教師とは何だろうかと考えてみた
ふと、初心に戻りなぜ教員をしているのか考えることがある。
「カッコ良いから」「楽しそうだから」「教えることが好きだから」
こんな理由が挙がりそうだか、自分が1番初めに教師を志した理由は正直あまり覚えていない。
誰か1人の先生に憧れたような気もするし、ちゃんとした理由があったような気もする。
当時の理由は覚えていないが、今、
「お前はなぜ教員をやっているのか?」
と問われるときっとこう答える。
「子どもたちに人生を楽しめるようになってもらいたい」
人生は一度きりである。
最高に楽しんでも一度だけ、最高につまらなくても一度だけ。
日本人ならだいたい70〜100年くらいの人生である。
限られた時間をどう生きるか。
我々教師の願いは、「君たちに人生を楽しんで生きてほしい。」ただそれだけである。
別に生徒が金持ちになろうがなるまいがどうでも良いし、自分がより良いと思った選択なら、独身だったり仕事を辞めても構わない。
ただ、自分の人生と向き合い、後悔ない選択をできるようになってほしい。
ただそれだけである。
そのためには、自分と向き合う必要がある。
自分の性格と向き合い、能力と向き合い、何が足りていないのか、何が必要なのか、何と向き合わなければいけないのか。
じっくりと何度も何度も考えなくてはならない。
勉強をしっかりやった人間は、「考える際の手札」が多い。
考える力もあるし、深く考えるために必要な知識もあるし、忍耐力も備えている。
直感で生きることも悪くない。しかし、しっかり自分の頭で考えないと、行き詰まったときに、直感だけだと踏ん張って耐える理由がない。
だから自分なりの答えを考え抜いて見つけてほしい。
人生をどう生きるか。
この問いにちゃんと向き合おう思うと、きっと勉強することが望ましい。
その力を育むお手伝いができれば教師冥利につきる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?