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12歳のわたしへ

未来に向けた手紙はよくあるけど、32歳のわたしにはそんなに期待をしていないので、12歳のわたしに手紙を書く。1枚目は12歳の一年を振り返って。2枚目は今の私から12歳のわたしへのメッセージ。


* * *

12歳のわたしへ

小学6年生。マンモス校と呼ばれる人数が多い小学校だったけど、私のランドセルほど美しい緑色のは見たことなかったね。10年経ったけど、未だにあんな色のランドセルは見たことないや。
ランドセルを買った頃、小学校に入る前は人の目を全く気にしなかったのに、12歳のあなたは周りの目ばかりが気になって気になって仕方なかった。「わたし」なんてなくなってしまって、周囲から浮かない「わたし」になれればいいのにって、いくら願ってもなれなかった。

「身の丈」を弁えず、派手なグループに入ろうとして宙ぶらりんになったあなたは、これまでの12年間で初めて本気で消えたいと思う。でも死ぬのは怖くて、それから親に迷惑がかかる気がして家出をする度胸はまだなくて、最初からわたしなんていう存在がなければと考える。この頃からのこの気持ちは、残念だけどこれから少なくとも10年間は定期的に抱き続けることになるよ。

小学校も6年生にもなると、女子の嫌がらせは分かりにくいものになるんだよね。
「あいつって真面目だよね」
「真面目だと、すぐ先生にチクるから誘わない方がいいね」
「手紙、回さないでおこっか」
「卒アルの写真撮影の日、みんなでおそろいのTシャツ着ようよ。あ、あいつには言わんとこ」
「次の時間グループ作ってだって。絶対このメンツの誰かとはいっしょになりたいよね。先にペア決めとこ」
「あーごめんもう埋まっちゃったや。ほかのとこ行ってくんない?」
気づかないと思って言ってたのかな、みんな。バカだよね。トイレなんかで喋んなよな。あなたはそれを個室で聞いて、静かに泣いて、みんなの足音がしなくなってから、チャイムが鳴るギリギリに教室に帰ってくよね。


真面目じゃなくなれば、みんなと一緒にいられる気がして、あなたはマンションの「お掃除のおっちゃん」に挨拶をしなくなるよね。それやめた方がいいよ。そういうところは、みんなの真似しなくて良かったんだよ。そのうち「みんな」の質や種類が変わるから、高校あたりで挨拶できない自分が恥ずかしくなる日が来るよ。

太っていた自分がコンプレックスで、大きいサイズの服を着たい、体のラインを隠したいと思い始めたのもたしかこの時期。一番太ってた時期の小学校1~4年生あたりには、あんまり服のサイズ感とか気にしてなかった気がする。だけど、親にオーバーサイズの服を買ってとねだると、「だらしがない」と言われる始末だったよね。学校でみんなとちがうことをしたり、自分の主張をすると白い目で見られてハブられることに慣れてしまって怖くなっていたから、本当は親に「自分はこれがいい」って言うこともめちゃくちゃ恥ずかしかった。自己主張が恥ずかしいって思うようになると、人の顔色伺ってものを言う人みたいに見られて、余計に人との関係性悪くなるのにな。そのうち、その恥ずかしさを隠すために、ぶっきらぼうな態度や汚い言葉遣いに変わっていくのは、まあいわゆる反抗期でもあったんだろうけど。

バレンタインには、好きな男の子の家までチョコを持ってったけど、結局インターホンを押すのが出来なくって玄関先に置いてきたんだよね。そしたら、翌日クラスの大半の女子に取り囲まれて
「昨日○○にチョコ渡したでしょ!この子が先に○○のこと好きって言ってたよね、勝手に渡さないでよ!」
と怒られた。包装紙が友達にあげた分と一緒だったから、渡しに行った時に私のが玄関に置いてあるってバレたらしい。理不尽。この時から隠し事は徹底的にしようって心に決めたよね。でも残念なことに、あなたはその後10年間で隠し事のスキルは全然上達せず、いつもツメが甘くてバレて痛い目をみることの繰り返し。覚悟が必要。


それから、忘れもしない2012年3月21日。

あの日私は、初めて校則を、母との約束を破るんだよね。
通学路すら順守した6年間の、卒業式の前日。遊びに行ける場所(行ってもいい公園)が決まっていたうえ、宿題が終わってからじゃないと遊びにいけなかったあなたは、長らく人から遊びに誘ってもらうことがなかった。大抵の友達は、宿題は門限の時間に家に帰ってからするものだったので、そもそも遊べる時間が限りなく短い。その上、高学年にもなると自転車であっちこっち移動しながら遊ぶようになるから、小学校で解散する時に約束する「集合場所」と、私が宿題が終わる頃にみんながいる場所は違うことが多い。ケータイを持っている子どもがまだ少ない時期で、遅れて参加するっていうのはめちゃくちゃ迷惑がかかる事だということくらいは、あなたもよく知っていた。だから、自然と誘われなくなることは仕方ないことだと思っていた。

