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【トークイベント】「ラップとコロナ」(5月30日)

共感を前提としたdisを通じて自分の言葉の力を取り戻すラップが、攻撃的かつ自傷行為的な自粛・排外主義者のhateといかに向き合うことができるのだろうか。最新のFuniの創作活動や作品に触れつつ、この似て非なるdisとhateを共に乗り越える時間を楽しみたいと思う。

【ぽす研企画 第3弾 トーク&ライブイベント
「ラップとコロナ」
出演者:Funi×川端浩平
日時:2020年5月30日(土曜日) 19:00~21:00
場所:zoom
※スパム対策のため、視聴者の皆様には入室時のお名前の頭に「MC」を付けていただけました(例:MC山本、MC高原太一など)。

【トークテーマ】
2ヶ月近くにおよぶSTAY HOME。この間に僕たちはどのような言葉を生みだしだろうか。あるいは吐き出すこともできずに同じ言葉やイメージがループのように堂々巡りしたことだろうか。コロナをめぐる専門的知識や理解の断片をシャワーのように浴びるうちに、僕たち一人ひとりも何らかの意味でこのウイルスに感染することは不可避だ。「正しさ」を掲げてお互いに<バカ>と罵り合っても何も始まらない。<バカ>といったやつが<バカ>なのか、それも違うだろう。共に愉快に生きていくために、私たちはコロナ以前を振り返り、現在の状況との連続性と切断を確認するところから出発する必要があるだろう。共感を前提としたdisを通じて自分の言葉の力を取り戻すラップが、攻撃的かつ自傷行為的な自粛・排外主義者の言動といかに向き合うことができるのだろうか。最新のFuniの創作活動や作品に触れつつ、この似て非なるdisとhateを共に乗り越える時間を楽しみたいと思う。

【出演者プロフィール】

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Funi(郭正勲)
川崎生まれ/育ちのラッパー。学生時代にLi YoonとのユニットKPとしてメジャーデビュー。NHKハングル講座や舞台『GO』などに出演して活躍。その後、IT企業社長と放浪の旅を経て、ジモト川崎に戻りラッパーとしての活動を再開して『Kawasaki2』をリリース。NHKノーナレ『川崎SouthSideRap』に出演。ジモト川崎を中心にラップのワークショップや講演などもおこなっている。著書に「Me.We.Alright」『ユリイカ』2018年8月号
(ケンドリック・ラマー特集)。

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川端浩平(かわばた・こうへい)
津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教員。専門は社会学、カルチュラル・スタディーズ、日本研究(Japan Studies)。著書に『ジモトを歩くーー身近な世界のエスノグラフィ』(御茶の水書房 2013)、共編著に『サイレント・マジョリティとは誰かーーフィールドから学ぶ地域社会学』(ナカニシヤ出版、2018)、Cultural and Social Division in Contemporary Japan: Rethinking Discourses of Inclusion and Exclusion, Routledge 2019.など。最近はラップ音楽とマラソンに向き合っている。

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司会:ケイン樹里安(けいん・ジュリアン)
大阪市立大学都文化研究センター研究員。非常勤講師。専門は社会学/文化研究。「ハーフ」と呼ばれる人々、「よさこい踊り」の研究。海外ルーツと身の回りの人々をつなぐメディア HAFU TALK(ハーフトーク https://www.hafutalk.com/)共同代表。コーラとから揚げが燃料。深夜の飯テロが趣味。
twitter : @juli1juli1
note: https://note.com/julinote
reserchmap: https://researchmap.jp/julian908

【下記、トークイベントの内容】
ケイン:さて、今日はよろしくお願いします! 今日の動画はyoutubeでアーカイブされるので、そちらもお楽しみに! 最近、Youtuberの方々が動画の序盤で「おはよう」も「こんにちは」も言わずに「どうも」って言うのは、視聴者がいつ観てるかわからないからなんだなと気づきました。ということで、みなさま、どうも! よろしくお願いします。まずは先にお名前の紹介を。川崎でラッパーをされているFuniさんです。

Funi:よろしくお願いします

ケイン:社会学やカルチュラル・スタディーズが専門の川端さんです。

川端:よろしくお願いします

ケイン:みんながZOOM上で挙手してくださいますとライブ感出ますね。今回、司会というか、茶々をいれる役割を承りました、ケイン樹里安です、よろしくお願いします。基本的にはFuniさんと川端さんのかけあいをオーディエンスのひとりとして楽しみながら、なにか時々言っていく、くらいにしたいと思っています。
 一応今回の企画を先にご説明しますと、ポスト研究会通称「ぽすけん」という研究会がこの前立ち上がりまして、もともとは山本敦久さんが書いた『ポスト・スポーツの時代』という本の書評イベントが先日あったんですが、こちらはnoteに記録がアップされています。で、書評会が楽しいねってことから研究会になったんですね。
 ポスト(post)とは「~の後」という意味です。つまり、今までのものではない何か、というニュアンスがくっついてくるんですが、複雑な意味を込めていて、1つは時間軸が変わるということもあるけど、あえて「ポスト」といったん言っておくことによって「ほんまに変わってんの?」っていうツッコミをするために。もう1つ、ポジティブというか積極的な意味としては、研究会って学者が集まってわいわいなイメージがあるかもしれませんが、そうじゃなくて、今回であればラッパーのFuniさんにご登場いただいたり、ライターさんやアーティストの方々などにも出て頂いて、いろいろ混じって、この状況下で「やいのやいの」言っていける場所がつくれればいいな、ということで、先日立ち上がって、今日はそれの第3弾のイベントです。今日はラッパーのFuniさんと川端さんにご登場いただいています。テーマは「ラップとコロナ」。どんな話になるかまだわからないんですけど。まずは、自己紹介されますか?

Funi:どうもはじめまして、Funiです。川崎生まれ、川崎育ち。とにかく表現することが大好きで、勘違いしても表現し続けていくっていう感じのラッパーです。

川端:川端です。津田塾大学で多文化共生論を担当しています。Funiとはもう10年近い付き合いで僕はもともと在日コリアンの研究をしていたんですけど、その延長線というか、研究だけじゃなく表現といったものをどんなふうに研究にとりこんでいけばいいのかということを試行錯誤しています。ミッドライフクライシスかもしれないけど遊びと研究をつなげたくなっていて、昨年の4月に東京に来たタイミングでこの1年くらいいろいろやってます。今日のトークは基本的には明確な筋書きはないので即興でやりたいと思います。あとはFuniの新曲など音楽を流したり、パフォーマンスがあったりです。よろしくお願いします。

ケイン:プランがあんまりないというこのドキドキ感。あ、観てくださっている皆様、僕たちはノンアルですが、スイーツやアルコールをたしなみながらゆるゆるやってください。何しろ、さっきぽすけんメンバーの1人は直前の打ち合わせで唐揚げ揚げてましたからね、自由過ぎる(笑)。全然そんな感じで観てもらえればと思います。さて、どうでしょう、Funiさん、一発かますみたいな…!

Funi:よかったらラップ、速攻ぶっかましたくてうずうずしてるんですけど。今、音楽って流せたりするものですかね。BGM、竹崎さん。

竹崎:大丈夫ですよ。

Funi:みなさんのフレッシュな言葉で。

ケイン:ZOOMのチャットにみなさん書いてもらいますか? ラップにしてほしいキーワードを。

Funi:もしよかったらDJ竹崎にビート流してもらって。

竹崎:じゃあさっき開場してから流していた「Night Kush」。この曲を頭から流したいと思います。

(zoomのチャット欄に視聴者からいろいろなキーワードが寄せられる)

Funi:ちなみにこの「Night Kush」っていうのは 適当に 音ないと 大人も子供も関係ないどんな言葉でラップしてもらいたいか。チャットにメッセージ書いてくれてますね。「唐揚げ」、いいですね。この「Night Kush」は、たまたま新宿のストリートでビートを叩いていた神戸の若いビートメーカーがいて、ぜひかけさせてくれということでお願いしました。「ラップ」、「コロナ」、「路上」、MC Zombieさんからは「給付金」ですからね、かなりやばい。Zombie、サイレントキラーみたいなね。「ソーシャルディスタンス」。じゃあそろそろいってみましょうか。

YO、フリースタイル適当にこの場でしか終われないケインさんは一緒に会場でラップできなかったので楽しみにしててください。音ください。DJ竹崎、つなぐ川崎、広島長崎、何十年も前に落とされた原子爆弾Atomic Bomb、いまだに残る後遺症、ちゃんと謝らないからこんなことになってんだよ、フリしてんだあ、Stay Homeなマインド調子どう同胞、日本の動向もっと音が必要、多分家族はFuniがやばいこと始めたって思ってる。俺のラップをするとアカペラでもいいが、uh uh、むしろアカペラでもいいかな。

(音楽の音量が小さかったため...)

