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Essay Fragment/ 追憶のブランディーユ① 街へ降りてゆく下校路 

🔔 京都の泉涌寺の参道は、皇室の陵墓や古刹の森と石塀に取り囲まれていて、閑静な雰囲気の中にある。
ある午後寺を訪れ、その参道を次々に高校生や中学生が下りて来るのに出会った。歩を進めると、小学校、中学校、高等学校がそれぞれ一校ずつあるとわかった。参道が、生徒たちには通学路だったのだ。
今日の授業を終えて帰りゆく生徒たちの声は弾んでいる。それにしても本当に楽しそうな様子だ。上って来た参道を振り返ると、総門の先に街が輝いて見えた。なるほど。生徒たちの声が弾む理由がよくわかった。
道はまっすぐ京の街中に続いている。森閑とした異界の高みから、紅のそよ風が流れる俗界へと、彼ら彼女らは、日ごと解き放たれて降ってゆくわけだ。そんないい下校路を持つ彼ら彼女らを、うらやましく感じたのだった。

🎵 詩を書くと、心の中の世界が立ち現れる。書かなければ思いも消えてゆく。では書く前に、その世界があったのかというと、何もなかったと言う気がする。「へえ、そんな思いを持っていたんだ」と、詩を読んだ人に言われるが、違う。持っていたのではなく、書いたからこそ持ったのだというのが本当だ。書いてゆくとき初めて立ち現れてくる。

🎨   花を見て、時間を思う。
『星の王子様』で薔薇が愛おしいのは、薔薇と過ごした時間が愛おしいから、という金言が出て来る。花は魂が集め続けている時間の蜜。花が開く意味は、科学的に解明されていると言えるのだろうか。昆虫の吸蜜を促すと言っても、蜂や蝶がすべての花に介在するわけではない。
なのに科学的思考の名のもとに、それで納得させられている。花が開く―それは自然の命の営みの、解けない謎で、揺るがない原点だ。

🎈 山陰の小さな漁港の町田万川。湾の奥に、朱色の潮錆びた屋根の六角のお堂。遠い世、成らざる恋を嘆き、海に身を投じた娘を祀る。
沖つ波来よる荒磯をしきたへの枕と巻きて寝せる君かも。柿本人麻呂の詠んだエレジイが、空間を超えて漂い続けている。
朝の柔肌の日を、昼の粗布の日で覆いながら漁船が港に帰って来る。海鳥の影が一瞬濃くなる。岸につけた船から、男が綱 (つな) を投げ、女が受け取る。互いに手慣れた身のこなし。最初に陸揚げされるのは、男のおおらかな戯れ言葉。女の笑い声が、すくい網 (あみ) になって男の声をからめ取る。成りし恋の、歳月を経た、手垢がしみこんだ艶。
満ちて来る潮のさざ波が、六角堂へと寄せている。お堂の下では、幣 (ぬさ)のなびくごとくに老婆がひとり、しろがねの髪を梳 (くしけず) っている。
             令和5年5月         瀬戸風  凪
                                                                                                  setokaze nagi


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