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デッドライン。

ゲイドルのぽたろうです。
千葉雅也氏の小説「デッドライン」を読了しました。

珊瑚礁のまわりで群れをなす魚のように、導きあう男たちが夜の底をクルーズする――。ゲイであること、思考すること、生きること。
修士論文のデッドラインが迫るなか、動物になることと女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。
気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説。
(新潮社WEBサイトより)

千葉雅也氏の経歴をWikipediaなどで参照すると、私小説の要素が色濃く反映されていそうだと感じた。のっけから発展場の描写で一般読者の興味を惹くには十分で、性交渉のなかでの思索にハッとさせられるのだが……。
全編を通して淡々とした記述が続き、主人公の視線とか感情は冷静だ。一文が短くて潔い。大学院での哲学の研究も発展場での出来事もサークルでの映画制作もすべてがほぼ同列に語られていて、それが主人公を構成する(生成する)要素なのだとしたらどれも省くことは出来ないのだろう。

登場人物がたくさん登場することも外せない要素だと思う。
社会的動物としての人間的側面。研究室、サークル、地元の友達、親族、新宿二丁目、カフェ、発展場(発展スポット)。たくさんのコミュニティに所属していることを丁寧に書くことで主人公の○○が浮かび上がってくる。
訳あって引越しを何回か行っているのだが、時折描かれる親友Kとのドライブは迂回する心の葛藤を示しているのかもしれないね。
労働力として様々なコミュニティから友人を動員しての引越しのシーンは、その出来事以上に盛り上がるわけでもなく、だからこそ現実と地続きな感じがして誇張のない物語に個人的にはグッときた。

登場人物の呼び名も一癖あって、面白い。
主人公はカミングアウトには寛容なようで、そこに至るまでの経緯が詳細に記されているわけではないけれど、家族とのちょっとした距離感やズレが読者の共感をうむ。私はカミングアウト出来てないけれど身につまされる。

修士論文までのデッドラインが迫ってきて、最後の1/5あたりから時間の変化もふくめてダイナミックに動き出す。不幸な出来事が続き、論文が書き上がらないことの焦りが日に日に増していくのだけれど、ドトールから始まるルーティンは形を変えながら継続していて作者の生活が垣間見えるようだ。

思索を言語化して、教授との対話を文章にして、曝け出すような暴力性がありながらも、淡々とした文章でそれなりに引っ掛かりもなく読めてしまう。
途中、数カ所で視点の揺れが見られ、私にはあまり意図がわからなかったがフックやアクセントにはなっていて、久々に小説を読んだが有意義な時間で本を開く瞬間が待ち遠しいと思った。

男を見る目は、同意です。
あと、発展場でぐるぐると回って男にアプローチをかける、妙なプライドからかあくまで偶然を装う、やりたくて発展場に行くのにあの光景ってなんなんだろうね。私からすると、ゲイの世界を描いた、とか発展場の世界が、とかいうのに過剰に反応する感じではなかったが、再考の機会を頂き感謝。

一番好きな挿話は、地元友達数人で、それぞれに奇抜と思える格好で上野だか秋葉原だかを訪れるはなし。(記憶が曖昧で申し訳ない)
男なのに男が好き、という葛藤と違和感があって、自分も同じようなことを考えていたことがあったからか凄くひきこまれた。コスプレの感覚、というのは人それぞれだが、男として男に欲情する同志として誠に勝手ながら「デッドライン」に拍手喝采を送りたい。


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