じゃあちょっとアカペラでやってみます。僕の声自体は聞こえてますか。

おっけ、just I wanna say タイムラグ、ズレが生じてる、だから俺はアカペラでベラベラあわすプロペラ、まるでどこまでも飛んでくエンペラーは必要ねぇこの時代、yeahどうやって全身全霊で伝えていくか神の洗礼なんて必要ねえ、自分で前例作ってくだけぜってぇ、高い鉄壁かおえて完璧はねぇ、つまり臨機応変カスタマイズ、カスタマーの言うこと、自分の心に響かす生き方、耳かすことない自分を動かす、心Stay HomeじゃなくてStay Hope、その文字を越えていく自分の考え方を変えていく、昨日も盛り上がっていくStay Homeって、お前ら言うこと聞くわけじゃねえだろ、暴言ととるか冒険、グレネードランチャーわからねぇが、お前らアタマ良すぎるぜ、思考から身体で思考しているこの言葉、バビロンyeah。

ケイン:いや~今日来てよかった!(笑)

Funi:どうやってサバイブするかどうやって生き延びていくかっていうところがポイント。それをやっぱり少しの時間みんなで共有しって生き延びようぜってことが、離れているけど手触りのある言葉っていうものをみんなでつくっていければと思っています。

ケイン:適宜チャットにガンガン書いてくださったら、それを拾いつつ、話を組み立てていければいいですね。

Funi:チャットに書いてもらった「それ自体がリアル」とかやばいっすね。MC Pippiさんって名前がやばい(笑)。

(この日のチャット参加者にはスパム防止のため全員、名前の前に「MC」と付けてもらいました)

川端:ステイホームってかステイホープって切り込まれるともう話が終わるんですけど(笑)。チラシにも書いたんですけど、このラップっていうものを僕も素人ながらいろいろ聴いてラップってこんな魅力があるんだといろいろと気付かされたんですよね。超ラップ好きとかではなくFuniと出会ってからですね。2011年からラップを聴き始めた。Funiとイベントを一緒にするということになってラップを聞くチャンスが生まれた。その前も聞いてたけど、それからは熱心に聴くようになって。ラップってポップなものにとりこまれてるものもあるけどdisってものがすごい魅力で、このdisってなんなんだろうと。しかもまぁこの時代ですね。どういうふうにこのコロナ禍の状況でdisが展開するのかなって思ってたんですけど。なんかこの2ヶ月近くはラップを聴くっていうムードには僕はならなくてですね。

Funi:うんうん。

川端:自粛ポリスとがが登場するような状況でラッパーがどんな言葉を紡ぎ出せるのか。僕の印象だとラッパーたちも今はstay homeっていうんですよね。正しいけど、なんか、ラップっていうものがそのいわゆる知識人の言葉とは違うし、腹の底からというか言葉の根源的な意味において、ステイホームっていう表現にたどりつくっていうのもわからなくはないです。でももう一方で、本当だったらラッパーがステイホームっていうのかみたいな感覚ってあって、今日はこのあたりをいろいろ話したいなぁと。
 ただ、このテーマばっかり話しちゃうと授業みたいになっちゃうから、まずは皆さんにこういうテーマが今日のイベントの軸にあるっていうことをシェアしてもらって。だからその他のいろいろなお話をするなかで、別のテーマと結びついてまたその他のテーマに展開していくっていうのが、この即興的なトークイベントの醍醐味かと思います。

ケイン:出会ったことによって、ってのが面白くて。ずっとラップ聞き続けていく中でFuniさんと出会ったというわけではない、というところが。考えてみれば、断片的には聞いてきましたが、改めて、しっかりお二方の出会いについて聞いたことがないので、どういう感じでお二人が出会われたのかっていうところから始めてみませんか。

Funi:2011年か、10年くらい前に川端さんが地元の岡山で廃校になった朝鮮学校でアートイベントみたいなのやるっていうことで。自分は川端さんを塩原さんっていう人をつないで知り合って、「Funi君ラップのワークショップやってみたら」みたいな話になって。そこで出会ったんですけど、川端さんは在日コリアンの研究をしてたんだよね。自己紹介ですが、自分は日本で育った在日コリアン2.5世。父親は在日コリアン2世で母親は韓国から来たニューカマー。だから事実上は国際結婚なんですね。だから自分のアイデンティティは、朝鮮半島にルーツがあるというのがコンプレックスで育った。そういうことを研究している川端さんと出会って。それまでにディープなコリアンコミュニティも経験してたし、もうちょっといいやっていうのもあったけど、川端さんを通して改めて興味を持ち始めたという。

川端:だけれどもすぐに何か一緒にやるっていうわけじゃなくて、そのタイミングでFuniiはメジャーデビューしていろんな表現活動に携わったけれども迷いがあって、だったら金儲けでもしようかな的な状況だったんだよね。

Funi:ラップじゃ飯が食えなかったので。そのとき、結婚もしたいと思ってた時期で。それだったらもう、思いっきし金稼ぎしようと思って。金稼ぎするんだったらサラリーマンよりも死ぬ気になって自分で会社を作ってみようとなった。

ケイン:どういうことをされていたんですか?

Funi:インターネットのSEOやってたんですよ GMOってよく見ると思うんですけどGMOのコールセンターのSEOの営業やってたんですね。

ケイン:へえー!

Funi:ラッパーとしてはあれだけど、セールストークが売れまくって。週2回しかバイトいかないのにGMOのなかでの営業ナンバーワンとかになっちゃって。そこで、ネオリベラルの良さに気づいちゃって。金さえ持てばなんとか生きていけるかもって気持ちになっちゃって。早めに金に毒されて。10年前に。志願兵みたいに「前線行ってきます」、「マグロ漁船に乗って行ってきます」みたいな。その環境が壮絶すぎてマグロ漁船のなかって感じですね。

ケイン:その壮絶な「マグロ漁船」に乗るぜってところで川端さんと会った、と。

Funi:だから俺ラップやってるんですけど、いったん辞めてマグロ漁船乗らないとだめなんですよね、みたいな。

ケイン:生活をガバッと変える瞬間だったんですね。

川端:それから4~5年泳ぎ続けた。止まれないからね、マグロは止まると死んじゃうから。

ケイン:じゃあ出会われた時には、ガンガンにラップやってるってFuniさんではなっていくわけじゃないですか。そこからどこで、なんというか「出会い直し」というか「関わり合い直し」というか…。

川端:それから5年くらい経って、当時の僕は福島大学で働いてたんですけど、彼が福島とかいろいろ世界を放浪する中で、福島の現場をみたいということで4~5年ぶりに再会したんだよね。そこから3~4年が過ぎ、2019年に僕が東京に移ってきてから出会い直しというか色々とコラボするようになったんだよね。

ケイン:川端さんも移動してるなかで出会い直したというか。めちゃくちゃ面白いな、なるほど。ちょっとこれは川端さんにお聞きしたんですけど(お客さんの「入場」で生活音が聞こえる)お!「おら来たぜ」感がでていいですね、zoomあるある、あははは。で、お互い移動するなかで出会ってイベントするというのが面白いと思うんですけど、あれですね。同時に思うのが、Funiさんってわーっと「ラップでいくぜ」ってモードもあったわけじゃないですか。そのお話もちょっと聞いてみたいので、某テレビ番組みたいじゃないですけどラップとの出会いってどこにあったのかって、ベタなことを聞きたいです。

Funi:自分は要はさっき言った生い立ちなので。家では韓国人として育てられるんですけど、学校自体は日本の教育だったので。しかも親もこう、わざと本名で通わせたと言うか。そんなん100%風当たり強いじゃんみたいな感じだけど。でもどうしても思春期の中2になると、俺っていったい何者なんだろうっていう気持ちが止められなくて。その時にずっと蓋をしていたものを、開かせてくれたのがヒップホップだと思ってて。
 当時、ブッダブランドっていうアーティストを聞いたんですけど、日本語でラップしてのにまったく日本語が聞きとれなくて。でもフローというか情熱とか、言葉の強さとかそういったところと、魅力にやられちゃいまして。当時ミスチルとかグレイとかそういうビジュアル系のきれいなバンドが流行ってたけど、そういったものじゃなくても音の強弱と言葉の強さでも表現できるんだよっていうのを教えてもらった気がして。今君は日本で生まれ育って自分のアイデンティティで悩んでるかもだけど、それ出してみたらいいじゃん、めちゃくちゃでもいいっていうことを、なんとなく。ヒップホップに明確に言われたたわけじゃないけど。要は日本語も英語もごちゃごちゃ。God bless you 、神の息なんて言ったりするので、God bless you、お大事にみたいな。英語の言い回しなんだけど超力んで神の域とか行ったりするから。文化と文化をぶつけて感じ取るものがあっていいんじゃないかなみたいなことを、結局教えてくれたのが2pacとか黒人ラッパーだったので。血統主義とか世襲制というのを信じなくなって、同じコミュニティで民族教育とか受けてっていう自分のまわりのコミュニティの子たちよりも、いや俺とお前は違うんだみたいな感じで。なぜなら俺はこのコミュニティの言葉もそうだけど、時代も環境も越えて、そういった曲とか作品とかに触れて俺と同じものを見れてる人がいる、むしろ先輩じゃないか。自分だけだと思ってたけど先輩いるじゃないかと思えたのがヒップホップ。結局レイシズムの問題で、日本における人種差別といったものをちゃんと言語化できてなかったけど肌では感じていて。それをNYで感じた日本人だったり、あるいは白人社会でいきる黒人たちが感じてた言葉。あぁ、僕も日本で生きててそういう表現しますっていうことに出会えたということが、何とか命をつなぐことにつながったってことなんでしょうね。

川端:1点補足しておくと、川崎っていう場所は重要ですよね。川崎は在日の市民運動の歴史と文化があり、そういったコミュニティにおける在日の先輩たちの実践みたいなもののの恩恵を受けていて。それが一つはベースにあるよねということ。ただしFuniの場合はそのようないわゆるアイデンティティの政治を継承しながらも別の形で表現活動を通じて自分を表現しているよね。

Funi:話しながら分かったのが、1970年代の公民権運動みたいなものを川崎っていうコミュニティって受けてるんです。ぼくの教会の牧師がそういった運動に参加してたので、地続きにある、実はなんとなく手触りがあることなんですよね。人とか学問ってものは金字塔を打ち立てようとするのだけど、それはやっぱり、何かを建設するときに何かが同時に滅びていくってことも伝えたくて。つまり在日コリアンが在日コリアン、黒人が黒人による黒人のための解放運動をやるっていうことが、在日コリアンが黒人だけって言わないでください、あなたたちの背中に影響を受けて在日コリアンもやってやるぜって思った。そういう流れのなかで、在日コリアンが在日コリアンのためだけにやるっていうことに納得がいかなくて。人はうまく行ったり力を持ってくるとこれでいいんじゃないかと深く椅子に腰掛けようとするんだけど、臨機応変力がすごく大事で。腰掛けるという力よりも、何か建設されたときに何かが滅びていく感覚あるから。もっと困ってる人がいるんじゃないかっていうことで次にいかないとっていう姿勢を出したいということなんですよね。

