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DESTINY 〜という運命

縁というのはデスティニーだ!

日本で一番多い宗派の浄土真宗のお坊さんが、縁というのを英語で考えながら、綴った記事を拝読しまして、

「縁」というのを考えたとき、

お坊さんは、英語にはこのような不可思議なはたらきかけを表現する言葉がないのかも知れないと、因循してしまって、

「ご縁」というのは、時として「Our meeting was linked by fate!」と訳されるから、

出会いの背景を大切にして表面や結果にとらわれるのではなく、背景にある見えないものを観るという、日本の精神文化の深さを感じると述べています。

それは、とてもゆかしい姿勢かと思います。

ところが、

「fate」というのは、同じ運命をあらわす言葉の「destiny」より悲観的だから、

ポジティブな場面で使うのは「destiny」であって欲しいと思うのです。

僕だったら、「Our meeting was linked by fate!」といわれたら、寂しくなってしまう。


いや、「俺たちの出逢いはデスティニーだ!

これからも、宜しく行くぜ!」




僕は、縁という言葉が嫌いだった。

そこにはどうにもならないものという、諦めがみえてしまうから

僕たちは、いつだってまた逢える!