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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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THE GREATEST SHOW-NEN「鬱憤」を見て

THE GREATEST SHOW-NENというテレビ番組を見ています。
関西ジャニーズJr.のAぇ! groupがさまざまな劇団とタッグを組み、
あらゆる分野のお芝居やエンターテインメントに挑戦する番組です。

「幻灯劇場」という劇団と組んで行われた、
「鬱憤」という作品について、心に残った場面を中心に書きます。

「鬱憤」は、未知の感染症の流行から数年経った世界で、
言えない言葉をたくさん抱える若者を描いた物語で、
まさに今の私たちを映した作品です。

幻灯劇場の主宰で作•演出を手がける
藤井颯太郎さんが27歳(放送時)ということで、
私と同世代の人がどうやってコロナを描くんだろうか
と気になったこともあり、熱心に見ました。
結論を言って、感動したというか、
いろんな感情を動かされた作品でした。

今回放送されたのは、番組用にアレンジされた作品ですが、
「幻灯劇場」が以前公演した作品であり、再演もあるようです。
この記事にはネタバレも含みますので、ご注意ください。

2人の間に生まれるラグ

物語は、「恋人」「職場」「友人」の3場面から成り、
それぞれの人々が交差しながらつながっていく作りになっていました。

佑理は、一緒に住んでいる恋人・優弥から、
ある日、ある提案をされます。
勿体ぶって話す優弥に投げた佑理の台詞が印象に残っています。
「何?新しい変化的なこと?」
ウイルスのなかった世界に戻るんじゃなくて、変化を期待している、
といったニュアンスで明るく返したこの台詞に、
私はまずめちゃくちゃ共感しました。
あの頃に戻りたい、と嘆く人が多いけれど、
私は、新しい生活に期待をしていたからです。
それを代弁してくれているようで嬉しかった。

でも、優弥の提案は、
「熱が出てきちゃったから家では糸電話で話そう」という内容でした。
変わってほしくない方向に変わってしまうのを、
私も彼らもこの数年間、そしてこの劇中で経験しました。

2人はそれでも、糸電話であれこれと楽しい話をしました。
ある日、空を見上げながら、優弥は星の話をします。
自分たちに見えている星の光は、何年も前の光で、
見えている星には、既に死んだ星もあるんだ、
死んだことに何年も経ってから気づくんだ。
あっ今あの星が消えた、とか言うのです。
私はハッとしました。
星は何年も前の光で、夢があっておもしろいなと思っていたけれど、
死んだ星のことを想像したことはなかったからです。
だんだんと2人の糸電話の糸は長くなり、
そのうち、発した言葉が耳に届くまで、時間がかかるようになりました。
ラグが起き始めたのです。

触れることでしか、今を共有できない

時間と距離の概念は、異なるように見えてぐちゃっと混じる時があると思います。
地球と星との距離を、「何光年」と時間で表現するのが、
それを表していると思います。
「距離をとろう」とする日々の中で、「リモート」という言葉が流行する中で、
距離が離れることによって、
私の気持ちや近況が、誰かに届くのにも時間がかかってしまうと気づきました。
距離をとって、見える距離で声を張り上げたとしても、
どんなに速い回線を使っても、ラグは生じてしまうのです。
だから、触れ合うことでしか、同時に何かを感じることはできない。
ズボラな私は、この数年で、
意外と多くのことが会わなくても済むことを知ってしまいましたが、
この「鬱憤」を見たことで、
会って、近くで話して、顔を見て、触れて、
そうすることでしか共有できないものがあることを強く感じました。

佑理と優弥、2人の距離はどんどん大きくなり、
優弥は入院してしまいました。
病床で、優弥は佑理に留守電を残します。
おそらく最期の言葉となったこの留守電が、
佑理に届くまでのラグはなんと3年。
怖くて聞けずにいるのです。