ケイン:川端さんがさっき言ったように、場所も重要だと思うんですが、時間軸も、さっき「2.5世」というFuniさんの言い方にもあらわれてるけど、どういう把握の仕方をしたらいいんでしょうね。

川端:ちょっとなんか大学の授業っぽいですけど、脱工業化っていうのがラップが生み出された素地としてあるから。つまり製造業を中心とした雇用が流出して都市部やそれに続いて工業地帯が貧困化してスラム化していたところに中南米からの移民とそこに取り残されていた旧移民であるアフリカ系アメリカ人が生み出していったのが1970年代半ばにアメリカでヒップホップが生まれてきた背景としてあるよね。
 そのようなポスト・フォーディズムと呼ばれる展開の中で、川崎でもアイデンティティの政治が1970年代後半から80年代に展開していく。だけれども同時に、在日コリアンのアイデンティティポリティクスが展開していた80年代はニューカマーがたくさんやってきていた時代でもある。そこにFuniも接続しているというところで、在日コリアンという1つのエンパワメントというものを足場にしつつも、みんなそのようなオールドカマーとニューカマーの出会いと転換を言葉にしてないけど、その時代に育ったFuniや川崎の複数のルーツを持つ子供たちはそのような外部の文脈に開かれていたんだと思う。

ケイン:その「足場」と「外部」って言葉と、Funiさんがいった「肌で感じるレイシズム」っていうのがキーワードになるのでは。やっぱり在日コミュニティが「足場」担ってる部分と、Funiさんが実際自分の「肌で感じるレイシズム」、これって、この言葉を知らなくても、いわゆる「外国にルーツをもつ子ども」たちが「やだな」って思ってる「肌で感じるレイシズム」でもあるわけで。それを考える時に参照したのが、Funiさんの場合は、黒人たちのラップでありヒップホップだったっていうのが…。ぼくはこういうとき「おもしろい」って言ってしまうんですけども、それはすごいなんかこう、足場から「掘る」っていうところもありながら、「外部」からもってくるっていうところがおもしろいですね。

川端:そこすごい重要だと思いますね。ラップの成り立ちを考えてもポストフォーディズム…(チャットに書かれている志村けんのラップも気になってしょうがないけど。こんなの書かれたら見ちゃうんですけど)すみません、やっぱりラップはポスト・フォーディズムという文脈で生まれていて、同時代的な表現であるアニメのパロディとかとも近いし、コピペじゃないけど萌え要素であるノリノリで踊れるねっていうリズムの萌え要素を手作りのDIY的なcut & mix皆で楽しもうぜっていうところからでてきているっていうのが特徴だと思うので。アフリカ系アメリカ人の社会運動から在日の人達がインスパイアされてきたものが、次の世代には在日には限られない多様な移動民によって川崎のラップ音楽シーンに展開したということは今から振り返ると納得ですよね。

ケイン:産業構造のフォーディズムからポストフォーディズムですけど、これ、めっちゃ簡単に言おうとすると難しいですね。どうでしょう、川端さん。

川端:雑な説明になりますけどロックからラップへという音楽の変遷になぞって単純化して説明しますね。ロックの表現って、その時代背景としてはモノづくり大国であるメイドインジャパンというのがあって、そのような社会のメインストリームに対抗しようとすると表現はやはりX-Japanではないですがモノを破壊するところに着地します。バイクを盗んで改造して、校舎の窓ガラスを壊して回るみたいな。今の時代はそうじゃなくて情報が生産の源。たとえば音源のような情報データをいじってカットしてミックスできるのかなっていうところでラップが生まれているんだと思う。だからその方法自体は排外主義者のコピペされる言説と共通する表現方法でもある。あるいは自分や他人、ひいては社会をdisるといった表現方法は、自粛ポリスと呼ばれる人たちの表現ともどこかでつながっている。ただ、今日はこういう話をあまり突き詰めると皆さん飽きてきちゃうんでこの辺で。

ケイン:今の流れで補足というか、何かあります?

Funi:やっぱりヒップホップに関しても、まぁこれは資本主義って問題じゃなくて人間自体が飽きっぽいというか、フレッシュな気持ちを求めると思う。さっきの話と繋がると思うけどモノを建設すると埃がたまっていくだけなんで新しい風を吹かせたいっていうのは建設するのと逆なんでしょう。ヒップホップって物を壊して新しい風を吹かせるっていうことをやってくときに、黒人による黒人のためのラップっていうのは、ずっと「たまごっち」を10年やり続けるのと同じで飽きるんですよね。それをいかにどうやって壊していくかっていう。それを変わらないために壊していくんだっていうとポエティックだけど、すごくポエムな言い方になるけど、変わらないために変わり続けなきゃいけないっていうのが物理的には何言ってるか分からないと思うけど情報的にはなんとなく理解できるっていうような見せ方をしていかないといけない。

川端:サンプリングリミックスとかって言葉がオーディエンスからのチャットできてますね。

ケイン:このタイミングで、Funiさんの楽曲聞いてみませんか? 具体的なものを聞いて今の話をはめていくと、それこそミックスしてみると面白いと思うので。新曲をDJ竹崎に。

Funi:リリックだけでも楽しめると思うので。

(MUSIC)

ケイン:いま完全に音が消失しましたね。いま音が出てませんね。

Funi:結構蚊みたいな声でしたね。笑

(MUSIC)

Knowledge 2 wisdom

Knowledge 2 wisdom
2 be with U.
God bless U kids,
My foot, my roots.

グーグルで検索して 一瞬で消える知識
クックパッドレシピ みたいな歴史
good news, bad news, post truth, fake news
信じたいものだけを信じている新時代
old school, new school, boom bap からtrap
hiphopが hiphopを引っ叩いて 引っ張れ

真実はねぇ あるのは複数の事実
バベルの塔 撒き散らされ 崩れさる
Jesusが旅した 奇跡を辿ってみた
Uzbekistanでdiasporaの奇跡を見た

基本的人権なんて 信じたことない人間
身体で思考していく 人体実験
隔離されたacademia 四角いエリアからはみ出な
結局Babilonia Goebbelsと同じmedia

逆三角形の天辺に antennaぶったてな
目には見えないものを見せていくentertainer
知ってほしい 生み出す喜び
孤独な試みは 届くはず心に

パッとBUZり商品化 娼婦みたいなshow biz
貧しい金持ち 年下の年寄り
自分裏切り続ける奴のみ手にする勝利
自分さらけ出したやつ超えていけるボーダー

まるでマルセルプルーストの発見の旅
景色じゃなくて キヅキじゃなきゃ意味がない
俺の体は 生傷が絶えない
バカだから 傷つかなきゃわからない

想像してみる 君の涙の意味
理解できないかも だけどそばにいたい
俺は俺のために 生きて死のうと想ってた
でもこんなクソな世界で 君と出会ってしまった
シマッタ! 分かってしまった
今まで生きた日々の意味 変わってました

Knowledge 2 wisdom
2 be with U.
God bless U kids,
My foot, my roots.

知識から知恵へ
Do the right thing.

川端:ありがとうございます。そうかリリックをチャットに貼り付けるっていう手ががあったか。

ケイン:よきですね。これは「ぽすけん」終わってからもう1回聴きたいですね。いいですねぇ。

Funi:超恥ずかしいことなんですけど、自分で解説してもいいですかね。googleで検索して一瞬で消える知識みたいな歴史っていってるんですけども、まぁ自分たちが生活の中でこう、知識っていうものがこういつもgoogleにアクセスできるから別に覚えなくていいやって思ってるけど、智慧っていうのは生活の中で自分で考えていくことだから。忘れないことだっていうか。忘れないものが何なんだろうっていうことを形にしたくて。クックパッドのレシピみたいなのって歴史みたいに一つの正しいものがあるというより、みなそれぞれ好きなレシピがあって信じたいものだけを信じたいんだなってのが新時代だなって気持ちがあった。みんなそれぞれ、現実は糞だけど、自分の好きなゲームとか好きなネットフリックスとかドラッグとか依存先っていうものを見つけて、自分の信じたいものだけを信じていれば生きていけるかもしれないっていう時代に入った気がするけど本当に? っていう気持ちもあって。自分は2015年から4年くらい世界のスラムを旅していたので、資本主義の中でお金さえあれば生きていけるって思ってお金をたくさん稼いだけど、それなのに何で俺はスラムを旅しなきゃいけないことになってるんだってことが自分自身でもわかんなくて。わかんないけどでもとりあえず答えがないから身体を使って考えてみようと思って、自分が求めるのがゴージャスなセレブのようにインスタで「コレ食べてます」みたいなのが皆と同じ過ぎちゃって。みんなと「特別なんだよね」っていうのが実は皆同じ過ぎて、つまらなくて。もともとあまのじゃくの精神もってるんだから、今、資本主義が提供している最高の価値っていうものの次の価値を自分の身体に教え込みたいんだって気持ちで、あえて真逆の行動をしてみたのがIT社長をやった後の4年間っていうか。要はお金じゃなかった。一番最初のテーマでなんとか生き延びねばっていう時にお金だけじゃ生き延びられないらしい、じゃあ何が必要なんだwhere is love愛を探しに世界を旅してみたものの、本当に自分が旅してるのと社会に入り込んで生きていくということになると、どうやらずいぶん旅と旅行はずいぶん気分的に違うんだな。もっと言えば旅から、住んでいく、その社会に何とか、すいません僕をこの最後の列に加えてもらえませんかって。そういう寄留者の気持ちで4年間やってみたときに、一番最後の者としてこの場所にきたけど、どうやったら私を受け入れてもらえますかって敬意の主張ということよりも、何とか擦り寄って「ここにいさせてください」みたいな経験を世界中でしてきたわけなんですよね。それをただ1人でやったんじゃなくて、そういうことを既にやっている先輩がいたと。彼らはメディアにものってないし、言論をもってないと。でも確実に僕らアメリカって想像するとNYとかLAのとかってなるけど、大半のアメリカ人たちってのはテレビに映ってないめちゃくちゃ生活が大変だったりするってことを、もっと、こんだけ俺は会ってきてるから、その人達が喜ぶ言葉作らないと次の時代やってけねえかもしれないっていうことを旅しながら何となく思ってはいて。ただどう表現していいかわらかないから、周りの人達を使って表現をしていこうと。この歌詞の中に書いてあるけど、マルセル・プルーストの「新しい旅」っていう、彼はフランスの文学者ですけど人間は、こう、新しい景色が見たいとか、それっていうのはインスタの画面をスクロールしてもっともっと新しい景色を見たいんだ僕にはもっとメモリがあって僕はもっと積みたいんだって思うけど、それじゃ実は満たされなくて。旅をしなくても僕は旅をして日本に戻ってきたけど、新しい視点とか気づきっていうものをもう1度日本の社会のなかで、一番最後の列として加わった時に、なんとか世界じゃ生活できなかったので、もう1回始めさせてくださいっていう気持ちを描いたりしてたってことですね。そういう人たちがターゲットっていうか。

