貴族と奴隷

タイトルから不穏な空気ぷんぷん。これぞ山田悠介w
理不尽なルールのもとに、理不尽に放り出されてこその山田ワールド。

この作品がほかと異なるのは主人公が盲目であるということ。目が見えない彼の視点で進むので、視覚以外の情報で情景描写が行われる。
盲目でありながら絵を描く主人公というのも面白かった。

人間社会にはヒエラルキーというものが存在する。それは経済的な話だったり、容姿的な話だったりと多岐にわたるが、全ては才能の話。
金を稼ぐのも才能、眉目秀麗に生まれたのも才能、人に優しくするのも才能。
全てにおいて最下層という人はそう多くなくて、みんな違ってみんないい、はずなのだが、そう思えるのは一定年齢以上になってからではないだろうか。
中高生時分では、勉強と運動と容姿におけるヒエラルキーの強さったらない。それが全てに等しい。そんな限定的な分野ではオール最下層の人間も出てくる。

では、実験としてそんな最下層を頂点に立たせたらどうなるだろう?

というのがこの作品。
出来上がった関係性を崩すことは簡単ではない。
しかし、咎める者がいない中で、それまでの鬱憤を晴らさない理由はない。
初めは慣れない立場で身の振り方がわからず戸惑う人もいる。当たり前だ、才能がないからヒエラルキー最下層にいたのだ。
彼は最下層からのし上がったわけではない。何故か突然「あなたは他の人たちより優れていることとします」と烙印を押されたに過ぎない。にも関わらず、時が経つと本当に優れているのだと思い込み始める。

人間の思い込みはすごい。有名な死刑囚の人体実験で証明された心理効果だって言ってしまえば思い込み。
思い込みの厄介さはその効果の強靭さと、他人がそれを揺るがすことは不可能に近いということ。

山田ワールドは主人公が思い描いていた結末に辿り着くものと、更なる絶望を与えるものがある。これは圧倒的後者。

自分だったらどうするかな〜なんて呑気に楽しんでしまうと頭にタライが落ちてくる。先回りして戒められている気がする。

調子に乗ったことはしてはいけない。
誰がどう持て囃してくれようと、所詮は己でしかない。身の丈にあった振る舞いでなければいつか足元をすくわれる。
そうなった時に1人でも多く手を差し伸べて貰えるように身の振り方を考えるべきだと思った。

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