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俳句のいさらゐ ❍✡❍ 松尾芭蕉『奥の細道』その十三。「あかゝと日は難面もあきの風」

🟡 あえて同じ季語の句を同じ段に並べた

◈ あかゝと日は難面(つれなく)もあきの風  芭蕉 

この句を解釈しようとすれば、同じ段にある句

◈ 塚も動け我泣声(わがなくこえ)は秋の風  芭蕉

に目が止まる。同じく「秋の風」を季語に用いているからだ。
先ずは、「塚も動け我泣声は秋の風」について、考えてみなければなるまい。
この句には、「一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに」と本文にある。金沢蕉門の実力ある俳人で、金沢で会えることを期待していたのだが、元禄元年末 ( 芭蕉が金沢を訪れる八か月ほど前 ) に他界していたのを金沢に来て知った。
この句のイメージの「秋風」を用いるとき、芭蕉の詩嚢にあったであろう文芸的教養として、次の二作を挙げる。

 秋風の辞          武帝

 秋風起こって白雲飛ぶ
 草木(そうもく)黃落(こうらく)して雁南に帰る
 蘭に秀(はな)有り菊に芳しき有り
 佳人を懐(おも)いて忘るる能わず
 楼船を汎(うか)べて汾河(ふんが)を済(わた)り
 中流に横たわりて素波(そは)を揚ぐ
 簫鼓(しょうこ)鳴りて棹歌(とうか)発す
 歓楽極まりて哀情多し
 少壮幾時(いくとき)ぞ老いを奈何(いかん)せん

 題故元少尹遣文之詩         白居易

 長夜君先去  長き夜に君先づ去りぬ
 残年我幾何  残年我幾何 (いくばく) ぞや
 秋風袂満涙  秋風に袂に満つる涙
 泉下故人多  泉下に故人多し 

「和漢朗詠集」より

芭蕉は、秋風ということばが、文芸においては、時の移りゆきの無常や死別の悲しみの形代として連綿とうたわれ続けて来た、厚み、重さ、親和性、といったものを尊重していると言えるだろう。

「あかゝと」の句の「あきの風」は、「塚も動け」の「秋の風」の余韻を引いていて、この二句をゆるやかにつないでもいる。しかし、こころうちの波立ちは異なる。二句に用いられた「秋の風」と「あきの風」の情感の異なりを、芭蕉は読者にあじわってもらいたいと思っているのだ。
『野ざらし紀行』の中で、「牡丹蕊ふかく分出る蜂の名残哉」と「しらげしにはねもぐ蝶の形見哉」の、いわゆる同工異曲で言い換えれば双子と言える句を並べている例を思い出す。
「言ひおほせて何かある」と門人去来に芭蕉は言った。芭蕉には、俳句はそれをあじわう読み手が、心の中で世界をつくるものだという意識が強くあったと思う。

🟠 『奥の細道』の句に漂い始める悲調

この句をしみじみと見ていて思うのは、この句以降、『奥の細道』で詠まれた句は、はっきりと悲調を帯びて来るということだ。ここまでは、旅で会った人との別離に当たって詠んだ句
 「世の人の見付ぬ花や軒の栗」や
 「あやめ草足に結ん草鞋の緒」
を見ても、漂泊ゆえの一期一会の覚悟をきっぱりと肯っている感懐が出ていて、湿ったものを感じないが、
 「塚も動け我泣声は秋の風」
では、断ち切れない心残りや無念の情が表に現われている。

『奥の細道』で、この句からあとの句を見ると、別離の場面で心萎れている姿が、強く印象を残す。
  「今日よりや書付消さん笠の露」
  「物書て扇引さく余波哉」
  「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
別離の場面ではない句においても、そこはかとない悲調が主の諧音になっている。
  「むざんやな甲の下のきりぎりす」
  「石山の石より白し秋の風」
  「庭掃て出ばや寺に散柳」

「あかゝと」の句もその流れの上にある。これは、やはり長い旅の終わりを見据える時期を迎えている感傷が影響しているだろう。旅を終えてからの身の振り方が明確には描けない憂いもそこに重なって、初めの頃の、たとえば「風流の初めやおくの田植うた」のような、感嘆の呟きをそのまま句にしたような、切れ字「や」の弾みは、もう表れてこない。

「塚も動け」という措辞については、自分 ( 芭蕉 ) の一笑への惜念が、塚をも動かすほど深いと示す表現という解釈を諸本で見るが、私はそう見るより、一笑の魂への呼びかけと理解したい。
( 一笑よ、汝にまみえる術も今はもうないのだ。ならば黄泉にある汝の魂の力で、汝の塚を動かしてくれ、そうしてでも、私の悲しみに応えてくれないか )

🟣 「つれなくも」の背後にある曽良の急病

今回、「あかゝと」の句を取り上げてはいるが、『奥の細道』を深く読み込む前は、この句は、立ち止まることなくさっと読み進んでしまう句であった。『奥の細道』の句は、曽良※の句も含めて、句そのものに、どこでの吟か示されている句が多くあって、そういう句の方に魅力を覚えていたからだ。
場所が示されている例を、幾つか挙げる