けどこの日、卒業式前日は、宿題もなかった上に卒業式マジックで大人数で遊びに行こうと言われた中に、運良くあなたは入れてもらえた。多分みんな浮かれてたんだよね。校区内にプリクラ機がなかったので、校区外のダイエーに行こうと言われた。校則では、母との約束では、校区外に小学生だけで行ってはいけないと言われていた。あなたはもちろんプリクラなんて撮ったことがなくて、たくさんの友達が筆箱に貼りまくっていたプリクラを、羨ましそうに眺めるだけだった。だから、行こうって言われた時には舞い上がっちゃって、初めて規則を破ることにドキドキして、むしろ少しワクワクしながら自転車を漕いだよね。

この後少しうろ覚えなんだけど、たしかダイエーから校区内の公園に帰ってくるところあたりで、私が入り損ねた形になった同じクラスの派手なグループに出会っちゃうんだよね。で、なんでかよく分からんけど、気づいたら取り囲まれて石とか砂を投げつけられてた。ざっとその数10人ちょっと。ただひたすら怖くて惨めだった。さっきまで一緒にプリクラ撮ってた子たちは、遠巻きに眺めてるだけだった。もともとその派手なグループは女の子数人のグループだったけど、その日は男の子もたくさん一緒にいて、彼らはなぜそうなったのかを理解せずに面白がって彼女たちと一緒に石を投げつけた。怖くて惨めな気持ちは、そのうち遠くに行ってしまって、途中からは幽体離脱した自分があなたを客観的に見ているようだった。こんなドラマみたいな典型的ないじめって、平成のこの時代にまだあるんだ、なんて思っていたよね。

帰宅して、泣きたい気持ちを押し隠して過ごしていると、インターホンが鳴って大勢の人がモニター越しに見えた。何かあったのかと聞く母親を無視して、マンションの1階でさっき石を投げてきた人たちと話した。
何も考えず面白そうだと思って傷つけることしてすみません、と謝る男の子。
その横で、大阪桐蔭高校が春の選抜高校野球の初戦を突破したと、ケータイを見ながら喜ぶ男の子。
明らかに「連れてこられた」感満載の、派手なグループの一員の女の子。
まあ明日はせっかくの卒業式なんだから、仲良くして終わろうよという女の子。などなど。
心残りというか、やってしまったという罪悪感から解放されたくて、とりあえず謝りに来た感がすごかった。絶対赦してなんかやるもんか、と決めても、もはや愛想笑いでいいよいいよと言って、逃げるしか術がなかった。10年後の私からは、多分そうやって逃げて正解だったよって言っておくね。

こんな遅い時間に何があったのかと尋ねる母親に、あなたはなんでもないとしか言えなかったんだよね。規則を破ってしまったという後ろめたさが消えたわけではなかったし、投げつけられた罵詈雑言と砂を事実としてまだ受け止め切れてなかったから。どうかこれが夢であってくれと、まだどこかで願っていたから。今日あったことを受け入れるのは、同時に自分がいじめられていたという事実を受け入れることであり、この日以前の「なかったことにしてきた」数々のことをも受け入れることになる。そんなことはまだ、出来なかった。いじめられるなんて、そんな惨めで情けない対象に自分がなっているなんて思いたくない、というのが本音だった。


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12歳のわたしへ
あれから10年も生きてしまいました。これまで大きなケガや病気をしたことなくて、不謹慎にも「なんでこんなに死から遠いんだ」と思った日もたくさんあります。
10年後には、強くてしっかり者でかっこいい大人になっていると思っていました。だけど、現実はいつも遅刻ぎりぎりで走って登場するし、電子レンジから火が出るし、メイクまで頑張ったけど結局家から出られなくて布団を被って過ごす日もあるし、誰かの一言にとことん傷ついて塞ぎ込んでしまう毎日です。早く大人になりたくて背伸びをたくさんしてきたけど、今は大人と子どものはざまで悩んでいます。きっともう大人にならないといけないのだけど、まだ子どもを守れる責任も強さもなくて、他の「大人」である先生や指導者、支援者に頼りきりです。大人にはなりきれない、だけど大人という自覚を持てと言われる今日このごろです。

思ってた10年後と違ってごめんね。だけどいくつか伝えたいことがあります。
一つは、人の気持ちが分からないって泣いていたあなたは、それから色んな術を身につけてなんとか切り抜けていけるようになります。相変わらず特定の人と深い付き合いを長く続けることは難しくって、コミュニティをどんどん渡り歩いてってしまう私だけど、それは仕方のないことだと割り切って進んでるよ。
もう一つは、勉強が好きで得意なのは、恥ずかしいことでも隠すことでもダサいことでもなかったってことです。むしろ今は、こういうこと勉強したい、ここを深く学びたいって気持ちを持つ人たちに囲まれて、その点では十分幸せです。勉強してないって嘘をつく必要はなくて、たくさん勉強したからいい点取れたんだって言っても良いみたい。この点に関しては、10年後の自分にも学び続けていてほしいと期待するかな。

最後に、あの日誰にも助けてと言えなかったあなたは、相変わらず無理をしてしまうまで助けてと言えないまま大きくなってしまいました。だけど、12歳のあなたの周りより、随分とあなたを気にかけてくれる人が、心配してくれる人が増えました。それから、今私は、日々の小さな辛いことや理不尽なこと、愚痴や助けてが安心して言える「子どもの居場所」について、研究したいと考えています。多分これで良かった。

12歳からの10年間をもう一度やりたいなんて絶対思わないけど、なかったことにはならない10年間だもんね。ありがとう、じゃあね。

22歳のわたしより

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ぽてと

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