ケイン:この点、川端さんどうですかね。

川端:そうですね。Funiの内面の細部に話が入っていってるので、1回外に出すと、たとえば、そこからFuniの場合は地元である川崎に戻って。僕も『ジモトを歩く』(御茶の水書房、2013年)という本を書いたから地元を巡っては色々とこれまで考えてきました。他の都市も同じだけれど、川崎という記号がブランドとして1つのアイコンみたいになってて。それがなんか再開発やらまちづくりやらそういった資本主義と結びついてね。そのような文脈の中で、たとえばFuniと同じようにいろんなルーツを抱えたBAD HOPはメジャーとして活躍している。ああいう商売とも非常に相性の良い表現と、Funiの音楽表現ってどのあたりが違うというふうに考えてる?

Funi:自分はどうやって生き延びるかがポイント。時代のタイミングもあると思うけどやっぱり、それによってマネタイズがすごいできる音楽にはなっていて。ただ彼らの凄いのは、そことも戦っているっていうか。それをバカにしちゃいけないなぁって自分は思ってるし。要はショービズやってんじゃねえよっていうのに対して、BAD HOPは最大限の最大公約数。最大公約数で行きたいんですっていう姿勢を感じてて、それもなしじゃないよねっていうギリギリの限界で戦ってる。僕が絶対獲得出来ない層にも届いていて、バカにできない。僕のフッドの子どもたちっていうのはBAD HOPに憧れるし、そういうもので何とか生きてみようかなってものをつくりだした。マネタイズって言葉を使ったんだけど、なんとか遊びをここまででっかくできたっていうのは1つの成功かもしれないんですけれども、今がゴールじゃないから現時点がゴールじゃないから、たとえばドラッグをやってて最高潮に気持ち良いっていう時に死ぬわけじゃないので。ドラッグやったあとの憂鬱な日々も人生にはあるわけです。そこまでケアしてくれるかっていったら分からないから死なないでねっていうか。ハッピーだっていうのだけがライフじゃないから。でも分かってるもんね、ここ出身だから。絶望がスタートだからっていうことも教わって育ってるだろうけれども、人生の一番いい光みたいなところを見てそれがなくなったからっていって諦めてほしくないというか。

ケイン:僕なりにFuniさんの言葉を引き受けて思ったことが合って。Funiさんの曲いろいろ聞かせてもらって思ったのが、主語というか。主語と宛先が独特というか。そこが面白いと思うんですよ。たとえば下手な言い方だけど「みんな~っ!」みたいな曲つくらないじゃないですか。それ多分すごく今の話とリンクしてる気がしていて。だから誰を宛先にするかっていうことをFuniさんは明確に思ってるなって気がすごくするんですね。さっき聞かせてもらったものもそうだし、こっち(『KAWASAKI2 ME,ME』)もそう思ってたんですけど。移動されるなかで、曲がインスパイアされていくなかで出来たアルバムだと思うんですが、宛先をどういうふうにFuniさんは考えておられるんだろうっていうことを聞いてみたくて。

Funi:実は、あの、僕が凄い意識してるのがZOOMにも言えるんですけど、僕はZOOMに映っているのは僕と川端さんとケイン樹里安さんだけど、僕が表現したいのはここに映らない人なんです。ニュースとか大学の講義には出てこない、でも実際に生きてた人たちっていうのを表現したい。コロナの後にオンラインが強化されていくと思うけど、大通りというかメインストリートだけが整備されないといけないということで大人たちが整えていくけど、それによって殺されちゃう人たちを引き受ける、裏路地とかバックストリートっていうのが世の中にはいろいろあって。自分が今どういうモノ持っているのかを人に知られたくないとかですね。極端な話すると、面白いことですけど、人前でイチャついて、それが過剰すぎると逮捕されちゃったりするわけですよね。人前でイチャついてその行為をおっぱじめてしまったらいきなり警察に捕まる。でもある特定の任意の場所で合意の上で身体を重ねるということは言葉を越えて繋がりあえることかもしれないんですね。これをパブリックでやると犯罪になるけど隠れてコソコソやればある秘密を共有することになる。逆に言うとそういうものなんですね。
 僕はその秘密じゃないけどみんなが口に出さなかった秘密っていうのを、頑張ってなんとか口にするから。本当はパブリックになったら恥ずかしいから分かる人には分かるような暗号にするから、そういう微弱な電波をキャッチして気づけたとしたら、表面でチャラチャラというよりか深いところで繋がれた気がするね。誰でもいいよ、聞いてっていうことではなくて、本当に伝えたいバックストリートにいる人たちに伝えたくて。でもあまり下品な表現や警察に捕まる表現になってはいけない。そこで仕掛け分かる人にだけわかる言葉遣いって言うことをしてるっていう。それがなんか実は、ある人たちをふるいにかけることにはなるけど、ある人たちにはFuniくん分かってるねみたいなことになるような仕掛け。だからフラットに情報伝えることはできるけど意味がない。フラットに見せかけてレオナルド・ダ・ヴィンチじゃないけどモナリザのなかに本当の気持ちを隠すとかね。みんな I love youなんて言ってなくて、ゴッホは耳切り落としながらごめんよって気持ちを描いたりね。感情を出さないとやっていけないっていう。これは欲求として当然あるんだっていうことを認めないといけない。それはみんなが科学的に実証できてないとかあるけど、実証とかじゃなくて生きていくためには溜まった感情出さないといけないから、それが分かる人には暗号で送るから。お金儲からなくていいからでも伝わる人とつながれば良いんだって。

ケイン:いまMC浩平(川端さん)がレペゼンって書いてくれましたけど。

川端:Funiがいうところの川崎をレペゼンするということだよね。

Funi:そうあえてのオフラインというか今までの時代ってリテラシーとかなんとかこう、足並み揃えるということやってきたんだけど足並み揃えるために本当にリアルに死んじゃう人たちがでてきちゃって。足並み揃う必要あるって気持になってるわけですよ。そんな時にstay homeよりも、stay homeの一番最後の最後にばってんしてstay hopeに変えてみたり、なるほどねと、今あるものをちょっと変えてひねっていくんだねみたいな表現でいいんじゃないかと。

川端:僕たちが学校で習う、科学的な物差しを基準に何が正しい行動で何が間違っている行動なのかっていうことを考えちゃうと「いまstay homeだなって」そういう正解がでてくるんだよね。ただ、その正解を自分の力ではほかの言葉に変換できなかったりするような状況があると思う。「stay homeわかるよ伝わってくるよ、でもこのstay homeの状況をどういうふうに受けて、では自分に何ができるだろう? どう楽しんでみよう、どう人をケアしてみよう」というところへと転換するときに、stay homeっていうメッセージを真に受けちゃうだけだと自分の言葉で語る力を失うような側面があるんだよね。ラップってタブーの領域に飛び込むのが得意だと思うんだけれど、このコロナ禍で、結構難しい状況だと想像するんだよね。いまラップの界隈はどんな雰囲気なの? ライブハウスの文化とかも含めて。

Funi:いま、ラップの雰囲気どうなのかっていうと、最近Zeebraさんが今の状況を代弁してくれるような曲を書いてたけど、今どう攻めるべきかを考えあぐねているところがラップなんだと思うんですよね。自分が、まぁコロナっていうものが本当SFというか、それが本当に映画みたいな話が起こったけど、どうやってこれから生き延びていくかって考えたときに、とにかくいま失くしたいもの何かっていったら恐怖心。なにか得体の知れないものに突入しているという恐怖心。そこに耐えうるメンタルをもっていないと俺たちは。この恐怖心、得体のしれないどうなっていくかわらかない恐怖心になったときに僕が大切にしてるのは川崎っていうのは最初から絶望で終わってたので、焼け野原なので。戦時中じゃないですけど。もう終わってんなここはみたいな。ムキ出しすぎんなっていう状態で、良いか世の中に出ていくなんて希望なんてないから死なないように生きていけよって最初から言われてた気がした。

川端:それは重要だと思います。いま川崎の場所に原発災害後の福島の文脈を重ねて見ると、確か精神科医だったと思うんだけど、福島の人たちの厳しさや難しさというのは、他の被災地と比較するとやっぱりドン底がどこにあるのか確認できない宙ぶらりんな精神状態にあることだと言ってました。たとえば誰か亡くなりましたってなるとそれが底辺となって、底からまた回復したりとか、言葉が生み出されたりするんだけど、それがなかなかできない宙ぶらりんな状態っていうのは実に厳しいです。僕はstay homeがはじまったときに福島での生活を思い出した。

