見出し画像

絵画のポエトリー ② 堂本印象/ゴッホ

            📸 📸 📸 📸

堂本印象 「椿花」1963年 京都府立堂本印象美術館蔵

🔹 夏椿は過去を咲かせる花である。
 多くの若者たちが、この町から都会へと出てゆき始めていた時代だった。そして町に一軒きりの銭湯が突然営業を止めた。
  しょうがない わしが風呂を造ろう
とつぶやいた父は、一日かけて土間に板張りの床と壁をしつらえ、昔は飲み水を貯めていた大きな瓶 ( かめ ) を据えて浴槽にした。かまどで沸かした湯を瓶に移せば、行水 ( ぎょうずい ) よりはましないわば「蛸壺 ( たこつぼ ) 風呂」だった。
 その出来に母は一点のケチをつけた。
  何だか潤いがない
父はしばらく考えていたが、どこからか夏椿をひと枝折ってきてガラス瓶にさし、板壁にポケットを取り付けてそこに置いた。湯は私がかまどから運んだ。
  一番風呂はおまえが入ればええ
父は私にそう言った。
肩まですっぽりつかった湯に、夏椿の緑が映って揺れるのを私は見つめていた。ひと枝の花には心というものが宿ることを、私は初めて感じていた。
 
夏椿が咲く時期になると、ある場所へ出かけてみる。私にはこの町の大切な場所である。そこに咲いているはるかな昔をいっとき眺めては、疾く人を逝かしめても、返り来る季節ごとの花ばかりが、常若 ( とこわか ) のひかりを持つことを、私はただ愛 ( かな ) しむのである。
          
             ⏳ ⏳ ⏳ ⏳

フィンセント・ファン・ゴッホ「ルーラン夫人と赤ん坊」1888年 メトロポリタン美術館蔵

🔹 その男の息子は、T先生の整骨院に勤めた。T先生にとってはいわば初めての弟子。その弟子に赤ちゃんが生まれたときには、T先生は自ら車を駆って産院に見に来た。
―  元気に生まれて何よりよかった
T先生はその言葉を繰り返した。そのときすでにT先生には、終の病の症状が日ごとに進んでいた。
 T先生はアメリカでも勤務した商社マンだったが、熟年に至って、生まれた町に恩返しもできてそこで暮らせるという動機から、資格を取り整骨院を開いた。その発心を貫く、やわらかな誠意を慕われて、患者たちにはなくてはならない人だった。整骨院の治療室の灯が落とされるときが、田舎町の一日が活動を終えるときだった。患者たちは顔を合わせるたびに、早すぎる死を、旺盛だった日々に訪れた死を惜しみ涙した。
―  なんで、あんなに早う呼ばれてしまったんだろうか
急いで行ってはいけない人を天は、何故なのか、静かに盛る火を切水 ( きりみず ) で消すようにして、向こう岸へ送ってしまうことがままある。
T先生は・・・そういう人だった。 
 
弟子に授かった子を抱いて、何度も無言で頷 ( うなづ ) いていたT先生の面影が、その男の脳裏から消えない。死を悟り、自分の人生を顧みたT先生の心に、あのとき息子にかけてもらった言葉と同じように、己が人生に対しても、よかった、本当によかった、という思いが満ちていたであろうと男は思いたかった。切にそう思いたかった。 

                   令和5年6月   瀬戸風  凪
                                                                                                    setokaze nagi

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?