Essay Fragment/日々のうた織り①
緑児 ( みどりご ) の眼差し
― いい詩の一行というのは、目の前をゆくあの船だ。スクリュー回して前へ前へと自走している。読者はその姿を目で追っている岸の人だ。
私にそう言ったのは、詩を書き続けている男。
遠く幼い日の光景が浮かんでくる。陸の近くをゆく船の甲板から、岸に集う人を見つめていた記憶が。
― いい詩の最後の一行は、作者のことばの海域から、読者の感受の島影へと消えてゆく船影のおぼろな瞬きだ。
遠くなってゆく船を見つめて、男はそう言った。
緑児 ( みどりご ) の一瞬の眼差しを私は思う。じっとこちらの顔を覗 ( のぞ )き込まれるときに、緑児の眼差しが導く沈黙を‥‥
誰なのかを見極めたからなのか、見つめ返すと緑児の眼差しはすっと去り、その瞳に滲 ( にじ ) んでいたひかりが私に残される。
すっと去ったときの緑児の眼差しは、男の言う最後の一行となって、岸の人としての時間を深くする。
緑児がやがて迎えるであろう澄明 ( ちょうめい ) の歳月のおぼろな瞬きを、私の心に立たせて。
途中の情景 ー 京都にて
京の小路のシックな陶器店では、見るからに裕福そうな中年夫婦が、渋茶碗の陳列棚を覗きこんでいる。
賀茂川のほとりをゆけば、リピート演奏でトランペットを吹く薄着の青年。向こう岸に真向い、絵を描く若い女。煙草をくゆらせ、ただ川面を見つめる壮年の男。
下鴨神社の糺の森をたどれば、銀杏の黄、紅葉の朱、日を浴びる落ち葉をねらって、プロともアマとも知れぬ男女ペアのカメラマン。境内を我が庭に、少年たちはボール遊びに興じている。
旅の日のつかの間の散歩のうちにも、こんなにも生き生きと私に呼び掛けて来る、それぞれの人生の途中の一情景。
水槽の中の尾ひれが生むさざなみのように、その情景の明日のゆくすえに思いがゆく。やがて中年夫婦は孫こそが宝と思うときが、若者は作品や演奏の発表の場に立つときが、少年たちはもっと広い庭を心に持つときが‥‥
「Brand New Day」 ( まっさらな一日 ) よ。幻想の中の明日はその明るみゆえに、火を語源に持つというこの言葉が似合う。
私の人生のリードタイムは、フェイドアウトの場面を残すばかりだが、そのゆくすえもまた、あたたかい明るみであるのをひたに願う。
「Brand New Day」の語源に宿る、ほのかな火のような、あたたかい明るみを。
令和5年7月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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