言葉にできない「鬱憤」

この作品には、言葉にしない、或いはできない言葉がたくさん詰まっていました。
恋人どうし、友達どうし、職場の人に、
本当は言ってしまいたいけれど
遠慮して言えないこととか、
優しさゆえに言えないこととか、
言葉にならない思いをたくさん抱えているのに、
やっと表出される言葉しか相手に伝わってくれない。
そのもどかしさにリアリティがありました。
たまに、何かが外れたように出てくる強い言葉でさえ、
何かを我慢した上での表現で、それが本心なのかわからないと思いました。
見ていて、仲良しの恋人や友達には
もっと本音を言ってほしいなとか、
テレパシーみたいに伝わればいいのにとか思ってしまいました。
でも、もし私たちにテレパシーみたいな簡単なツールがあったら、
糸電話の糸が震える実感も、
本屋のポップを作る時のワクワクも、
友達と砕いた石の破片が目に入った痛みも、
恋人を抱きしめた時の安心感も、
全部感じられなかったんだろうなと思いました。

ご飯食べて元気でいてほしい

未知のウイルスが蔓延る世界で、私たちはたくさんのつらい経験をしました。
劇中の若者たちもまた、そうでした。
大学生の悠太は、
ウイルスの不安を払拭できるようなインチキ商品で起業し、
大儲けしていました。
しかしその商品を、
裕福で優しい親友、村上が買ってくれていたことを知るのです。
そんな村上は、ウイルスのせいで親の会社が傾き、
大学の退学を余儀なくされていました。
村上は気にしていない様子で、これからも友達でいようと言いますが
全てを知った悠太は後悔と懺悔で取り乱します。

このシーンもそうですが、「鬱憤」を見ていて、
嬉しいことの裏には悲しいことがあったり、
嫌で嫌で仕方ないけど、どうにもならないことに悔やんだり、
責任や不安の板挟みに苦しんだり、
そんなこともあるのが「日常」だと感じました。

でも、同時に、「日常」には
楽しい瞬間もたくさんあるということを強く感じました。
友達とふざけたしょうもないことを言って笑い合ったり、
いつも食べきれない量のパンを買う恋人に文句を言ったり、
思ったほど深刻じゃなかった事態に拍子抜けして笑ったり、
自分の職場に有名人が来ることに胸を高鳴らせたり、
そんなことがとてもしあわせだと思いました。

佑理は物語の最後に、優弥の残した留守電を聞きます。
「食べきれなかったカレーパンが冷蔵庫にあるから、食べていいからね」
「ご飯食べて元気でいてほしい」
この言葉に、私は心を動かされました。
私たちは、未知のウイルスのせいで、
あれこれと考えて、
自分だけを守りたくなったり、
無意識に傷つけ合ったりして数年間を過ごしました。
でも、本当はそんな複雑なことは何も望んでいなくて、
自分の知ってるすべての人に、
そして何より大好きな人には、
ご飯食べて元気でいてほしい、これに尽きると気づきました。
ご飯をちゃんと食べて元気でいることが、
どれだけしあわせなことなんだろう。
日常のしあわせを、強く噛み締めたシーンでした。

まとめにかえて

「僕の言葉が未来の佑理に届いていると思うと、安心する」
遺言となってしまった優弥の留守電は、
不思議なほど片肘を張らない、日常の言葉でできていました。
言葉にできない鬱憤を抱えて過ごす私たちは、
飾らない表現にこそ本心を込められるのかもしれません。

生きていると、受け入れ難いつらさに直面することがあります。
でも、生きていると、それ以上にしあわせな瞬間にも出会います。
まだまだウイルスに恐れる日々ですが、
私たちはこの数年間で感じたことを忘れずに、
力に変えていかなければなりません。
大きな変化は起こせないかもしれませんが、
毎日のしあわせを噛み締めて、明日もご飯を食べて元気に過ごしましょう。
このタイミングで出会えてよかった作品でした。

おまけ

重いテーマの中に、
コメディ要素がたくさんあったのも「日常」って感じがしてよかったし、
たくさん笑ってちょっと泣いた素敵な作品でした!
歌やダンス、楽器もうますぎて圧巻のパフォーマンス!!
触れなかったけど、書店員の工藤さんもめっちゃ良いキャラだった!


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