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030 期待されることへの重荷 その1

何か役割を持ち、何かを任される。

人というのは、一人では生きていけない。必ず自分以外の誰かを頼って生きている。人を頼るのと、人から頼られるの、どちらが好きですか。

こんばんは。

このノートを始めた当初の目標としていた「30本投稿」がこの投稿で果たせるわけだ。今は、6月19日土曜日、午前1時27分。最近は、日を超える前に睡眠に入ることなんてありえない生活が続いているわけだが、特に正そうというつもりもない。

金曜日の夜。明日は休み。心置きなくこのノートと、自分自身と向かい合えそうだ。

何について書こうか悩んだのだが、難しいテーマだからこそ、こういう日に書いていきたいものだ。「人から期待されること」これについて頑張って書いていこうと思う。きっと連作になることをあらかじめ言っておこう。

なにで判断されているのだろう

 今まで19年と約半年生きてきて、多くの人と出会っては別れを繰り返してきた。そんななかで、ある程度は自分が相手に与えている自分の印象というのが、鮮明になってきている。それは、

「まじめ」「しっかりしている」(「変わった人」)

ざっとあげるとこの3つだ。自分らしいと言えば自分らしい。積極的に人前に立つ役職を担い、何においても悪目立ちしない程度に、どんな場面においても平均以上の人生をそこそこに歩んできたと思う。年を重ねるごとに、「まじめ」というイメージは次第に「期待」へと変化していく。

「とりあえず"筆者"に任せりゃなんとかなるでしょ」
「"筆者"はだいたいちゃんとやってるから大丈夫でしょ」

このような期待の言葉が嫌なわけではない。
でも、なんというか、たまに窮屈に思うこともある

何度かこのノートでもちらつかせているが、自分は今、大学で中学高校でいうところの「委員会」のような団体に所属している。自分の学部でこの団体に所属している同級生はたった2人しかおらず、そりゃあ嫌でも話題にしやすいし、されやすい。

自分は思うのだ、

「委員会的な団体に所属している」→「まじめでしっかり者」

このイメージだけでもって自分と接しないでほしい。
嫌な思い出があったわけではないのだが。

所属している団体や、自分の学歴、人生の経験、など、うわべの関係で済ませるならば十分な、肩書の数々だけで自分を見てほしくは、判断してほしくはない。

この考え、自分が昔付き合っていた彼女も言っていた気がする。「私の表面的なステータスだけじゃなく、私の考えとかわたしの中身をしっかりと見てくれている人・・・(以下省略)」(もちろん一言一句あっているわけでは、ないが確かにこのようなことを言っていた。もし、言っていなかったら全力で謝罪をさせてもらおう)

彼女の考えは胸を打つものが多かった。一瞬でも時間を共有したことで、彼女の考えが少なからず自分の中にいまだ残っているのだろうか。それとも、もとより似たような考えを持つ、似たような考えに至る素質を持ち合わせていたのだろうか。今となってはそれは予想することしかできない。

とにもかくにも、自分も、肩書だけでいろいろ判断されてしまうのは嫌いである。

ステレオタイプは思考の節約

 自分は大学で学部の授業以外に、心理学を履修している。その講義の中で、ステレオタイプの話が紹介された。ステレオタイプ、「固定概念」などと和訳される言葉であるが、

人々を分けるカテゴリーに結びつき、そのカテゴリーに含まれる人が共通して持っていると信じられている特徴(上瀬、2002)とのことである。

人間の基本的な認知傾向として、「カテゴリー化」というものがある。この世の中には、多様なものが存在し、混沌としていて複雑である。これを見やすくするために、モノのカテゴリー化を行う。こうすることで世界は幾分見やすくなる。このカテゴリー化を行うことで、モノの「類似性」と「差異性」が強調される。カテゴリー内では類似が、カテゴリー外では差異が強調されるといった具合だ。

人間に対しても、類似性と差異性を強調することがステレオタイプの基礎となる。実は、心理学ではこのステレオタイプというのは、思考の節約のために必要であると考えられるそうだ。なるほど、これは新しい知見であった。ステレオタイプでもって人と接することで、その人がどんな人であるかが少しは想像がつくらしい。たしかに、情報社会を生き抜く私たちにとって、情報に類似性を見つけ、思考が節約できるというのはよさそうである。

ただやはり自分は、この「まじめ」「しっかりしている」と周りから思われることで、自分こう思われてるなと強く感じることで、自分の首を絞めてしまった経験を特に今年は多く経験している。

次作への布石

次作では、具体的なエピソードを多数交えて、「期待されることへの重荷」というタイトルへ着地できるように執筆をしていく。

自分が周りから思われているイメージ。

それに応えようと焦っていた、無理をしていた自分。

「そんなことないんだって~」と何度言ったことか。

「"筆者"って、意外とてきとーなところあるよな(笑)。」
「"筆者"って○○なとこ不真面目だよね。」

このような言葉をかけてくれる人が実は好きなのかもしれない。
おお、よくぞ見抜いてくれたなあ、とそんな具合で。まあ、言われたら言われたで良い気分はしないんだろうけど(笑)。

あ、またこれ「素ってなんだろう」という別のテーマにもつながりそうで嫌だな(笑)。例によって書き途中だが、そちらのほうもそろそろ終わらせたい。

さて、2000字を超えたところで、記念すべき30本目の投稿を終えようと思います。次回もお楽しみに~(AM 2:57)

〈今日のひとこと〉
バ先のお菓子ボックスに入ってたビッグカツ、人生で初めて食べたけど旨すぎて2日連続で持ち帰っちゃった!(一言じゃない)

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