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記憶と対峙

小さい頃の記憶を割と保持している方だと思う。

お腹の中にいた頃の記憶は流石にほぼ無いけど、古い記憶ならオムツを替えて貰っていた頃くらいからある。

小さい頃、日中に目を瞑るとたくさんお化けが襲ってくる気がして怖かった。夜寝る前、天井を見つめているとそのまま天井が落ちてくる気がして怖かった。

保育所のお遊戯で「めだかの学校」で踊った時、年長組が両手を挙げて作ったアーチの中を年中組がくぐるという振り付けがあったけど、そのまま捕まって逃げられない気がしてそのアーチを結局一度もくぐれなかった。

眩しい太陽を目を細めながら必死で見たら光の反射で真ん中は真っ白、周りが少しだけ黄色っぽくて、それをそのまま絵で書いたら「太陽は黄色かオレンジで塗るのよ。」と嗜められ、気に食わなかった。

大人が大抵「気のせい」で済ますことを、いちいち許せなかった。


年齢的に言えば充分大人になった今、私は大抵のことを表面的に許せる。中学生くらいまでは喧嘩もちょくちょくしていたけれど、高校以降は無関心な態度をとるようになった。短気だけど、そう思われない態度を振る舞えるようになった。


でもたまに、そんな自分を許せなくなる。

なまじ過去の記憶が鮮明に残ってしまっている分、その重さで動けなくなる日がある。あれだけひとつひとつの物事に神経質に生きてた自分が、今はできるだけ無関心でいようと生きてる。

みんなが手を挙げて作ってくれたアーチの中を悠々とくぐれる。真昼の太陽をオレンジで塗ることもできる。


でも本当に捕まえられちゃったらどうしよう?

真夏の太陽、やっぱり何度見ても真ん中は白いと思うんだよ…


小さい頃の自分が、不安そうにこっちを見てる。安心させてあげたいのに、表面的な言葉しか出てこなくて、こんな言葉であの頃の自分の不安がおさまるわけなんてなくて、むしろ余計傷つけてしまいそうで、なんだかとても虚しくなって、結局二人で立ち尽くしてしまう。


…という夢を見た。


これって今の自分の人間関係のつくり方ととても似ている。

大切な人たちを自分なりに大事にしようとした結果、傷つけたくないから悲しませたくないからってだんだん本当のこと言えなくなって。ついには何にも話せなくって、まるで私から距離を置いたように見えちゃう悪循環で大切な人ほどよく無くすのだ。


小さい頃、自分が考えていたことやその時々の気持ち。周りからとやかく言われて傷ついていくことに耐えられなくて、隠して強くなろうとした。それが大切にするってことだと思ってた。


でも小さい自分は、時々私の前に出てきては泣き叫んで、もっと喋りたいって駄々こねて、私を必死の形相で睨んでくる。そしてその頻度は少しずつ上がって、もう隠しきれなくなっていた。


はいはいごめんよ、ずっとほったらかして。

嫌われても傷ついても、一緒に生きてくべきだったのにね。



会社を辞め、優等生道から外れた今、私はあの時 守れなかったこの子を、もう一度抱いて、おぼつかない手で必死であやして、思いっきり泣き叫べる場所を探して歩いてる。

私が手放してしまった大切な人たち。誰だったかもう覚えてないけど、もっと一緒にいたかったって記憶だけは残っている。大切の仕方を間違えてごめんな。


記憶ごと動くのって、随分重いなぁ…

まぁ、休憩とか入れながらね、少しずつ。


早く会いたい、未来の自分。今度こそ笑顔で。

過去と一緒に、大勢で迎えにいくからね。


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