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ワタクシ流☆絵解き館その203 青木繁「女の顔」ー絵画エッセイ風に(青木繁生誕140年記念展)

アーティゾン美術館企画の巡回展「生誕140年 ふたつの旅 青木繁 ✕ 坂本繁二郎」( 2022年11月、久留米市美術館 ) をじっくりと鑑賞して来た。
坂本繁二郎、青木繁の代表作をほぼ網羅した充実の企画展。繰り返しデジタル画像や画集で見て来た作品ながら、実物を凝視してみて初めてわかったこと、感じたことを作品ごとに書いている。
今回は「女の顔」を取り上げる

青木繁 「女の顔」 油彩 1904年 京都国立近代美術館蔵

■ 第一回文展で選ばれなかった「女の顔」

それまで「女の顔」は、当時の芸術家には最大の関心事であった第一回文展に出品し、落選した作品であることに、どうしてもひっかかりながら画集やデジタル画像で見ていた。
当時の審査基準では、半完成と見られてしまうであろう作品は不利であると、聡明な青木はわかっていただろうに、新作を描く時間がなかったという事情からにせよ、なぜこの絵を選んで出品したのか、その気持ちがつかめなったからだ。
だが実際に絵の前に立ってそのいぶかしい思いは消えた。青木は、これ見よがしの、凝った演出の美人画が文展に出品されてくるであろうと予見して、生きている女を描けばこうなる、という主張をこの絵で示そうとした、と感じたのだ。その挑戦の敗北を疑う気持ちはなかったのだと。
それは、師である黒田清輝の著名な作品「湖畔」の、情緒にもたれかかったとも言える絵の在り方に対し、( それが本当に日本の西洋画ですか )と問うていることでもあっただろう。
この企画展にも出品されていた「自画像」(下の図版 ) の、けばけばしいとも言える凝りように比べ、けれん味を排した、自然体の構えで描いた絵という感じを好ましく思った。
胸元の白さは、同年の青木との写生旅行による日焼けあとの手入れの、天花粉の表現だろうと感じた。実にやわらかい筆触だ。さらにほつれた髪など、まさに飾りのない、ありのままのひとりの女の姿を写していた。

青木繁 「自画像」 油彩 1903年 東京藝術大学蔵

■ 浮かんで来た「万葉集」の詩句

「女の顔」と制作時期が近い大作「海の幸」、「大穴牟知命」や「春」などの意趣豊かな構図の作品は、青木の画業を代表する傑作であるが、その中に混じって、対照的に浮世絵の大首絵の手法で描いた「女の顔」もまた、青木画業の頂点を形作るひとつの成果であるところが、この時期の大いなる充実を語るだろう。
印刷物で余り再現性のよくないものだと、黒ずんで見えたりする頬の照りだが、実物の絵はリアリティを匂い立たせる薄紅に輝いていて、その頬の描写から、「丹(に)つらふ」という語彙が万葉集にあったのを思い出していた。
今調べて見ると、こういう歌があった。

吾れのみやかく恋すらむかきつはた丹つらふ妹は如何にかあるらむ 
                      
万葉集巻十 作者不明

「丹つらふ」には、丹頬合の字が当ててある。顔が紅色に染まって美しい色をしているという意味だ。万葉集愛好者の青木のことだから、この語彙は彼の詩嚢に収まっていたいたのではないだろうか。

■ 二点の強い絵が並ぶ圧巻の空間

美術館では撮影不可であったため、展示イメージを合成で再現してみた
ただし記憶によるもので、作品サイズの対比、壁の色・展示
間隔など忠実な再現ではないことを予めお断りしておきます

会場では、「海の幸」と同じ展示壁に、二点のみが並び掛けられていた。秀逸な展示だ!それは、「海の幸」の中の白面の女性 ( モデル ) のもう一つの顔が「女の顔」に描かれているという理由からではない。
大きく異なる画風ながら、青木繁の力量をこれ以上なく見せているのが、この二点であり、いわば青木作品の雌雄相並ぶ観を覚えたからだ。
見終えて次の作品へと向かいつつ、これほど絵の中の目の残像が尾を引く肖像を知らない、という思いが湧いていた。
「女の顔」はそんなふうに、心に印画される絵であった。

                           令和4年11月    瀬戸風  凪


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