俳句のいさらゐ ∮⦿∮ 松尾芭蕉『奥の細道』その二十二。「松島や鶴に身をかれほととぎす」(曽良)
この俳句の「ほととぎす」の受け止め方には、異なる次の解釈が出来る。
一。 聞き止めたその声の美しさに旅の愁いを慰められて、松島の広さに行き渉るように、鶴と化して舞い、その声を大景に響かせてくれないものだろうか、という気持ちを詠んだ。土地褒めの意味合いが強い。
二。 「ほととぎす」に、不如帰の当て字を暗に連想させていて、〈帰るに如かず(帰りたい)〉という気持ち — つまり心弱り ( 里心 ) に、一瞬包まれたことをその字にしのばせた。
しかし、まだ旅は続くのだから、そんな心弱りは、はばたいてゆく鶴のような気持ちに消して、この松島の景のような遥かな心を持たなければどうする、と自分を鼓舞している。
二の解釈を補足する。
「ほととぎす」に、「帰るに如かず(帰りたい)」の意味をもたせた文芸作品として、李白の漢詩「奔亡の道中 五首 其の五」が挙げられる。
芭蕉も曽良も、李白の詩は教養として読み込んでいた。
李白のこの漢詩を、芭蕉と曽良の漂泊、そして「松島や鶴に身をかれほととぎす」に重ねてみれば、李白とは違い、芭蕉と曽良の場合は、計画に沿った予定行動の旅ではあったけれど、情景は無理なく李白の詩情に溶け込み、旅人の気持ちの上では、この思いを二人が持ったとしてもおかしくはないと言えるのではないだろうか。
また、寂しい情感を誘うものとして、和歌にもほととぎすはしばしば詠まれてきた。代表例を挙げる。
心なき鳥にぞありけるほととぎすもの思う時に鳴くべきものか
中臣朝臣宅守 「万葉集」巻15 3784
次には、曽良の胸中にあったのではないかと思われる、遠くをめざして進んでゆく気持ちを鶴に暗示する文芸作品として、杜甫のこの詩を挙げよう。
曽良芭蕉ともに、杜甫もまた愛読した詩人であり、この詩の中の老鶴萬裡心の語句は、その語句だけが独立して人口に膾炙していたから、曽良の脳裏に「ほととぎす」の対比として、老鶴萬裡心が浮かんで来たと思われる。
また、鶴を表現した和歌を求めると、次の歌が目に止まる。この和歌は、内親王に宛てた臣下の立場からの恋歌であるが、鶴が高くゆくものの表象としてとらえられていることがわかる。
沢にのみ年はへぬれど葦鶴のこころは雲のうへにのみこそ
藤原師輔「拾遺集」
つまり曽良は、松島という旅のひとつのピークに行き着いたゆえの安堵から来る、まだまだ遠いのだな、この旅を続けてゆけるだろうか、という気持ちの弱りと、思い直してまだまだ続く遥か先の旅路へと向ける気持ちとを、鶴とほととぎすに象徴したと私は解釈する。
この行脚を発心した当人芭蕉の俳句ではない処に、尽きない滋味があると思う。自分が師を支えないでは、この旅は頓挫してしまうという強い責任感を感じさせるからだ。
「鶴に身をかれ」の措辞に、鶴に身をかれ己もまた、という曽良の気持ちがにじんでいる。
松島が旅のひとつのピークというのは、『奥の細道』の序文にこうあるからだ。
「三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて」
だからこそ「松島や」と、『奥の細道』の旅の重要なポイント地点の地名を高らかにうたい出しているのだ。出発から数えて松島へ来るまで44日を要している。感激極まるに足る充分に長い旅路である。
芭蕉もまったく曽良と同じ気持ちでいたことだろう。
しかしもちろん、これは俳句の演出としての誇張である。松島の章の地文には、帰心に包まれた記述などはない。
曽良は、聞き止めたほととぎすの声から、漢詩の主題を想起し、俳句に翻案する感覚で、地名の松島の含みも持たせながら、「松に鶴」という文芸上の決まりごとの措辞を、ほととぎすに組み合わせたのだ。
芭蕉は、この俳句に兜を脱いだ。曽良の俳句で充分だと。松島の美しきがゆえの放心と旅愁を、この俳句より優れた感覚では詠めないと思ったのだ。
だから、実は詠んでいた自分の俳句は、『奥の細道』では封じた。
「松島や鶴に身をかれほととぎす」
この俳句は、曽良の絶唱と呼ぶにふさわしい。
令和6年6月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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