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生きづらさを思うとき、ゴッホの絵画を見るということ

これは、あまりに鋭い感性の持ち主であったが故に自分自身を持て余し、世間のほとんどに理解されず、苦しみ抜いて生涯を終えた、一人の人間の話。

※映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」
の個人の感想です

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こんばんは、POSTORYです。
ゴッホについては、ああ、いわゆる有名なゴッホね、と昔はあまり気に留めていませんでした。子どもの頃、多くの人がバッハやモーツアルトを知っても傾倒しないのと同じく、その革命的な凄さは、「偉人」ということだけで包括されてしまいがち。だけど周囲がゴッホゴッホと騒ぐので、にわかに気になりだし、調べるうちに愛着を持ち始めることに。

ちなみにこの映画は、ゴッホが生きた最後の2年間を描き出している。
その2年間に、いわゆる私たちが「ゴッホの絵だ」と認識する絵のほとんどが描かれているのだ。
先にお伝えしたいのだが、これは伝記映画ではない。あくまで、自身も著名なアーティストでもあるジュリアン・シュナーベル監督の感性に基づいて制作されている。
しかし、映画は史実に忠実であろうとすることは出来る。その時代を見てきたわけではないのになぜ忠実に寄り添うことが出来るかというと、明確なエビデンスがあるから。
そのエビデンスとは、そう、ゴッホの手紙。

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ゴッホが画家を志したのは27歳。決して早くはない。
しかし、亡くなったのは37歳という早さ。
あの数々の名作は、たった10年の間に創出されたのだ。
しかも10年間に、なんと2000点以上もの作品を描き上げたのだから、その生産量に驚かされる。ものすごくざっくりと単純計算をすると、その数3日に5枚。驚異的な速さとエネルギーだ。

ゴッホ役のウィレム・デフォーは現在64歳。彼を知っている方は驚くと思う。この映画ではなんと35〜37歳のゴッホ役に挑戦しているのだ。
正直いうと映画を見た最初は、老けてるゴッホだな、と思った。だけど、日本の浮世絵のように影のない明るい光を求めてアルルに引越し、自然の光と風を身体いっぱいに受け止めるゴッホを見ているうちに、全く気にならなくなってくる。
年齢以上に人生に疲れていたゴッホに適役だと監督は判断したのに間違いないが、そもそも、ウィレム・デフォーは見事にゴッホそのものになっていたのだ。納得するほかない。

「永遠の門 ゴッホの見た未来」予告編

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この映画の楽しみかたの一つは、
「あの絵の人だ!」と思える人物にスクリーンで会えること。
まるで長年案じていた人たちと再会できた気分になれるのが面白い。

お節介かもしれないが、ちらりとだけ絵画を載せる。
まずはルーラン夫妻を。

この夫妻は、アルルでゴッホが心を許せた数少ない人たちだ。この関わりは、観る者を束の間ホっとさせてくれる。映画でも大切なファクターとなるのでご注目を。
しかも、ルーラン夫妻の旦那さんのほうは郵便夫(郵便局員)なのだ。帽子に「POSTES」とあるのが見て取れる。

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Portrait of Josepf Roulin, sitting on a table 
1888

そして奥さんのルーラン夫人。華やかな背景、緻密な装飾が描かれていて対象者への親しみを感じさせる。補色を使い、色の効果を用いてこれ以上ない強烈な印象を残す肖像画だ。…これは、集合体恐怖症の自分には怖い絵でもある。(すみません)

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La Berceuse, Augustine Roulin
1888


ゴッホの耳切り事件は、ご存じだと思う。今も研究は続けられていて、ゴッホ最大の謎の一つ。この映画にはそのシーンも一応ある。

一緒に切磋琢磨したかった画家仲間・ゴーギャンがパリに戻ってしまい、弟テオがめでたく結婚し、ゴッホは自ら、サン=レミにある精神療養院に入院する。そしてその間にも、物凄い量の絵画を生み出していく。

その後ゴッホは弟テオの紹介により、芸術に理解のあるガシェ医師を頼ることに。

たった一年半の間に、このように様々なことが起き、怒涛の日々の中、ゴッホはひたすらに描き続ける。


これがそのガシェ医師。
映画では、理想のシチュエーションでガシェ医師を描いているゴッホを見ることができる。

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Portrait of Doctor Gachet
1890