 「笠島はいづこ五月のぬかり道」
 「五月雨の降り残してや光堂
 「五月雨を集めて早し最上川
 
※ 湯殿山銭ふむ道の泪かな」   曽良
 「象潟や雨に西施が合歓の花」
 「しほらしき名や小松吹萩すすき」

それらの句と対照的に「あかゝと日は難面も秋の風」は、地名も示さず、土地を偲ばせる事物にも触れておらず、また前書きも途中吟とあるだけで、句が置かれている前後の文章から、おそらく金沢から小松へ行くまでの途中だろうと、推定するしかない。
土地の持つ雰囲気を入れず、旅の憂愁をそのまま詠んでいる句であり、他の句のいくらかの演出ぶりに比べると、そっけない感さえある。

ただ、つれなくも、ということばには、これはどういうことかと立ち止まっていた。これが、「つれなくも」の背景と思ったのは、曽良の『随行日記』を読んでからだ。曽良自身が、体調を崩していることを、この句が詠まれたであろう時期の少し前あたりから、『随行日記』に記述しているのに目が止まった。

結論から言うと、一笑に会って俳諧談議が出来ることを期待して懸命に難路を急ぎたどり着いた金沢で、思わぬ悲報に接し、気力が萎えかけているところにもって、完全に一切を委ねて来た曽良のことまでもが心配になって来た状況を考えれば、長い旅で心身一体のようになっている師弟であるから、曽良の苦し気な様子は、芭蕉に伝わらないはずもなかろう。
そういう思いでたどる行路で、自然に口を衝いて出たのが「つれなくも」であったと思う。
どうか天よ、曽良のために穏やかな、暑熱にいたぶられることのない日和を恵み賜え、との優しい思いから出ている言葉であると思う。『奥の細道』の芭蕉の句の大きな特徴の一つとして、誰かを思って詠んでいるという視点が欠かせない。

この句の前後の旅の様子を抜き書きする。
芭蕉と曽良が金沢に着いたのは、陰暦7月15日、太陽暦で8月29日である。『奥の細道』には「卯の花山くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也」とある。
以下『随行日記』から要約し、二人の様子を述べる。(  )の部分は私が添えた注。時候は現在の太陽暦で8月下旬から9月初旬に当たる。現代の我々は、こんな時に歩き旅はしない、残暑たけなわの頃である。

■ 陰暦7月14日 「翁、( 芭蕉のこと ) 気色勝れず。 暑極て甚し。不快同然」
この日は、曽良の記録のままだと、驚くようなことだが、十里弱ほども移動していて ( 途中渡しあり )、午後4時前に高岡に着いている。ひたすら速足で歩きどおしでないと、こんな時間には着かないだろう。翁の不調を言っているがおそらく曽良も同様であったことだろう
■ 陰暦7月17日 「翁、源意庵へ遊。予 ( 曽良のこと )、病気ゆえ、随わず」
■ 陰暦7月21日 「( 曽良が ) 高徹ニ逢、薬を乞う」
■ 陰暦7月22日    「高徹見廻。また、( 曽良が )薬を請う。此日、一笑追善会、於寺興行。各朝飯後より集。予、病気ゆえ、未ノ刻 ( 午後2時から4時の間 ) より行く。

一笑追善会は、金沢の芭蕉門人が揃う会であり、金沢で宿泊の労を受けている曽良にとって、どうしても出席しなければならない場であったろう。記述からは、どうにか顔だけ出したという様子であり、相当に疲労しているようだ。

🔵 二人の旅を先導するように、季節は動いてゆく

では「あきの風」の方は、何を語るのか。「塚も動け」の秋風は、大切な者との離愁の形代であったが、「あかゝと」の句では、旅のさなかにあって、片雲の風が誘う漂泊の情熱に衝き動かされてたどってきた日々も、疾く過ぎ去ってゆかんとする憂愁に包まれているのが読み取れる。芭蕉の胸中を述べれば、こういう心情になるだろう。

気力満ち足り、つねに私を補佐してくれて元気だった曽良が病気になり、何と心細いことだろうか。しかし、思えばそれもやむを得ないことなのだ、それほど長い旅をして来たのだから。
北国にこのような厳しい残暑があろうとは思わなかったことだが、北陸の街道をゆく行程はまだしばらく続く。これからも今までと変わらぬ辛苦があるはずだから、これまでのように曽良に頼りきりでは、ますます曽良を苦しめるのだ、そうであってはならない。
しかし、私たちの旅の先をゆくように季節は動いている。暑い昼のさなかにも、ふと秋風が肌に感じられるようになったことだ。それは、この旅の終章の始まりを教えていることなのだ。大団円に向けて、今しばらくの日々、まだ見ぬ場所へわが身も風の如く歩を進めよう。

                                       令和6年4月                            瀬戸風  凪
                                                                                                   setokaze nagi








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