Funi:それを変えていくのって、当事者っていうより隣人っていうか。そのコミュニティに最初からいた人たちじゃなくて。俺的にはめちゃめちゃ疑問なんですけどっていうことを、すっとぼけた顔して言う人が必要。その役回りってすごいやり難いんです。でも毎回、旅する中で寄留者って言い方するんだけど、ずっと留まるわけじゃないけど、あんたらが住んでる世界は俺からしたら異常。でも俺はマイノリティだから口に出さない。でも俺はおかしいと思ったら顔に出すんで、それを曲にするっていうか。こういった、分断されていってコクーンの殻に閉じこもる、受動態になっていくときに、自分たちの社会がどういうったものなのか、旅で寄留者であんたらがいる世界の男は女の人のことを考えてないって、コクーンに入ってる状態だと気づけないんですよね。それを出て、そんな役回りですっとぼけた顔して、俺的な言葉にはできないけど違和感。難しいことだと思うけどそれをパフォーマンスしてエンタメして見せようっていうのが自分の根源にある考え方で。それは本当にマイノリティだったり本当に孤独な人はできないかもしれない。自分は孤独だったマイノリティだったって言われてるけど、そのなかでもとっても恵まれている環境でそれに対して少し余裕があったっていうか。その、自分が思ったことを吐き出せる親とか、吐き出せる牧師とか、ヤクザの友達とか、そういった友達が多くて。それによって色んな人が僕の体に入っていったっていう。その、ラップをしてるのがどういうことかというと、見えない世界の人たちのことの代弁。なんで日本を去らなきゃいけないか。お金を稼いでいたとしてもハッピーなんだぜって表現しないと日本では生きづらい。どっかで俺はこの国で一上がりしたから海外で楽しく過ごしてるよっていう虚像つくらないとこの日本では生きていけないと思った。

川端:ちょっとFuniの話に横から入ってみるんですけど、川崎、コロナ、福島の話をしましたけど、僕がコロナの中で感じた閉塞感を覚えるものってなにかというと、地味な日常の多様なオプションがなくなっていくこと。どんどん選択肢が減っていく。身体がなまってるからジョギングしようと思ったらマスクしなさいって言われちゃうとか、そのことが空気としてある種の合理性を持って説明され共有されている。それはとても地味なんですけど、そのような地味で多様なオプションがあるということに僕らは支えられている。そこから新しい言葉やアイディアも生まれてくる。これを僕は将棋によく喩えるのですが、普通の状態だと飛車角とかが重要なわけですよ。そういうところに意識がある。でも今の状態は随分と違って、全ての歩がなくなっちゃったみたいな感覚です。それはとても辛いというかこれ大丈夫なのかという初めて経験する感覚なのです。ちょっと強引かもしれないけどそのような感覚とFuniの作品のあり方を接続して考えてみたい。先ほどはFuniの作品とバッドホップとの違いってところでかなり一般化して整理したけれど、今日もねFuniが実家の自分の部屋でいきなりフリースタイル始めたから家族が驚いているかもしれないという話があったけど、Funiの表現は、コミュニティや家族といった周りの人達との身近で地味なつながりに支えられて成立しているわけであって、自分ひとりでできるわけじゃないよね。Funiの活動のなかで、世間的に知られてないかもだけど、NHKのドキュメンタリー番組『ノーナレ』「川崎SouthSide Rap」でも出てくるけどFuniは川崎の若者たちにラップを教えるような活動をしているよね。それもなんか、いわゆるカリスマ性で俺についてこいって感じじゃなくて。あるいは特定のできるやつをかわいがるっていうわけでもなくて。いい感じの等身大のストリートの繋がり。実際に、Funiは「ストリート大学」っていうのをYouTubeで流したり、Funiのお父さんやお母さんの日常の場面が登場するような作品もYouTubeで配信しているよね。

ケイン:これちょっとみんなで見たいですね。

竹崎:ありますよ、『オンマのまんま』っていう最高のやつ!

川端:お母さんのコロナを総括するような一言がはいっていてよかったですね ちょっと補足するとあれお父さんがギターを弾きながら歌っているんだよね。Funiの家に遊びにいくと、お父さんが工場の風景が好きだってことで、いろいろな絵が飾ってあ絵が、きっとFuniはこういう身近なアートからインスピレーショをン受けてモノを作っているんだろうなと感じたんだよね。そういうFuniの家族は僕にとっては他人の家族なんだけれど、そういう感じがきわめてしないというか。他人の家族でも家族感というある種の繋がりの感覚を受けることがあるんだなあという驚きがありましたね。

Funi:結局ラップっていうのは表現ってことになっていくと思うんですけど、何でやるかっていうとモチベーションで心がなにか動かないとなにか表現しようと思わない。じゃあ日常で心動かないのかって言うと動く。僕はそれをダイレクトに表現したいと思うけど、これはみんな押し殺さないとやってけないんだっていうことが多いんだってことが分かってきて、お腹空いたらお腹空いたっていえばいいじゃんみたいな。いまここでお腹空いたっていうと、会議的にはまずいかなっていうのも言ってる意味は分かるんだけど、もっとこう自分は心動かないと表現としてうまくいかない。心動かなければ表現無理やりしても意味ないわけなんですよね。じゃあ身近に接している人の中でこれ面白いなとか。例えば母親って日本語の使い方すごく下手で。「朝採れ」とか。みんなで「朝採れ」って言うんだけど、「朝採り」って言ってしまうのを「朝採れ」に直してあげるようなシーンは出てこない。純文学のなかでの一行のセリフみたい。何かに回答する言論じゃなくて、さっき川端さんがいった失われてしまった日常のオプションっていうか、色んな方法でいいんだよっていう選択肢を情景として、たくさん蓄積させてあげる作品をつくりたいと思ってて。それが純文学とか景色とか、ドストエフスキーうまいなって思うんだけど、俺は自分の声に自信あるからラップで声つけてフローにしていきたい。

ケイン:2つ思ったことがありまして。Funiさんが、さっきの「オンマのまんま」もそうだけど、今変わらないものと変わりつつあるものとを同時に、それ自体がなんかこう「失われた」というか「目の前にあるけど失われゆくもの」で、それを作品化していくってことが楽曲という意味での作品とつながるところあるんですかね? っていう話と、ドキュメンテーションというか、なんかこう作品が真空状態からポンと生まれるんじゃなくて、身近な人やそれこそ「隣人」との関係性のなかでどうやって作品がでてくるのかみたいな、生活自体をドキュメントとして残していくのか、ということをされているのかなぁと。「一緒にやる」、Funiさん自身が「隣人として作品をつくっていく」。Funiさん自身がどこいにるのか。それも同時にドキュメントとして残していく。映画とかでも、メイキング映像ってあるじゃないですか。映画のあれってパフォーマンスじゃないですか。「あんな怖い人がこんなお茶目なところがあるんです」ってわかりやすいストーリーの。メイキング自体もメイキングで。でもFuniさんはそうじゃないものを撮ろうとしていて。それが「作品の宛先が誰か」って話と繋がってるような気がしています。いまのお話とあとやっぱり「オンマのまんま」になんでこんなに自分はひきつけられるのかなと。

Funi:日本社会に自分がいても良いんだっていうことを子供の頃から言ってほしかった。言ってくれる人はいなかったわけじゃなくて、いろんな形で言ってくれて、たとえば朝から晩まで空き缶潰してるおじさんとかの背中見ると「いていいんだ、俺」って思えたりとか。別に明確な言葉でないけど、そういうことを感じるシーンがあったり。でも自分でネオリベラルでIT社長やって成功物語なんていう文脈でストーリーを見せるとなった時に日本にいられなくなってしまって。それで。俺、今、日本に居づらいなって思って旅を始めたんですけど。じゃあこれから、その時は時間も金もあったからこれから好きなこと、何やろうって、初めてチャンスタイムみたいに思ってただけで実は何もできなかったんですよ。これがすごく不思議で、時間もお金もあったのにホリエモンや前澤のように何もできなかったんです。お金と時間があるけど、自分ひとりでは限界があった。じゃあ自分のために生きることはやめてしまって、とりあえず今世界的なクライシスなスラムで生きるって決めたときに、そこで本当に困ってる人たちと出会って「あなたこうやったらいいんじゃないんですかね」って生活をともにしていったときに、「Funi、助かったよ、ありがとう」みたいな。各地で自分は「ここでは市民権を得たな」みたいな気持ちになって、じゃあバイバイって次のとこにいくみたいな風になったんですけど。結局、海外を移住しながらそこにずっと居住するなんて勇気を自分は持てなかった。じゃあ俺は何を求めて日本を出たんだろうって思いながら出たけど、俺もこのまま日本にいて良いよって言ってくれる人が欲しかったんじゃん俺はって。そういう人を探して世界に出たけど見つからなかったよ。世界にはいなかった。じゃあ俺が日本でなればいいじゃんっていうプロジェクトで、自分がずっと追い求めていた人を自分が演じていくっていうエンターテイメントで俺がここにいるわけですよね。
 それはいまオンラインとか、いま福島でいろんな音楽イベントで集まって、人の手触り感じたけど、コロナの後って集まること自体がクライシスだから難しいんじゃないかってなってきた。自分たちのそれぞれの殻に閉じこもっても生活できるんじゃないかってなった。それをなんとか一緒に生きていくんだってスタイルで見せていくエンターテイメントをやるってなったときにやっぱりリアル以外ないと思ってるんです俺。ただし、いまの一般的な法律でとか、今の考え方では「Funi、それは犯罪」、「それはやっちゃいけないFuni」、「それはルール違反だよ」って言われるかもしれないけど、「俺とお前だったらいいだろう」、「みんなに言わなかったらいいじゃん」みたいな。実際に会って作品つくろうよっていうのは、一般的に今会っちゃまずいかもしれないけど、それでもお前に会いに来たっていう魂の強さって、おれはかなり重要だと思っていて。というにも結局魂でつながるしかないっていったときに、どれだけ時間を一緒にできるかっていうことも減っちゃったわけじゃないですか。一緒にいる時間を約束しなくても会えていた環境がなくなった。そういうときに誰と魂を合わせていくんだっていう。
 これ全然関係ないけど、最近地元で友達と話してて「この前じいちゃんが死んだんだけど、妹から電話かかってきじいちゃんが死ぬ30分前にカーテンの奥にいた」って言うんですよ。ゴースト。「Funiさんお化けとか信じますか?」みたいな話になって。「いやー、でもそれはおいといて結局死んだとして魂がちょっとだけ浮遊してて誰かに会いにいけるらしいんですよね。もし会えるとしたらFuniさん誰に会いに行きます?」みたいな話になって。ちょっとの時間、魂が動けるってなったときに誰に会いに行きますかって。なんとなくコロナの状況に似てるというか、会えない時にその魂は今のこのオンラインのタグ付けとか、いろいろなものじゃなくて、その魂は探すわけですよね、どこにいるんだなになにちゃん、そこにいるんだねって言って、ばーっていくわけじゃないですか。何をもとに探してるかって言うと世の中は目に見える可視化とか目に見えて繋がれてるじゃないですかっていう種明かししようと思ってるけど、そんなのどうでも良くて死ぬ前に会いたい! みたいに、魂と魂が触れ合うときに、どうやら会ってるらしいんだよね。かなりスピリチュアルな話なんだけど、それぐらい濃い時間を誰と過ごしていけるのか、これからの時代っていうことを。誰と、もう会えないんだっていうときに手紙を書きたいっていう気持ちが動く人はいるのだろうかっていう時に、僕はそう思ってもらえるような人になりたい。会えないから、みんなを1本の線で貫くような槍というか、それぞれの殻にを貫くような槍みたいなものをつくりたい。その槍の形は決してまっすぐじゃなくてすんごいこんなもので、貫いていかなきゃいけないっていうか。だとしたら体で動いてそこに行って貫けるだけ貫くしかないんじゃないか。アナログですけど。そういった方法なのかなっていうか、分かんないですけどね。

