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探し物は探さないときに出てくる

こんにちは!
クマ犬ぽたです。

今日のお品書き


はじめに


コメダ珈琲にて


いつも行かないカフェに行くと、興味深いことに遭遇することがある。
思い立ったが吉日の私は、今日いつものようにお決まりの喫茶店へランチへ行こうとしていた。
しかし、ひょんなことから忘れ物を家に取りに戻り、思考が変わって全然行ってない喫茶店へ行こうと思いました。

ブレンドコーヒーとトースト


カフェでぼーっとしていると、隣に御姉様たちが座りました。
そこで会話が聞こえてくるのです。

それは探し物が見つからないという話になり、聞き耳を立てて聞いていました。
隣のお客さん1 「どうして、大事なものって探そうとするときに見つからないの?」
どうやら、大事にしていたモノが探して回ったのに見つからないことを相手に吐露している。

隣のお客さん2 「まあそのうち出てくるじゃない」

この会話にはうんうんと共感した。いや私は読書をしていたが、声が聞こえてくるから仕方ありません。

夢の中なら見つかるんじゃ、、


何か探しものありますか?
見つけにくいものですか
私はよく忘れ物をします。
そして、何処へしまったのか忘れます。

いざという時に慌てて探しますが、見つかりません。
探すときに無いのなんでだろうと思うことが度々です。

私はあるとき、この探し物を探さないときにええ加減に探すことを思いつきました。
真剣に探せば探すほど、大事なものが愛おしいように、想えば、思うほどに見つからないのです。

それは物に対して直視しすぎているのです。
向こうが、恥ずかしがって出てきてくれないのです。

混沌の世界に、眠っています。
だから、今は探さないで!!と言っているのです。

特に真剣に。ここでは手を抜けばいいんですよね。
これが出来たら、みんな探し物出てきて万万歳なんでしょうけど。

けど、この世界では探し物をとかく周りを漁ったり、思い当たるところをかき出したり、かばんを全部ひっくり返したり、あとで床が無残にもモノで埋め尽くされている。

こんなふうになるのですね。
井上陽水さんの「夢の中へ」は有名な曲ですが、これほどこの曲が普段の私たちに当てはまるのは至極、的を射ているからだと思います。

夢の中だったら、探し物になる前の持っていたときもごっちゃになっている、そこで何処に行った探すのがいいですよね。

一回直視を外してみることです。まあ出てこなくてもいい。それが無くてもなんとかなる。代用は・・・。うーん思い入れがあるとそのシチュエーションにあったものを身につけたくなるものです。

だけど、そこを外さないと思い込みの思考から離れて、諦める。
すると、意外なところから出てくるものです。

大切なものだからこそ、いつもよりも大事に取っておくものです。そして、何処へしまったのかをすっかり忘れるのです。

In my life

私が好きな音楽で銀魂3のエンディング3で「in my life-azu」にこういう歌詞があります。

「何もいらないわ カラの鞄ひとつでいい ひとつ失くして またひとつ出逢う In my life 飛び越えた今日も 目の前の明日も 私だけのもの」

こういう生活でも良いじゃないかと思ってみると、気持は楽になるものです。忘れ物を忘れても、もうそれならそれでいいと潔くなる。
また何かに出逢えるものです。そういうふうに出来ています。

忘れるという脳の機能をあえて、愉しんでみる。
そういうのも一興だと思います。
記憶を忘れることで、新しい記憶を取り入れていたりする。

思い出すときはリラックスしているとき、忘れて慌てているときは興奮状態で冷静さを失っているときです。

深呼吸をしたり、一旦横に置いたりしておくと思考が整理されて、ふっと思い出すかも知れないですね。

終わりに

昨日トーク&ライブでちょうど、この探しものの話がでてびっくりしました。
シンクロニシティはあるところにはある。
ないとおもうところになしですね。

追伸
旅は面白いことだらけの刺戟がある。
またこの続きは書くときがあればしますね

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