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生活の発見

■書籍名 生活の発見
■著者  ローマン・クルツナリック
 本書では、現代の資本主義社会が形成される以前の人間の生活の方が、人類史は長いため、近代までの人間の生活の知恵を取り入れていくことが、本来の人間の生活様式であり幸福であるということを述べている。
「138億年の音楽史」の著者浦久氏がおすすめしていた本書。とにかくスパンを長くして現代を見つめ直そうというスタンスからすると、二つの著書に共通点が生まれてくる。時間を軸とした帰納法で物事を考えることを、一般的には「歴史に学ぶ」と表現するわけであるが、では時間をどの程度の長さまで捉えていくかということがポイントであるにもかかわらず、骨の折れる作業であるために、普通の人にはなかなか取り組んでいけないように思う。
 そういった意味で、本書は、概ね人類史3000年の中で考えていくダイナミックな時間軸を構成しつつ、さらに空間的にも洋の東西を問わず、幅広い知見から人間の本来的な幸せのあり方について考察しているものである。そこからは、人間の幸福のあり方は、世界的に共通なものであると考えられる。そしてそのあり方は現代社会においてはことごとく否定されているものだということが考えられる。例えば本書では、時間の効率的な使い方、目標を持った生き方などの、一見すると善良な価値観と思われがちな考え方にこそ、その落とし穴があると説く。ドイツの哲学者であるマルクス・ガブリエルもどこかでいっていたが、「効率性は人間を抑圧する」のである。無駄のない活動は、ゆらぎや遊びが排除された寄り道のできない一本道である。もちろん目的地までは一番早く着くことは明らかだ。しかし、旅の道中が真っ直ぐな一本道しかなくて、道路脇に魅力的なお店などがいっぱいあると気が散って遅くなるからと、道路脇は灰色のコンクリートで塗り固められているだけということである。そんな旅のどこが面白いであろうかということだ。ただただ目的地に向かって足だけ前に動かすことに何の意味があるのであろうか。効率性は人間を抑圧するのである。
 そう考えていくと、現代社会において一見すると善意の価値観として位置付けられているものは、全てにおいて、その良し悪しを再考していく余地があるということかもしれない。いや、再考することで自分のものの見方を獲得できるのかもしれない。そのためには、目の前に空気のように提示される「一見すると善意の価値観」について、そのままいつものように受け入れてしまうのではなく、はたと気がついて再考フィルターに通す必要が生じてくる。実はこれが一番難しいのではないかと思う。これまであたりまえと教育されてきたことに対して再考のフィルタリングをかけるという行為、まさにこれこそが「知性」というものであり、こうした知性の働かせかたを常態化させていく先に「教養」というものが身に付くのではないかと考える。
 特に今の僕に必要なことは、こうした「非効率性」であると思う。仕事では生産性の向上ということがまさに「一見すると善意の価値観」になっており、仕事上はこの価値観を前提として毎日くだらないことをひたすら回しているような感じだ。本当は仕事の中にも、無駄、遊び、ゆらぎ、ノイズ、という表面的には排除対象となるものたちをふんだんに取り入れて、人間らしい働き方を回復させていく必要があるのである。あともう一つは、探究心、研究心、粘り強さ、闘争心、継続力、などと言われるもの、これらの共通点はよくよく考えると、経済資本主義社会において資本を拡大させていくため、資本家階級が労働者の生産性を向上させるために求めてきた都合の良い価値観といえるのである。このような言葉で上からうるさく言ってくる人間には警戒をすることが必要である。いや、警戒対象は言ってくる人間ではないのかもしれない。つまり、ワイワイとめんどくさいことを言っている本人ですら、それらの言葉によって教育をうけてきた被害者である可能性が高いからである。人を警戒するのではなく、考え方を警戒するということか。
 いずれにしても、生活の中で再考フィルターを起動させること、そして生活の中に非効率性を敢えて取り入れること。本書から学んだことはこの2点である。ゆるく、適当に、気になったらやってみる、飽きたらやめる、だらだらとやる。再考フィルターと非効率性。これらの考え方を取り入れて、僕自身の生活を発見していきたいと考える。

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