、母親はどうやったらこの子は一人で生きていけるようになるんだろうと、必死で「普通の」大人にならせるために考えていました。

だけど、この考え方に出会ってからほんの少し、本当に少しだけ楽になりました。
一度に全部考えず、ただ次のことだけを考えるようになると、人生は「現在」と「ほんのちょっと先の未来」だけになりました。
それで十分だと母親は思いました。

青年にこの児童文学作品を読ませても、きっと全部は理解してくれないでしょう。
青年にこの道路掃除の話をしても、きっと人生に当てはめて考えてはくれないでしょう。
だから、母親は青年が道路掃除をする時が来たら、これだけ話そうと決めていました。

ひとあし進んでは、ひと息。
ひとあし進んでは、ひと息。

青年は今日も、母に言われた通りに次の動作に集中します。
青年は今日も、中年女性に言われた場所で働きます。
青年は横をすり抜ける人が大学生と呼ばれる人で、割とせかせか歩くことを知っています。
青年はこの敷地内には大人だけでなく、小さい子どもがいるのも知っています。
青年は今日の道路が赤いのか黄色いのか、楽しみにしています。

ひとあし進んでは、ひと息。
ひとあし進んでは、ひと息。

青年は今日も、ある時振り返ると道に赤や黄色のラインができていることに気づくと嬉しくなり、寄せ集めてこんもりとさせると満足に感じるのでした。



* * *

初めて短めの物語を描いてみました。授業で作る機会がなければ、きっと作らなかったと思い、ここでも掲載してみることにしました。
知っている人、いらっしゃるかな。
私の大好きな児童文学作品『モモ』(ミヒャエル・エンデ, 1976, 大島かおり訳, 岩波書店)を下書きに、大学にいる清掃員(障がいのある人の就労の場となっています)をモチーフに描きました。こういう風景が日常にある大学だからこそ、日常に敏感でありたいと思います。



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