川端:いま、死にそうなおじいさんの話がありましたよね。今の話とは少しズレる個人的な経験ですが、身近な人がなくなるという瞬間を経験したことあります。いっぽうでその経験は、ある人がなくなってもその魂のようなものはずっと残っているという感覚がありますよね。ただしもう一方で、亡くなる時にそこに魂というか存在の不在も確かに感じました。つまり別れることによって、そこで一度は関係性が切断されるけど、ここでいう魂のようなまた別のつながりっていうのが生まれてきますよね。そういうことをふと思い出しました。

Funi:孤独と孤立って全然違うんです。旅してるときって孤独だけどすごい繋がってるんです。皆のこと凄い思い出すしこの景色見せたいって思ったりする。だけどコクーンに入って閉じこもってるっていうのは、孤立、本当にディスコネクト。誰とも繋がれなくって。だから僕が思うのはみんな孤独になったらいいっていうのは独りになることでもっとみんなのことを思った方がいいっていうか。だから旅すると、大人になるっていうのは自分の判断で決めないといけないじゃないですか、今日どこまで行かないといけないか。バス乗るのに失敗すると俺を責めるしかないじゃないですか、リアル自己責任っていうか。でも自分の手触りで判断するから。勘や感覚が練り上げられていく。今「失敗しない世界」になってるから。

川端:そこは、この研究会の出発点であるポストスポーツとかポスト研究会のテーマとすごい繋がってるような感じしますね。これまで話題にのぼってきた「独走論」ともつながります。

ケイン:そうですね。僕もやっぱりおじいちゃんの話で、僕も身近な人思い出してました。あと、ソーシャル・ディスタンスや「三密」っていうときに、孤独に、孤独ってなんかこうゆっくり・まったりしながら、それこそ誰かを思い出したり、本読んだりとか、じっくり向き合う時間だと思うけれど、そうじゃなくて「孤立させる」ものとして、ソーシャル・ディスタンスや三密って言葉が使われてしまってるんじゃなかと。その絶妙なニュアンスに色々思うわけです。一方で、「俺たち孤独じゃないよ、孤立してないよ」って強引に言うかのように、異なる誰かを、たとえば、移民をヘイトしたりって部分があるんじゃないのかなぁとも思います。今日の会の、主旨分を、川端さん、あ、MC KOHEIが書いてくださってますが(笑)、「disとhateは似て非なるものじゃないか」と書いてあるわけです。Funiさんのdisはいろいろ考えさせられる。無理に「俺たちとお前は」っていう線の引き方が、ちょっと違うのかな、と。

川端:一方で、ラップって「俺」とか「お前」とかって言葉使うんだけれど、それは自分よがりの俺様的な態度とは少し違うんだよね。「俺」と「お前」の共感が前提としてあるから、「他者」への嫌悪をベースにしたヘイトとは似て非なるものだよね。

ケイン:そこ結構大事な気がしていて。どうなんでしょうね。

Funi:面白い変化があって20代のときは「俺が俺が」っていうアイデンティティの表現が凄く強かったんです。だけどその表現はやりきってビジネスに移ったと自覚してる。もう1回自分がラップやるときに「俺が俺が」じゃない、演劇や映画も好きだから、街や登場人物を俺が浮き上がらせることによって、俺が正しい間違いっていうのが実はラップの痛快な、快刀乱麻にいろんなことをはっきり、アイツを殺せとか分かりやすい攻撃なんかが分かりやすいけど。俺のラップって意外とナヨナヨしててジメジメしてて内向的で内省的でうまくいかないよ、みたいなことを表現している。だからラップ、セックス、ドラッグ、yeahみたいなものと対極。そういうのを出しても全然いいんだっていうことでやってるんで。

川端:じゃあそろそろ新曲を流してみますか。さっきは失敗しましたけど今度はMC KOHEiがんばって曲を流してみます。

Funi:それかアカペラで。実はこれコロナ前に、結婚したんですけど奥さんと別居婚というかですね。新聞社で働いているんですけど。新婚早々にブチ切れてましてすげー。ただそれだけブチ切れるとただの頭おかしいおっさんだけど、一緒に住みたいけど住めないって言う状況の人はいっぱいいるだろうなって思って。一緒に住みたいけど住めない生活はクソだぜっていう曲です。white dreamっていう曲です。

川端:じゃあかけてみます、うまくいくかな。

white dream

離れて暮らしてフラストレーションで
もう無理ってもう無理ってもう無理って思うけど
you are still my dream yeah
its white dream yeah

6 o’clock in a morning I wake up
お前はスヌーズをkillし夢の中
テーブル散らかった チップスとリリックス
ブラックコーヒー リラックスとは程遠い

シャッター 上げたブレイカー
トースト タイムカード コストカット対価 shut up fuck up
鉛の体 引きずりながら
まだバカな頭 ぶら下げながら

why 俺はここにいる
醜い アヒルですぎる昼
スキルを手に入れ街を出る はずが
海だけ見て 火を点け また戻る

俺は百万回 死んだ犬 
あと何回 生き返る
なくなんない愛探してる
life is just one time, that’s my style yeah

埃も光の当たり方でダイヤ
グラインダー削る スパークする火花 fire
プライド叩く音 デカく響く
皆己のみ救えぬ眠れぬ奴隷

俺はbomb makerな革命家
NO マネできねーマネーメーカー
煙たがられてるトラブルメーカー
Just 6 o’clock in a morning I wake up fuck.

離れた分だけ 二人の生活を
夢見て夢見て夢見ていたけど
you stay away from me year
its white dream
you stay away from me year

離れて暮らしてフラストレーションで
もう無理ってもう無理ってもう無理って思うけど
you are still my dream year 白い夢
its white dream
you are still my dream year
its white dream
離れて暮らしてフラストレーションで
もう無理ってもう無理ってもう無理って思うけど
you are still my dream yeah
its white dream yeah

6 o’clock in a morning I wake up
お前はスヌーズをkillし夢の中
テーブル散らかった チップスとリリックス
ブラックコーヒー リラックスとは程遠い

シャッター 上げたブレイカー
トースト タイムカード コストカット対価 shut up fuck up
鉛の体 引きずりながら
まだバカな頭 ぶら下げながら

why 俺はここにいる
醜い アヒルですぎる昼
スキルを手に入れ街を出る はずが
海だけ見て 火を点け また戻る

俺は百万回 死んだ犬 
あと何回 生き返る
なくなんない愛探してる
life is just one time, that’s my style yeah

埃も光の当たり方でダイヤ
グラインダー削る スパークする火花 fire
プライド叩く音 デカく響く
皆己のみ救えぬ眠れぬ奴隷

俺はbomb makerな革命家
NO マネできねーマネーメーカー
煙たがられてるトラブルメーカー
Just 6 o’clock in a morning I wake up fuck.

離れた分だけ 二人の生活を
夢見て夢見て夢見ていたけど
you stay away from me yeah
its white dream
you stay away from me yeah

離れて暮らしてフラストレーションで
もう無理ってもう無理ってもう無理って思うけど
you are still my dream yeah 白い夢
its white dream
you are still my dream yeah
its white dream

Funi:いや恥ずかしいです。

ケイン:いいですね~!

川端:これ聞こえました?

