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一方的な手紙

一時期、自分本位な手紙を送っていたことがある。送り先は、昔の職場で知り合った老齢の男性。
仕事で落ち込むような時、それとなく励ましてくれる、控えめで心優しい紳士だった。父よりもずっと年上で、まるで祖父のような存在。
職場を離れた後からその方と挨拶程度の文通が始まったのだ。

手紙のやり取りの最初は年賀状だったかと思う。忘れた頃に届くような、細く長い付き合い。のんびりと出しあえる、文通相手としても気があう方だった。

その方が一度、メールアドレスを教えてくださったけれど、手紙を送りたかった私はそれには応えずに、いつも通りに手紙を出した。

時におすすめの本を送ってくださったりするので、こちらも愉快なポストカードを見つけては送ると、それに輪をかけて面白い手紙を送ってくださったりと、穏やかで楽しいやりとりをしていた。

そうして何年も文通を続けていたある日、その人から届いた葉書は、几帳面に整然と並ぶいつもの字とは違い、少し斜めに走る慌てたような、それまで見たことのない筆跡だった。

引き換えその内容は
「少し旅に出ようと思います。手紙を送れなくても、どうか心配しないでください。」というもの。

北海道への旅がとてもお好きで、よく現地で撮影した写真を葉書にして送ってくださったりしていたこともあり、確か私は
「道中お気をつけて、楽しんできてください」等、何の変哲も無いお返事をしたはずだ。


それから、返事は返ってこなかった。


忙しさに紛れて、だけど時折思い出して、それから何通か手紙を送った。

夏の暑い日には、ソーダ水の描かれた絵葉書を。

お元気ですか?としたためた。

それからさらに数年経ったある日、私は理解した。その日は突然訪れた。

何がきっかけだったのかわからないけれど、ふとした拍子に、その考えに行き当たり、堪えられない悲しみが襲ってきた。

あぁ、あの手紙はさようならの手紙だったのだ。


あの最後になった手紙の後、いくつかの一方的な私からの手紙はどこに届いていたのだろうか。
奥様はご健在だったのだろうか。ずっとお身体が悪かったのだろうか。
私とその人を繋ぐものは、手紙しかなく、他にその人を知っている共通の知人もおらず、手紙だけが全てだった。
今も本当のところはわからない。

さりげなくあたたかなお人柄だったあの方らしい、私へのさようならだったのだ、と数年越しに理解した私は、記憶の中のその人にただ感謝するほかないのだった。


#手紙 #エッセイ

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