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改めて気付く、自分の中の'好き'。

子供の頃にしていた習い事で、いちばん長く続いたのが、ピアノ。

20年以上は先生について習っていたのだから、勿論それなりには弾けるようになったのだけれど、あくまで趣味の域は出ないし、音大に行ったわけでも、抜きん出た才能があるわけでもない。クラシックに精通しているわけでもない。

好きで長く続けていた割には、さほど音楽への情熱も持ち合わせていないという自覚がある。

子供が生まれてからは、いよいよピアノを弾く機会も少なくなり、時たまコーラスの伴奏をする機会があって、その時に練習をしたくらい。

それが終われば、また弾かない日々。

だけど、ピアノを習っている娘が練習して少しずつ上達していくのを見て、いいなぁ。と、なんだか羨ましくなったのだった。

私も好きだったよな。また弾きたい、と、自然に思った。

たくさん溜まった楽譜の大半は実家に置きっぱなしになっているけど、たまたま手元にあった楽譜を開いてみる。

「エリーゼのために」があるじゃん!

ウン十年前の、合格した日付と、その時に貼らせてもらった可愛いシールもそのまま。

あー、でも意外と弾ける(≧▽≦) 楽しい!!

何度か弾くうちに、指の感覚も戻ってくる。自然と気持ちが込もって弾きながら身体が動く。

楽しい!!(二回目)

同じ楽譜にランゲの「花の歌」もあった。これも好きだったなー。

あ、この音強くしたくないとこなのについ強くなっちゃうな・・と思っていたら、楽譜のその箇所に「強くならない」と先生の注意書きw
進歩なしだ(^▽^;)

でも、やっぱり私、ピアノが好きだったんだな、って改めて気付く。
別にそれほど情熱的でなくても、ものすごく好きという気持ちでなくても、やっぱり好きだな、っていうのも大切にして良いよね。

そして何十年弾いていなかった曲でも、指が憶えている。
身に付いた技術(ってほどのものでもないけど)って素晴らしい。


思えば5歳の時の自分が、どうしてもやりたいと言って習わせてもらったピアノ。
我を通すことの少なかった私が、自分の意思をそんな風に言ったのも珍しかったと思う。

それからの、過去の自分の細々とした積み重ねが、今の楽しい、幸せな瞬間に繋がっている。

何の取柄もなく、過去には後悔ばかりで、もっとこんな風に生きていればとばっかり思ってしまう自分だけど、過去の自分に感謝できることも、こうしてちゃんとあったよ。

ピアノをやりたいと親に頼んだ幼い私。やらせてくれた親。
地道に長く続けた自分。
演奏する楽しさを教えてくれた先生。

おかげで今の私が、ささやかな幸せを感じています。
ありがとう。

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