ケイン:ばっちりでした。同時に状況が全然違うのに、今のこの状況を歌ってるかのような。すごい刺さりますね。だから、フラストレーションなんですよね。一緒にいたいのに会えないし、本当だったら今日ここにいらっしゃるみなさんとどこかでね、お酒のんでご飯食べながわいわいできたかもしれないけどみたいな。

Funi:あと本当は自分はIT企業の社長もやって、放浪して、町工場のイチ溶接工やってるんだっていう上手く行かない現状も、奥さんに愚痴るのも歌にするみたいな。愚痴なんですよね。愚痴をなんとか、そうなんです、すいません。

ケイン:なんていったらいいか。それが「足場」と「外部」って話が序盤にあったじゃないですか。「足場」のなかで見つからなかったものを「外部」から得ていって。で、今度は旅をすることで「外部」にいくんですよね、再び。

Funi:MC山本さんがチャット欄ですごくいいこと書いてくれてます。「音楽って離れてる人たちに届けるための声なのかな、だからディアスポラと音楽って大事なのかな」。

Funi:決まっちゃってますね、この言葉。イテテテテ。決まっちゃってるみたいな。

川端:完全に決められてますね。

Funi:もっと本当に、音楽やるっていうと僕が始めた頃っていうのは有名アーティスとトップチャート、セレブな音楽を志すっていうのもあり、それも夢を1つ与えるけど単純に、こう俺が世の中すげえ楽しいと思ったっていうまさにオンライン上でなくなっているオプションのようなものを。要は、メインストリートだけになって裏道みたいな表現というか、バックストリートっていうような気持ちで、別に有名になってお金ほしいとかではなくて、まさにいま失われてしまう景色だったりいなくなっちゃう人の思いというのをパッケージして残しておきたいんだっていうことが全然成立しちゃってOK。ていうか売れないとダサいっていうのがダサいっていうか。

川端:でもやっぱりこれはFuniが言うように愚痴なわけでしょ。メンタルとしてはストーカー的なメンタリティ。コロナに脳内感染した人みたいに1つのことばっかり考えている。「なんで帰ってこないんだよ!」みたいなことばっかり考えてる。でもそれが言語化されてラップという作品になると、リスナーとして我々がそれを受け取る時には違うものになっているっていうかね。モノをつくるということには共通のことなんだろうけれどここはラップの魅力だよね。 

Funi:変な話アウトプットをしようとするとどうしても、完全にみんなに擦り寄るわけじゃないけど、ある程度は分かってもらうためにわきまえなきゃいけないところが出てくるんですね。そこが自分でもちょうどいいっていうか。世界に関わってるなって感じを持てるっていうか。ただの、2chの書き込みとかコピペでふざけんなとかヘイトみたいなものと違って少しでも自分を理解してほしい。アウトプットするときにへりくだらなきゃいけないっていうことが、実は世界とつながるんだっていうこと。自分だけで表現で。ヘイトっていうのは閉じる世界の方法なんですよね。

川端:Funiがもう一人のFuniを動かしてるみたいな。そこに作品が生まれるということだよね。

Funi:もしちゃんと聞いてもらって分かるってなるようなあるあるっていう表現にするようなら、抽象度Funiもう一個上げないといけないぞっていう。作品にするっていうのは手記とか秘密裏にやってるものとは違う。特にそれが父親や母親の声を代弁してやろうって思うともっとわきまえなきゃいけない。自分の言葉だけだったら乱暴な表現になるけど関わった人たちにもう1回息吹を吹かせるんだってするなら、もう1回自分が動かなきゃいけない。そこが気持ちいいっていうか。ストレス解消法になっていいっていうか。なんでやってんのか意味分かんないんだけど、ネオリベの思考でいくといお金にならないことはやらないほうがいいってなるんだけど。経済学的に俺は燃費がいいっていう攻め方もできる気がしてて、それで納得させることもIT社長のとき少しずつDIYで全部つなげる必要ないけど刹那的でもいいかもしれないけど、存在しちゃってるものを否定するなっていうか。

川端:そろそろ時間なのでまとめていきましょう。チャットに質問やコメントが来ています。

視聴者A:「じゃあ今まであまた出ている在日コリアン文学とか映画とかもろもろは、わきまえてるの??」

視聴者B:「KPの作品もメッセージ尖ってたけど、共感する心地よさはありました」

ケイン:いくつか質問。お答えしたほうがよさそうなものをピックアップしましょうか。えっと、そうですね あ、「わきまえる」っていう表現をどう考えるか、「じゃあ今まであまた出ている在日コリアン文学とか映画とかもろもろは、わきまえてるの??」。わきまえるってニュアンスをたぶんこうじっくりみんなで浸ることも大事かも。

Funi:たしかに。実際にKPの作品は共感する心地よさはありましたっていうことなので、KPのときはたしかに尖ってておめーらなんもわかってねーじゃんかよみたいな時期だったので。そうかそれもそうなんですよねー。なんか、難しいな。わきまえてるっていうか、まず1つラップするときにどういうとき声がでかくなるかっていったらストレートに思ってるものは言葉が強くなるんですね。あの、たとえば当事者として在日としてコリアンのこと歌うのは声に力がはいるので相手を説得させる力が強いと思うんですよ。KP時代は当事者としてこの社会で本当にムカつくことがあるんだっていう気持ちで歌っていた。でもその当事者として歌っていたといいつつも、その下に今までの屍っていうかそういう環境をつくってきた人がいて、その人達の代弁だってことに後々気づいてったってことなんですけど。

視聴者C:「私はわきまえって役割分担を自覚することだと思ってます」

視聴者A:「うんうん。」

Funi:たしかにわきまえるじゃないんだよなぁ。

ケイン:「私はわきまえって役割分担を自覚することだと思ってます」ってあったけどこれかもしれない。

Funi:助かります。本当に言葉。助かりますね。

川端:他に顔をだして喋りたいっていう人がいたら出てきてもいいんじゃないですか。みんなでてきたら怖いけど。

ケイン:あと10分くらいなので「これだけは言いたいぜ」という方がおられましたら、ぜひ! 顔出しでも、声出しでも。

Funi:ナディも見に来てるんだよね。

川端;結構たくさん参加してくれてるけど(31人)、気になる人を指名していい? では、MC Hyongi。彼は広島の基町でDJをやってブロックパーティとかやってる人です。基町にはいつか行きたいなあと思っているところです。

MC Hyongi;権鉉基です。川端さんから紹介いただきましたけども 僕自身は広島に住んでまして、ここで生まれ育った在日コリアンの3世です。川端さんとは、先程Funiさんと出会われたダイアローグオカヤマというイベントのときに知り合ってそれ以来の付き合いでいろいろやらせてもらっています。先ほど話ししていただいたんですけど僕が住んでるのが基町っていう広島のなかでも在日コリアンが多く住んでいるところなんですね。昔の原爆スラムって言われていたところに住んでいます。そもそもは戦後の広島で河原にいっぱいバラック街をつくっていたんですけど、そこが立ち退きになって高層アパートにすむってっことが70年後半くらいに起こって。そこにはもちろん多くの在日コリアンの人たちがいて僕の父親も住んでいた。僕自身音楽が好きなのでDJをやっていて、そこでパーティをやりたいということで、去年の7月からやってるんですけども。でもまぁ今日、そのパーティをやるっていう、ことですよね。そのFuniさんのラップにしてもそうですし、なんていうかな、パーティに出入りする土地だったり、どのように音楽であったり人とつながっていくあどういう言葉でやっていくかとか、そういうところって、なんか、FUNiさんの言葉の中で、なんかいろいろ力をもらったという気がします。今後もそういう自分の単位でパーティを続けていけるようなことができれば、まぁぜひ川端さんもそうですし、Funiさんにも広島に遊びにきてもらったさいにはぜひ!

川端:ありがとうございます!

視聴者E:「私も基町に出入りしています」

川端:島さんの話を聴きたいという意見があります。

島:DJとライターをやってる島晃一と申します。昔は早稲田の齋藤純一ゼミにいました。福島出身で、ライターとしては主に音楽と映画について書いています。『キネマ旬報』で書いたり。あとは、RHYMESTERのDJ JINさんと一緒にTBSラジオ「アフター6ジャンクション」の「ペデストリアンデッキ」特集に出て、いろんな人に知ってもらいました。駅の2階から伸びた大きな歩道橋みたいな建築物あるじゃないですか、あれについての街歩き的な特集ですね。DJでは、渋谷のThe Roomっていう老舗の小箱でイベントを主宰していて、レア盤、いわゆるレアグルーヴだったり、ラテンだったりを現場でかけて、そういった音源をライターとしても紹介してます。KPのファンだったので今日はお話できて光栄です。それで、DJに関していうと、今はどこに現場があるのか、というのが難しいところですね。

Funi:あーいえいえ。お世話になってます。自分もどう現場、ラッパーはどこが現場かっていうのが悩んでる。どうこの言葉をリアルに伝えようか。

島:悩みますよね。コロナでパーティができなくなった後、プロゲーマーがよく使ってるtwitchのような配信サイトでDJも発信を始めました。でも、そもそもDJとカメラ、配信とは相性がいいと思っていなくて。DJパーティの現場とかフロアとかって、別にDJが主役じゃなくても、こっちに視線が集中しなくてもいいじゃないですか。視線を集中させるステージとクラブのフロアは全然違う。フロアではDJに視線を向けず他の人と談笑してもいいし、DJでなく踊る人に視線が向くこともある。DJの場合、フロアにいる人の動きや身体を感じつつ選曲していく、そうした相互行為の中でメッセージを伝えているのだと考えてますが、配信ではそれが難しいのではないか。一方でMCの場合、やっぱりMVとか視覚的なメディアともすごく相性がいいですし、そういった形でもメッセージを伝えられるのは強みかなと思います。コロナ禍の後、当たり前ではありますがMCとDJの違いをあらためて痛感してます。また、DJ配信でもある程度ネット上でコミュニケーションは取れるものの、クラブのフロアで踊る人、談笑する人の身体がいかに自分の選曲に影響を与えていたのか、その尊さみたいなこともあらためて実感しました。コロナ後の現場、空間のあり方を考えるのは、今後の課題かなと思っています。

川端:結構時間もいい感じなので、最後にフリースタイルで大総括するみたいな感じでいきましょう。

Funi:DJ竹崎さん音どうですか。もしだめだったらまたアカペラにします。

Funi:新たな試みとして、もしみなさんがメインストリートじゃ残らないけど自分のなかのバックストリートっていうか、自分のなかのこれは世の中に残しておきたい風景、情景、自分にとって、まさに消えちゃいそうだけど残したいなっていう風景を募集します。

