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恐怖のブリコラージュ

心霊写真はなぜ怖いのか?それは、心霊写真だと感じるからです。
じゃあ、なぜ心霊写真だと分かるのか?
それは、人だと思われるものの一部が映っているからだと思います。
全身が映っているときっと怖さは半減するでしょう。

架空の公開捜査番組を、
マジのような顔をして放送した衝撃のモキュメンタリー番組、
「イシナガキクエを探しています」。

「行方不明者の情報を持っている方は電話をかけてください」
という生放送の番組、昔からありますよね。
その番組の形をとりながら、
全てフィクションであるというものです。

何が怖いって、人ならざるモノの存在を確かに感じているのに、
淡々と進んでいくテレビ独自の無機質さ。
テレビ故のつぎはぎで、
深刻さに触れずに温かみをもって着地させる強引さ。
結局、真相を掴めないもどかしさ。
これが、公開捜査番組を心霊写真化させていました。

そして、見ている方の狂気にも気づかされます。
どこか「テレビだから大丈夫」と思って見てしまう私の認識。
その奥を見たいと思ってしまう好奇心。

モキュメンタリーという「入れ子構造」の意義を遺憾なく発揮したこの番組の余韻は、まだまだ残っています。

考察する意味はあるのか?

仕掛け人の一人である、テレビ東京プロデューサーの大森時生さんのSNSでこの作品のことを知り、
ずっと気になってはいましたが、
怖そうだから見られないかも、誰かが書いた感想を読んで終わらせよう、と思っていました。
でも、考察を書いている人のSNSやブログをたくさん読んでいるうちに好奇心が勝って、
これは見なあかん!と思って全部一気に見てしまいました。

見て思ったのは、視聴者が考察するほどホラー要素を帯びていなかったということです。
誰々が死んだんだ、殺されたんだ、オカルトに傾倒した、悪魔、呪い、
といった考察ブログに山ほど書かれていた言葉の、
核心に触れるものは出てきませんでした。
テレビ番組独特の「綺麗さ」のせいで行間が広すぎて、
読み取り方の可能性が大きくなっていたんだな、と感じました。

これってもしかしたら、はっきりとした事実(とするもの)を初めに定めずに、
怖い映像と不気味なもののブリコラージュなんじゃないかと思います。
怖いものをつぎはぎして作った番組。
考察すること自体に、意味がないのでは?

モキュメンタリーのおもしろさ

これが根っからのホラー番組だったら、
私は初めから見なかったでしょう。
でも、ドキュメンタリーの形をとっていると知っているから、
「テレビで流せないようなグロとかは出ないだろう」とどこか安心して見てしまいました。
ここがとっても怖くて。
この事件の裏に、どれだけ倫理的にヤバい出来事があったとしても、
はたまた、テレ東に都合の悪い事実がもみ消された上であの温かい着地になっていたとしても、
私はきっと疑うことなく見てしまうんだろうなぁと思ったし、
歯止めをかけてくれるギリまで怖いものを見たくなるこちらの好奇心にも出会って
なかなかおもしろく怖いものでした。

まとめにかえて

テレビという媒体でテレビマンしかできないことをやってくれたなぁと思います。
さらに、テレビでは出せないラインはTver限定で出すという使い分けも良いスパイス。

YouTubeでもネットテレビでもテレビみたいなことができるようになった今、
テレビの特徴ってなんやと思った時、
説得力とそれ故の圧と情報量で、
そして社会的ムーブメントを起こす力がまだまだあるんだろうなぁと思いました。
モキュメンタリー、ハマりそう。

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