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「加速する魔術化」AIと友達になろう。

2022年からOpenAIが普及し驚かれている。

少し気になったのでこの場で考えたことえを書き留めた。

これまでAIは仕事が取られるというディストピアを想像する者も少なくなかった。しかし、実際はやはりユートピアが訪れそうである。
そもそもAIを活用できない者がディストピアを想像し、その者に便利さが理解されることはないだろう。そして思考停止からの排除行動が起こる。目に見えないところで魔術化が進んでいるのだ。
ここでいう「魔術化」は当然、ウェイバーの言葉であるが「呪術化」と表現すると分かりやすい。彼は近代の「脱・呪術化」を「脱・魔術化」と表現した。資本主義社会が加速し産業革命、さらに合理化が進み飽和した未来がシンギュラリティーであろう。

そしてメディアでは「職種が奪われる」とディストピアだと不安が煽られAIに対してネガティブな印象へと繋がった。今では手のひらを返すようにOpenAIが素晴らしい、流行だと報道されている。
決して流行ではない。
TikTokのように移り行く流行ではない。合理化が進んでいく過程にすぎないのだ。このAIを活用し絵を描き、音楽を作り、当然それだけではオシャレなものが言語からAIと言う媒体を通して再現されたものである。単体でみればボタンを押してランダムでプリセットのMixが行えわれたに過ぎないであろう。そこで止まるなら子どものおもちゃのように飽きが訪れた瞬間、流行が終わったとなる。すなわち、OpenAIは流行に過ぎなかったとなる。
しかし、これまで音楽しか作れなかったクリエイターがAIを活用し5秒で絵を生成することでMVが完成してしまう。音楽(手動)×絵(AI)という様にこれまでの活動とAIの組み合わせによって格段とコストを下げることができる。当然、2000円で100枚の絵を生成できるのだからお金、1枚5秒であるのだから時間、ジャンル問わず指示を出せるのだから人を選ぶまでもないのだ。
さらに将棋を思い出してほしい。AIと将棋はもはや切っては切り離せない関係にある。AIが過ぎ去る流行であるならば、ディストピアをもたらす鍵であるのならば将棋界からAIは排除されていたであろう。今、将棋の放送を見れば上に評価値がAIに示され、最善手までもが高性能に示されている。しかしながらそれらは将棋に慣れていない視聴者が対局を楽しむ手助けをし、棋士にとっても棋譜研究の手助けを行う手段となっている。
AIと親和しているのだ。
私たちはこれまで画像の言語化にAIを用いて翻訳や種族分類などに活用してきた。これまでは将棋のように脳(分析)に用いてきたのだ。それが今、言語(コミュニケーション)から表現をしてくれる媒体としてAIを用いることができるようになった。
LINEをするように誰もが簡単にAIに指示できてしまう。
人のコミュニケーションにおいて質問が重要だとビジネス本で復唱されてきたが、AIにいかに言語を理解させるか、いかに素晴らしい質問を投げかけるのかが作品の納得へと繋がるのである。
何度も言おう、
ChatGPTでコードを書いてもらい楽することも、DALL-Eに画像・絵を生成してもらうことも流行ではない。合理化の過程であり、皆が何でもできる様になるユートピアの幕開けである。これを流行だと言い捨て”楽しめない”者は「魔術化」を体験することになる。
少し例え話に付き合ってもらいたい。
横に昨日まで絵も描けなかった友人が急にデザイナーになっている。友人はきっと「昔から絵が上手かったんだ」「才能があったのだ」と言うであろう。しかし、「友人はAIに指示しただけだよ」と答える。知っているか知らないかで「魔法」は解けるのだ。そして合理化が加速した未来、楽しめない者の目には横にいる友人が「魔術師」「魔法使い」に映るのである。


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