「ポストコロナの現場」、「喫煙所」、「厳冬の朝焼け」、「マスク無しの日常の会話」、「なにげない日常の会話」、「ストリップ」、「孫と戯れる両親かなぁ」「情交」「町中銭湯」「巡回中です」「恋人たちのキス
」「地方でのfuniのライブ」「基町のスナック「マーブル」」(チャット欄で視聴者から寄せられたワード)

Funi:MC Zombieほんといいんだよね。いいねぇすっごい。

Funi:自分ごととして考えてもらえるとみんな言葉が出てくるんですね。皆が残したいどこどこのラーメン屋潰れないでくれみたいな。

(MUSIC)

Funi:Yo、まるで銭湯、コンクリート、いろいろありの考察する、yeah。...あ、やっぱ音いらなかもしんない。(ここで音が止まる)。難しいね。じゃあとりあえず思いっきし自分かましちゃいますね。まさに家族がいま通っていったので(部屋を見回しながら)、ご近所さんも聞いとけみたいな感じで。

Yo, 2020、我々の生活は依然自由、だと思ってた、が不自由が自由を求めている、I.L.Lつまり病む止まない雨はないのにネットん中ではいつでも土砂降りの裏の感情、ネオリベラルはいつだって金勘定、yo, 商売繁盛、このジャパン、やばいバビロン、yo、何気ない日常の会話、約束なくても会える場所・仕事場・学校、人がまるで血脈のように流れるこの感情の血が抜けてしまったゾンビ、yeahどうすればいいかわかんない増幅装置ヘイト、ラブはどこにあるかわからない、yeah、そう銭湯の煙、どんどん潰れるブルーカラー外国人も全部ごちゃまぜ寿町、スナックも密着むしろ3密が売りだろ、yeah, 俺たちはひと目を盗んで情報交換することもある、すべてが太陽に晒されているだけじゃねえ感情もある、かさぶたが治ってきたのに、剥き出しにしちゃうこともある、そういうときに誰かに話を聞いてもらいときもある、そう今年の夏甲子園、毎年毎年とかどうでも良い今ここにあるリアルあたりまえが何かに気づく、自分がある感情の浮き沈み、yo、だけどリズミカルに出すことで身軽になることもあるし、自分が正しい間違っている分からないし、とりあえず進んでみるしかないんじゃないか、yeah, つまり生と死はイコール、死も生の一部だしyeah、そんな感じだし自分も恥部を晒し、で、みなさんにも理解なんて、どうでもいい、わけじゃないけど恋人程度でもわかってほしい、だからこうやって諦めずアクセス。あ、全然だめですね。でもこうやってしどろもどろだけど、自分で出していくっていうことがいいことです。すいません。

ケイン:めちゃくちゃよかったです。

川端:これ本当ライブでもやるべきですね。

視聴者コメント:
「すげーよかったよ!!」
「素晴らしかった!!!!!」
「最高です!」
「来れてよかったです!」

ケイン:隣人ですよね。みなさんが最後に自分たちで大事な情景をだして、それをフリースタイルにしていくっていうか。僕らがある種の隣人関係ができたんじゃないかなっていう。それぞれの持ち場でやれたらいいですよね。

Funi:あ、こんなのでも表現していいんだっていうのが分かってもらえる。無理やりネットでやるのは難しいかもしれないけど。いまDJ島とのコラボみたいっていうのがあったのでこれがいま自分のなかで持続可能サステナブルな形になった。無理矢理にでも広がりを見せていく宇宙っていうのを身体で表現していかないと。

川端:直接つながってない人もいるかもしれなですけれども、このイベントやその他の色々なことを通じて面白い事ができたらなっていう感じで行きたいです。このポスト研究会っていうのはポスト居酒屋でもあります。

ケイン:前回・前々回は「ポストスポーツ」で、今回はラップ、そして、ポストコロナ。ポストコロナって呼ぶべきかってこともあるけれど、ひとまずポストと呼ばざるを得ない状況があるわけで。で、来週、ポスト研究会は「緊急トークイベント」ということで「オンライン・フェミニズムの限界と可能性」をテーマに、この流れを引き継いで行われます。6月6日の14時~16時で、中村香住さん、永山聡子さん、田中東子さん。でお話頂くということで。

川端:これチケット大盛況なんですよね!

ケイン:あ、ほんとだ。売り切れ間近、もうあと1枚みたいな感じですよね。また、こんな感じで、みんなで色んなものシェアしながら、持続可能という言葉がFuniさんから出ましたけれども、ここにいらっしゃる皆さんも、サステナブルな感じで、みんな生き延びていければと思います、Funiさん、「みなさんにお知らせー!」みたいのあったりしますか?

Funi:さっきも紹介いただきましたけど、自分で勝手に作っただけですけど、川端さんも書評を書いてくれたzineがありまして。これもすごいDIYで考えまして。今iTunesって2000円で買えるじゃないですか。でも手触りがないんですよ、音楽聞く時に。おれは音楽聴くっていうのは本というか、ブックレットが欲しかったので逆にいちばんでっかくて見やすく、「本を発売します」と。アルバムをつくると音楽を売るって感じなので、わざと手触りを発売するっていう、だからわざと本を発売するっていう。いまIRAっていう新宿の本屋で売ってるんですけど。写真もよくて。これは川端さんから説明してもらったほうが。

川端:2019キャノン新世紀という写真展でグランプリとった中村智道さんと3人でコンテクストを共有しながら制作したコラボ作品でもあります。

ケイン:川端さんのライナーノーツと共に。僕はお酒飲みながら夜中に聞きました。すごいよかったです。

Funi:これ提案っていうか。面白いっていうところに人が集まっちゃうっていうことだと思う。面白そうにしてると野次馬根性じゃないけど面白くなってくると思うんです。それが今まではネオリベでわやわやお金使ってやってたと思うんですけど、自分たちが面白いと思ってることをDIYでやっていく。自分独りだけでラッパーだからってやってるだけだとただの頭おかしいやつになっちゃうんですけど、役割分担というかこれくらいのコミュニティで。Funiヤバイみたいな感じ良いなって。何の本屋にもCD出してないけどなんなのっていう空気を勝手にでっちあげていくっていうか。それが僕なんだけど樹里安さんの『ふれる社会学』だったり、川端さんの論文だったり、誰々の資本が入って盛りあがるんじゃなくて、面白い空間をDIYでつくっていく、無理矢理にでもつくっていかないとと思っています。

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ケイン:めちゃくちゃいい感じに締まりましたね。本当に自分たちで楽しいものを「でっちあげて」どうサバイブしていくかっていうことですね。Funiさんがしめてくれたので、いったんしめますか。

川端:すっごいでっかい声で実家で盛り上がるっていいよね。

ケイン:あっはははは。いやぁあじゃあ今日改めましてありがとうございました。

Funi:もしこれに興味ある人twitterで連絡いただいたら、本屋にいけないよっていう人、定価では2750円ですけどtwitterで連絡くれればと思います。

視聴者コメント:「👏👏👏👏👏👏👏」「👍」「優しい笑笑」「いや、そこはお金もらおうよ」「定価で買いますわ。」「定価で買います~

ケイン:では定価でサステナブルにお買い上げいただくということで(笑)。川端さん、Funiさんありがとうございました。じゃあ、皆さんが退出されるまで、お見送りコーナーですね、しばらく。

Funi:いや結構みなさん見てくださいましたね。

【参加者からのお知らせコーナー】
▼ケイン樹里安からのお知らせ
①『ふれる社会学』(3刷,2019,北樹出版)を介したトークイベント「#ふれしゃかフェス」再始動決定!
再始動&オンライン版1回目は、大阪のライブハウス「大阪Loft PlusOne West」です!
お世話になっているライブハウスやカフェ、本屋さんを「持続可能」にするためのイベントですので、有料で開催&アーカイブ公開をしています。ぜひご覧くださいませ。1か月に1回くらいのペースで続けていくつもりです。ハッシュタグは #ふれしゃかフェス です!
(https://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/146603)

②『ふれる社会学』から、さらに学びを深めるためのサイト「オンラインでふれる社会学」、オンライン講義のための事前学習・事後学習のためのワークシートやリンク集が掲載された「ふれしゃかhook」を公開しています。ぜひご活用ください。
「ふれしゃか」本体と共に、ぜひSNSに感想やコメントを投稿してくださいませ。
・オンラインでふれる社会学:http://www.hokuju.jp/fureru/shiryo.html
・ふれしゃかhook: http://www.hokuju.jp/fureru/fureshakahook.html

③Funiさんが登場する川端さん(MC KOHEI)の論考とケインの論考が掲載された『都市問題』(特集:若者の生き方)、ぜひご笑覧くださいませ。
・川端浩平(2020)ジモトを歌う――川崎の在日コリアン・ラッパーの世界観
・ケイン樹里安(2020)共に都市を歩く ――「フィリピン・ハーフ」かつ「ゲイ」の若者のアイデンティティの軌跡
※朝日新聞「折々のことば」で「共に都市を歩く」論考が取り上げられました!
https://www.asahi.com/articles/DA3S14382619.html

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▼島晃一からのお知らせ。
①以前『キネマ旬報』で執筆した、映画『ムーンライト』についてのインタビュー記事が、菊地成孔さんの映画批評本『菊地成孔の映画関税撤廃』(2020, blueprint)に再録されました。また、『ラティーナ』2020年3月号で、ラテンのクラブミュージックやクラブミュージックの影響を受けたラテン音楽についての特集「新しいラテン」を企画しました。是非ご覧ください!

②RHYMESTERのDJ JINさんと一緒に出演したTBSラジオ「アフター6ジャンクション」の「ペデストリアンデッキ」特集は、まとめ記事と当日の音声が上がってますので是非お聞きください!
https://www.tbsradio.jp/389037

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