映画「チキンとプラム」に主演していたマチュー・アマルリックが演じているのも嬉しい。


この映画で最も素晴らしいと感じたシーンについては、ここでは触れないこととする。ネタバレには十分注意しているつもりだ。そのシーンを見ることができただけでも、この映画を見ることができてよかったと思えるものだった。

また、ラストシーンについても割愛する。今も研究され続けているゴッホだが、私も映画の解釈と同様に考えている。これについても、意見の分かれるところだと思う。


目指していた聖職者の道を諦めたゴッホ。
父のようにはなれず、世間が隠したがるような悲惨な場所に佇み傷つくことで人々の魂と対峙するゴッホには、その一番近くに聖職者がいたのだと私は思う。ゴッホとともに傷つき、時には本人以上にその境遇を悲しみ忍び、耐えて励ました、まるで半身のような弟テオの存在だ。


私には、ゴッホが世間から冷遇され、そして感じやすい自らの性質にも苛まれて己と戦っていながらにして、あれほどの絵を描けたこと自体が狂気の沙汰であるように思える。
描けた理由はただ一つ。
狂気、違う。才能、違う。
それは、信じてくれている、パリで画商として活躍する弟がいてくれたこと。才能があるから描けたのではない。絵のアイディアは溢れるようにあったのは本人も手紙に記している通りだが、ひたすらに自分を信じてくれている弟が、どれほど彼の才能のよすがになっていたことか。


ゴッホの死後、テオは精神を病み、その死から約半年後には、まるで後を追うように妻・ヨーと幼子を残して亡くなってしまう。
ゴッホがテオの献身的な愛と支えを必要としていたのと同じく、テオもまた、兄という存在なくしては、生きられなかったのだということを示すかのように。ここにこの兄弟の類い希なる結びつきがある。
史実を知った時、驚いたものだ。テオと妻・ヨーはとても愛し合っていた。であるから、愛する兄が亡くなっても、残された二人で助け合って生きていくことが道でなないだろうか。それも、ヨーが身を呈して産んだ幼子も残してというのは…理解の範疇を超える。

しかし、そこからのテオの妻・ヨーは凄まじい。亡くなった愛するテオに会いたい一心で、彼らの手紙を整理し、管理し、そして彼らの功績を後世に残すべく奮闘し続けるのだ。極端な話、今こうして現代にゴッホの作品があるのは、ヨーの涙ぐましい努力あってこそなのだ。

この映画にはたくさんのゴッホ作品が出てくる。その数、実に130点以上。そしてこれらはジュリアン・シュナーベル監督自ら、そして美術チームとで描き上げたそう。監督は、先にも述べたように著名なアーティストでもある。日本でも1989年に世田谷美術館に作品が展示されたことがあり、徳島の美術館には陶芸品が所蔵されているとのこと。アーティストでもある映画監督が、ゴッホの映画を撮ったことにも大きな意味がある。


最後に紹介する絵画はこちら。
映画のタイトル(原題:At Eternity's Gate)になった、
「永遠の門:悲しむ老人」だ。

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Grieving old man
1890

この打ちひしがれる老人の姿に、思わずゴッホを投影する。


この映画は、共感しやすいタイプの私には序盤とても辛いものがあった。
揺れ動く独特のカメラワークも、三半規管を崩している方はご注意あれ。


苦しい時にゴッホの絵画を見つめてみると、その筆致や色味に狂おしさや孤独が思い起こされる。だがその実、絵の具はただ感情任せな厚塗りでもなく、うごめく色彩は彼の理路整然とした知識に支えられている。そこにゴッホの真の凄みがある。また、支えた存在があることを思い出す。その存在もまた、相手あってのものだったということも。

永遠の門。
自分自身を見つめ、理解を求める善良な人々に、その門は放たれている。
出来ることなら、一人で抱え込まずになるべく放出していきたい。幸い、現代には表す場がある。なんという幸せだろうか。しかしそれもまた、人々が目に留めるかどうかは、神のみぞ知るところなのだ。


「永遠の門 ゴッホの見た未来」予告編

ここまで読んでくれた忍耐強く愛すべきあなたに、
「心からの握手を。」
(ゴッホの手紙、締めの言葉の引用)


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#映画 #手紙 #アート  

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