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眠れない日々。私は誰の目を気にしてるのだろう。

誰もあなたのことなんて見てないよ。

そう言われたのは、最近ぐるぐる悩んでいることをうっかり話してしまった時のこと。
全然欲しい言葉ではなかったけど、なんとなくすっきりした。


最近(この下書きを書いたのは5月末から6月頭あたり)、夜が眠れない。朝、外が明るくなってから寝る生活が続いている。翌朝用事がなくても、大抵3、4時間で目が覚める。時にはほぼ徹夜なんて日もあるのに、その日もいつまで経っても眠くならない。
最初はその生活がおかしいと気づいてなかった。「最近元気やわー!」くらいの気持ち。なんでもできる気がしてた。というか今もそんな気持ち。活動時間が長くなって、無理やり効率的な動きをしなくともやりたいことをあれもこれもできるからラッキーと思っていた。
でもふと睡眠アプリの記録を見て睡眠時間がおかしいと思い、そして毎日食べたものを投稿している自分のインスタを見て食が細くなってきたことに気づき、ようやっと昨日も一昨日もその前も、満足に寝てないのに一向に眠くならない自分に気がついた。

気がついてからは今度は、自分の異常さを必要以上に自覚して気分が悪くなるようになった。話しかけられていることにも気がつかないほど集中し、ふと我に返って起こりうるあらゆる事件(身内が亡くなるとか、恋人と音信不通になるとか)を想像して沈み、SNSで悲しいニュースとそれに対して更に投げかけられる冷たい言葉を見ては涙が勝手に出てくる。心が非常に不安定になった。
脅迫観念に駆られたように、勉強する毎日。大学院入試という未知すぎるものが迫ってきている。疲れたらSNSを一通り漁り、インスタのおすすめに出てくる動画をただただぼーっと眺める。

眠らなくても活動できるなんてラッキーと、楽観的には思えなくなったのは、高校三年生の頃を思い出したから。私は所謂進学校の吹奏楽部で、同期の3/4が夏のコンクールを待たずして春に自主引退した。
塾に行っている人がほとんどの中、通信教育で乗り切っていた私はただでさえ孤独に感じていた。
「みんなは塾という「信じられる指標」があるからええやん、私は私しか信じるものがないんやもん、怖い。」
というのが当時の口癖。塾というものにある種盲目的に信者になることで、今何をしたら良いかと言った進捗具合や、これさえすれば受かるはずと信じ込むことができる友人が羨ましかった。通信教育では問題数が足りず、市販の問題集を買い漁り、何度もこれでいいのかと苦しくなった。
何より、部活で特に親しくしていた友人と志望校志望学部が同じなのが怖かった。彼女は当初から成績優秀、私は下から数えた方が早い状況で、圧倒的な差がある中で同じところを志望していると口にするのすら憚られた。これでもし落ちたら、私は、私は。
無駄にプライドが高いのが邪魔をして、勝ちが見込めるようになる(狂信的に私は受かると信じ込めるようになる)まで、志望校を人には言えなかった。

話が逸れた。高三の頃の何を思い出したかというと、突然起き上がれなくなった日のこと。塾に行っている友達の(私個人の聞き込みによる)平均的な平日の勉強時間が宿題を除いて5時間というのを聞いて、私も部活動をしながら同じ時間だけ勉強しようと思った。最初の2週間は眠たいししんどいし辛かったけど、体が慣れてきて意外といけるもんなんだと思ったりした。
2ヶ月と少し、睡眠時間が4時間の生活を続けていたある日、確かホール練習(バスに乗って遠くのホールで練習するコンクール直前の練習)の日で7月の祝日月曜日だったと思う。目覚ましが鳴って目が覚めているのに、身体が布団に縛りつけられたみたいに動かない。遅刻するという焦る気持ちだけが大きくなる一方で、体が言うことを聞かない。
結局、休むように言う母を振り切って、集合時間には遅刻するもギリギリでバスに乗り込み、絶賛顔色を悪くしながら練習を乗り切った記憶がある。後輩にめちゃくちゃ気を遣わせたことは反省しかない。

以来、6時間は睡眠を取らないと勉強してはいけないというとんでもない約束を母に取り付けられ(体を壊しては元も子もないのは確かで、それゆえの母なりの心配の形だったのだろう)、部活を引退したことも相まってうまく時間配分ができるようになっていった。この時はもう、やることが食べる、寝る、勉強する、通学するくらいだった気がする。


* * *


結局私は、ただ負ける勝負が怖いのだ。
入試という勝ち負けがわかりやすい勝負に乗るのが怖いのだ。
落ちたらどうしようという不安が纏わりついて心を蝕む。

大学入試ほどの切迫感、緊張感、志望校との距離はない。だけど、大学院入試だって落ちることはあるし、忘れ物して緊張感が爆あがりするかもしれないし、そもそも当日起きれなくって受験できないかもしれない。一人暮らしってそういうこともありうるのだ。
もっと言うと、実家にいた頃は本当に色々気を遣ってもらって「受験生」と言う肩書きを存分に振りかざして、何もかも免除してもらっていたが、今日常の家事を自己免除するとただただ生活が破綻する。バイトだってあるし、授業もあるし、立ち上がったばかりの脆弱なサークルの基盤作りもなんとかしたい。博士前期課程(修士課程)の入学金、受験料、授業料を満額払った際に不足する50万円が貯まるまであと少し、バイトをやめたくないという気持ちもある。

ベストを尽くした上で負けるのは仕方ない。だけど、どこかで今私は勉強「だけ」の環境でないことに不安を抱き、こんなんで受かるもんなのかとそわそわしている。いやむしろ、落ちた時の言い訳を考えているのかもしれない。勉強に集中できる環境じゃなかったんだと言いたいだけかもしれない。

試験に落ちたことがない、というのが自分の中のプライドをどんどんどんどん高くしていっている気がする。そろそろ挫折を味わうべきかもしれない。子どものうちに怪我をしておけば良かったんだ。大人になってからこけた傷は治りが悪いに違いない。こけ方だってきっと下手だ。
負ける勝負はしたくない。勝算か言い訳ができない試合にはそもそも臨みたくない。そんな気持ちの表れが、眠れない夜に私を机に向かわせる原動力になっている。


誰もあなたのことなんて見てないよ。

そう、そんなのわかってる。落ちたって誰も気にしない。だけど私は周りの目が気になる。自分のプライドを守りたくて仕方ない。
インプットばかりでアウトプットが非常に下手になってしまったことを痛感するこの文章は、あえてこのままネットの海に流そう。
《追記》
今は少し眠れるようになりました。眠れない夜はSNSを漁る代わりに勉強する習慣がつきました。少しでもこの不安が減りますように。


ぽてと


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