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ホノルルマラソンをおすすめしたい3つの理由

足に氷水をぶっかけ走った、冬の思い出。

日本一の富士山に登り、日本一のバンジージャンプを跳んだ。

誰にも頼まれてないけれどそのチャレンジを勝手にシリーズ化し、2019年の12月にシリーズ第3弾としてホノルルマラソンを完走した。

通り過ぎる救急車、道路にうずくまる人々、本当に走りきれるのだろうかという不安に襲われた、長い長い42,195kmだった。

ずっと痛かった左膝。アドレナリンやらドーパミンやらのおかげで騙し騙し走れていたが、あとちょっと、という35km地点で今まで感じたことのない激痛。歩くことすらままならなくなった。

痛みの波が引いた瞬間に反対側の脚で漕ぐように歩を進め、辿り着いた給水所で、氷水をもらった瞬間飲まずに左膝にぶっかけた。おかげで痛みが少しマシになり、前に進むことができた。はたから見ると完全に奇行、マッドネス。

「はよ終われ」そんな気持ちで5時間39分56秒、人生初のフルマラソン完走。

こんな激痛だマッドネスだと書き連ねておいて説得力はないかもしれないが、本当に良かった。人生の中でかなり上位に来るほどの良い思い出だ。一人でも多くの人が私と同じようにチャレンジしてくれたらいいなと純粋に思い、以下に、おすすめしたい理由を挙げてみようと思う。

理由その①景色が最高すぎる

朝5時、ノリノリの音楽と花火の中でスタート、真っ暗の市街地を走る。クリスマスの電飾はキラキラ綺麗だったし、建物のたたずまいはまるでテーマパークのようだった。

けれど、色々なものの中で一番私が美しいと思ったのは、太陽。市街地を抜けダイヤモンドヘッドに差し掛かった頃うっすら周りが明るくなり、その後昇ってきた太陽の美しさが忘れられない。

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道路にうっかり落としてしまっても大丈夫なように、インスタントカメラをポケットに入れ写真を撮っていた。しかし、日の出前は光量が足りず、一枚も写っていなかった。改めて、この世界を照らしてるのは太陽だったんだと気づく。

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これまで星や月が美しいと思ったことはある。でも太陽が美しいと思ったのは、この時がはじめてだった。


理由その②沿道の応援がフレンドリーでハイテンション

太陽が昇ると一気に気温が上がる。12月のホノルル、涼しい日もあるようだが、この日は最高気温27度と本当に暑かった。

給水所では半分が水、半分がゲータレードを配っていた。15km地点、美しい太陽を横目に栄養補給をしようと、ゲータレードでスポーツようかんを流し込む。しかしはっきり言おう。ゲータレードとスポーツようかんの食い合わせはよくない。この後しばらく、胃の中で双方譲らず主張し続け、えづきながら走ることになった。

沿道には協賛企業のブースがたくさんあり、鳴り物で盛り上げてくれた。住宅地では子どもたちがお菓子を配り、庭先にDJブースを設置しガンガン音楽を流している人もいた。現地住民やボランティアの方々は「Go ahead!」「Keep running!」などとポジティブな言葉をかけてくれた。

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プロでもないのにたくさんの人が応援してくれるスポーツはマラソン以外ないんじゃないだろうか。私が「OSAKA」と大きく書かれたTシャツを着ていたからか、沿道から「オーサカ!オーサカッッ!!」と、現地住民に何回も声援を送ってもらった。是非目立つTシャツを着て行ってほしい。


理由その③感情と感性を爆発させられる

数年前からホノルルマラソン走りたいと思ってはいたけど、これまでなかなか行動にうつすことができなかった。でも「今年こそ本気で行く」とSNSで発信したら、一緒に行きたいと言ってくれる友達がいて、トントン拍子で計画が進んだ。
エントリー費用や旅費も払えて、職場の理解もあり休みもとれて、膝は痛いけどなんとか走れる、自分の境遇に感謝した。

よりによってスタート前の夜中にそんな感謝の気持ちが心にじわじわ浮かんできてしまい、涙が止まらなくなった。隣で眠る友達に気づかれないよう、さめざめと泣くover30女。あの夜中の出来事はハッキリ覚えているけれど、感情はあんまり思い出せない不思議。

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走り出すと、次々と飛び込んでくる現実感のない光景。まるで長い映画を見ているようだった。

終わって友達と合流し歩いていると、小学生の時の運動会の後のような気持ちになった。寂しさと達成感と、余韻。

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この日の晩は、ビール1本だけ飲んで、泥のように眠ってしまった。


不安を凌駕する感動が、きっとある。

2020年は中止となったが、それまでは毎年たくさんの日本人がチャレンジしてきたホノルルマラソン。先人の残してくれた役立つ情報をもとに準備を進めてきた。それでも、ゴールするまでは自分の走りにも自信がなくずっと不安だった。

ところが、不思議と走りきることができた。なんでだったのか説明がつかない。体よりも心の方が強くなれるのだ、きっと。

2021年は、今のところ開催予定らしい。私もいつかもう一度走りたい。この先もこの大会が続き、たくさんの感動が生まれる、そんな平和な世界を心から願っている。





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